15話、ローゼンヌ動乱

 帝国歴202年3月10日の朝

 久方ぶりの朗報に領内が沸く。

 先の戦いより行方知らずであったエイブラムが、僅かな手勢と共に無事帰還を果たしたのだ。

 戻ったエイブラムは、彼の帰還を見届けようと集まった衆目の一切も気にせず、真っ先に愛娘であるアイリーンと抱擁を交わす。父娘の感動の再会だ。

 父の帰還にみるみる喜色を湛えていたアイリーンであったが、喜びも束の間「臭っ!」と言い放ち抱擁は解かれてしまう。ショゲる彼のその姿に一同は破顔した。


 さすがに汚すぎると自覚したのかエイブラムは一度家に帰り、身を綺麗に整えてから再出仕する運びとなった。


 先ほどの慶事? 珍事? 

 どちらとも取れる出来事から数刻ほど経っただろうか、うってかわり別人な程さっぱりしたエイブラムが現れる。

 帰還直後と比べ肌の色艶、毛髪の汚れ具合など雲泥の差である。

 先の退却戦から既に6日近くが経過していた、よく無事でいてくれたものだ。


 あらためて姿勢を正すエイブラムに、何か思いつめたような重苦しい雰囲気を感じ取り、先ほどまでの緩い雰囲気が霧散してしまう。

「此度の敗戦、我が不徳の致すところ。死して罪を償いたいと思うております」

 同席していたアイリーンが父の決意を知り絶句する。今初めて聞かされたのだろう。


「エイブラム、其方の罪とはなんだ?」

「フランツ様の御命お救いする事かなわず。また、賊と侮った結果の敗戦責任でございます」

「……」

「──確かに重罪だな」

 皆の予想する答えと全く違ったのだろう、皆が驚きの表情を私に向けるがエイブラムの決意は固く、表情に一切の曇りや翳りすらも見られない。

「しかしそれならば私も同罪と言える。いや、あの場に居た者全員が同罪であろう?」

 エイブラムは何も答えない。

 ただ私の足元辺りを遠く見つめるのみであった。

 あの敗戦は誰のせいでもない。憎むべきは凶行に及んだ弟アルザスとそれに組したレーヴァンツェーンであり、罪を償わせるのは奴らであるべきだ。

「父を失い急遽きゅうきょ家を継ぐ事となったが、あの戦いで父の供回りを大勢失った。今残るは優秀なれど若い者が多い、今こそ其方ら年長者の力が必要な時だ。若い者には叱るものが必要ぞ」


「他に適任がおりましょう」

 考えるそぶりさえ見せず、はっきりと拒否される。

 忠義に無念、そして喪失感に罪悪感、色々な感情にさいなまされたのであろう。その結末は死をもって贖う事へと帰結したのだろうか、ここに至り死にたがっている様にしか見えない。

 まずはそこを変えてやらねば、エイブラムの説得は叶わないと見てよさそうだ。


「エイブラム、其方が行方知らずとなってからアイリーンがどれだけ心配したと思う。また、父を失った我が悲しみは如何ほどだと思う?」

 初めてエイブラムの表情が崩れ、わずかながらも狼狽が見て取れる。

「戻らぬ父を日夜心配し、戻ると涙を流し喜んだ娘に、其方は改めて喪失を味合わせると言うのか? 私もそうだ。父を失い母も失い、ここでさらに幼少時より可愛がってもらった其方の死を受け入れろと?」

 これにはエイブラムがしっかりと反応した。

「いま母と?」


「そうだ。私が毒により生死をさまよっていた頃、母も死せば労せずして我が家はアルザスの手中に納まると考えたゾフィーらが凶行に及んだのよ」

「信じられぬ、あの奥方様が……」

「いずれ父と母の仇を討たねばならん、まだまだ其方の力が必要だ」

「……」

「それにな、父を失った責任を其方に取らせるならば、母を失った責任も誰かに問わねばならん、違うか?」

 これにはエイブラムも絶句した。

 己の浅はかさゆえか、或いは奴らの非道ゆえか、どちらか理由は分からぬが体を震わせ耐えていた。


 誰を見るでもなくただ遠くを見つめ、続ける。

「生き残った者は……、託された者は辛くとも生きねばならん。それこそが先に死した者達の願いだと思う。精一杯生きよエイブラム。愛しき娘を抱擁する事が出来るのも、臭いと言われ落ち込むも生きてこそよ」

 エイブラムは涙を流しつつ、ただ、ただ頭を垂れた。

 父の覚悟を知り、それでも生きねばならぬ父の苦悩を知ったアイリーンも、父の背に寄り添い泣いている。

 2人の元へゆっくりと歩み、肩に手を載せる。

「しばし、ゆっくりと休むがよい」

 そう言い残しその場を去った。


 エイブラムが帰還に一週間近くを要した理由が判明した。

 責任の所存と説得であの場は終わってしまい、報告のタイミングを逸したと判断したエイブラムは、愛娘アイリーンを報告の使者に寄越してくれていた。


 聞くところによると、敵の追撃を交わすため生き残った数名の部下や仲間を率い、森の奥深くへと侵入して、そこで暫く身を隠していたらしい。

 敵の軍勢が引き揚げてからは、鎧を脱ぎ平民の恰好でノーファーに紛れ、情報収集を行ってくれていたそうなのだが、ノーファーは元々父上の領地である。領民はアルザスが父上や私に対して兵をあげた事すら知らされていなかったのだ。

 本当に野盗討伐と思っていたらしい、怪しいと疑い始めたのはノーファーにレーヴァンツェーンの軍が駐屯し始めた頃だそうだ。

 領民の協力を得る事が出来てからは情報収取は飛躍的にはかどったそうで、彼らによればレーヴァンツェーン軍はノーファーに逗留し続ける予定でいたが、アルザスが落馬により怪我を負いすぐに動けぬ事、嫡男アウグストを人質として取られ、その奪還に失敗した事から一度本国へ引き上げる運びとなったそうだ。


