第12話

 洒落た司令室で、濃い疲れを浮かべたエリナと流石に疲労が見えてきたノーグが、大きな司令官用の執務机越しに談笑していた。


「我が国は随分と圧されているようですね」


 ノーグは、ジャムを入れた紅茶を啜りながらぼやく。


 補給時に入手した貴重な茶葉だ。エリナも、秘蔵していたそれを誰かと飲みたくなるぐらいには疲弊している。


 特に先日入電したウラーグス港陥落の報が、エリナの心を静かに蝕んでいた。


 甘ったるい紅茶と共に、溜まりに溜まったストレスを流し込む。


「ああ。でも我が国が負けることはない。絶対に」


 エリナはノーグをまっすぐに見据えて、そう断言した。


 司令官として、敗戦を確信した戦場に水兵たちを送り込む勇気がエリナにはない。だからこそ、勝てると自信を正当化しなければやってられなかった。


 出港前の心に余裕がある状態であれば、現実を見据えせめて散ろうという勇気を持てていたが、長い航海に疲れた心が見据えられるほど、現実は甘くない。


「それ、本気で言っています?」


 ノーグは、飄々とした態度のままそう聞く。


「当然だ。ノーグ准将、まさか我々の勝利を疑うのか?」


「ははは。私は情報部の所属ですよ?この状況で勝てると思えるほど能天気な軍人が、国家の頭脳に入れるわけないじゃないですか」


 エリナを揶揄する意図はない。


 ノーグの言葉を意訳するのであれば「エリナ少将殿だって勝利できないことは分かっているのでしょう?」という意味だ。


 そして、エリナもそれは察したらしい。


「ふっ。貴様も随分と反帝国的だな」


 エリナは、自嘲するような、それでいて少し安心したような笑みを浮かべて、そう言った。


 同郷の人間と分かってから、エリナは少しずつだがノーグに心を許すようになっている。


 最も、それは単純に情報部のノーグに対する警戒心すら持てないほどに疲労しているだけとも考えられるが。


「我々情報部の職員には、自由な発言が許されていますからね」


「羨ましいことだ。私には、王政側から下される無茶苦茶な命令に、意見を具申する権利すらないというのに」


「そうやって優秀な高級将校たちの口に蓋をしてきた結果が、今回の失態だというのに。王政側は何も学んでいないようですね」


「流石に言い過ぎじゃないか。外で水兵たちが聞いていたらどうするつもりだ?」


 エリナは、少しだけ愉快そうに行き過ぎたノーグの発言を咎める。


「分かりました。流石に数万の将兵を率いる者は気の使い方が違いますね」


 休憩時にも部下の士気を下げないことを考えているとは。ノーグは感嘆した。


「ノーグ准将、貴様とて1万の陸軍兵を率いる高級将校だろう」


「まあ、確かに」


 ノーグはほっと笑うようなため息をつく。


「いくら精強な兵士が一万人いても、輸送船に詰め込まれた現状では艦隊を乗っ取ることすらできないでしょうね」


 さらりと放たれた叛逆とも取れる言葉にも、エリナはさして驚かない。


「とりあえず、貴様に愛国心というものが無いことはよく分かった。もし叛逆を企むとすれば、私よりむしろ貴様だな」


「ははは。確かに、そうかもしれませんね。最も、それを国は分かっていないようですが」


 ノーグは否定も肯定もせず、濁した。


「頼むから、私の艦隊ではやらないでくれよ。艦隊がもし奇跡的にオトクル港に到着できたら、その時は好きにしろ」


「ええ。やりませんけどね。そもそも、たどり着けないでしょうし」


「やはり、貴様の方が私よりずっと監視対象になるべきだな」


 エリナは空になったティーカップを机の受け皿に置く。


「北キサラのエルーナ湖へ、行きたいものですね」


「エルーナ湖か。南の辺りに、スパゲッティの美味しい店があったな」


 エリナは、思い出を懐かしむような口調で言った。


 戦火に焼かれた今亡き村を。


「今は廃墟でしょうけど、また湖を見に行きませんか」


「それはいいな。夜には白銀に染まる綺麗な湖だった。日常の風景として気にも留めていなかったが思い出すとあれは絶景だな」


「ええ、空気も澄んでいましたし」


「軍艦というのは、いつも石炭の香りがするからな。やはり山奥の澄んだ空気が懐かしくなる」


 2人は、過酷な戦争も忘れて過去の思い出に耽っていた。

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