 これは良い知らせだ。

 レーヴァンツェーンとの捕虜交換交渉で3か月の停戦を条件としているが、これにはあえてアルザスの事は触れていない。レーヴァンツェーンが引き揚げて居らぬなら停戦期間中にアルザスを攻めても文句はあるまい。

「若様、悪い顔してる」

「失礼な、思慮深い顔と言いなさい」

 くすくすとアイリーンが小さく笑う。

「若様、いえアレクシス様、この度は父をお救いくださりありがとうございます」

 アイリーンが改めて先ほどの仕置について深々と頭を下げ礼を述べるが、そもそもお礼を言われるような事は何もしていない。

「礼を言われるような事は何もしていない。折角助かったのだ、これからは親孝行してやると良い」

 こう返すと、アイリーンが嬉しくもやや困惑した目で。

「若様じゃないみたい」

 悪いことは何もしておらず、またアレクスでもアレクシアでもある私にやましい所は何一つ無いのだが、一撃で核心を突かれ狼狽えてしまった。

 こちらの内情などつゆも知らずにアイリーンは続けた。

「見た目が変わる程のご心痛、察するに余りあると皆が口々に言っておりました」

 え? 見た目が変わるとはどういう事だ?

「ご苦労ゆえ変わられたのですね。これからは私たちがもっともっと頑張って若様をお支えしていきます!」

「ありがとう。これからも宜しく頼むよ」

 アイリーンの決意表明を受け取り、礼を述べるとアイリーンは退出していった。


「アンネマリー」

「はい」

 昨日は無理やり休ませたので不在だったが、今日よりまた出仕していた彼女に問うてみた。

「先ほど見た目が変わったと言われたのだが、変わったかな?」

 見た目が変わるとか通常はありえない。

 これが原因でアレクスじゃないなどと、変な噂でも広まれば我が家の行く末に重大な影を落としかねないし、偽物でないのに偽物と思われるのは正直悲しい。

 アレクスで無いのは事実だがな……、これは世の中広しと言えど私にしか分からない苦悩だろうな。

「そうですね、結構お代わりになられたかと」

「え?」

「ご心痛ゆえでしょうか、おぐしがどんどん白くなられてます……」

 そういえば王太子の頃の髪は白に近い銀だったな。

 で、今はどんどん白くなっていると……。

 外見も交じり合ってるのだろうか? 魂に肉体が影響を受けてるとか? 

 或いは本当に心痛で白くなった?

 うーん……。

 

 顎のあたりに指をそえ、考えるような仕草を見せるアンネマリー。

「他にもある?」

 急激な変化は良くない、些細な事でもいい変化があるなら知りたかった。

「前にくらべて精悍で、か、格好よくなられました」

 と言い顔を真っ赤にし俯いてしまった。

「そ、そうか、ありがとう」

 想像すらしていなかった返しに思わずたじろいでしまう。


 アレクスにアレクシアと2人分の記憶を持つアレクシスであったが、何方どちらも女性関係はうとつたない。拙い2人が合わさったところで+要素は如何ほどもなかったのだろう。

 後世に燦燦とその名を残すアレクシス、彼については後に沢山の書物が書かれ、その人物が語られる事になるが、彼が妻以外の女性に懸想したと言う話は終ぞ聞かないのである。


 ◆◆


 同日未明、驚きの一報がローゼンヌへもたらされる。

 

「アデン男爵の軍勢が領境を超え、我が領ローゼンヌ内に侵入いたしました。軍勢の数は400、直ちに軍を派遣されたし!」

 領境に配置してあった監視兵より、アデン男爵軍越境の報がもたらされた。

 一時は驚きと、若干の動揺を見せていたローゼンヌ子爵ツァハリアスであったが、すぐさま平静を取り戻すと事態の収拾に取り掛かり始めていた。

 アデン男爵領はローゼンヌ領都ローリエから程近く、街道に沿って移動すれば2日、街道を通らず直線距離で進むと1日とかからない距離であったため、可及的速やかに軍勢を集める必要があったのだ。

 軍というモノが行動を起こすには、輜重隊などの補給を受け持つ後方支援部隊が必ず必要であり、敵軍が街道を突っ切り移動してくる事はまず考えられないが、万が一に備える事は重要である。


「お父様、聞けばローリエを守る守備兵は、非番の者をかき集めても400にも満たないそうではありませんか、わたくしが全守備兵を率い敵の足止めをして参ります。その間お父様はローリエの予備兵や近隣より兵をお集めください」

 ツァハリアスの愛娘、ツェツィーリアが先ず守備兵全軍を持って出兵するという。

「ツェツィ、何も其方が出なくとも」

「もし敵が手持ちの食料のみで押し寄せたなら、あと半日もかからずにローリエへやって来ます。猶予はありません。それに私が兵を率い街道を進んだにもかかわらず、敵がローリエへ直進するのであれば、その後背を突く好機にもなりますから」

「それは、そうだが」

「幼き頃より槍に乗馬と、男の真似事ばかりしてとご心配をおかけしましたが、それもみな今日この為にあったのですよお父様」

 言うやいなや父ツァハリアスの許可も得ずツェツィーリアは立ち上がり、全守備兵に招集をかける。

「我が家の危急存亡の時、急いで兵を集めてください」

 ツェツィーリアの命を受け、各員が慌ただしく散っていった。


 もし敵が雷電が如く奇襲戦法を選択していたら、時間の猶予は幾許もない。

 大急ぎでローリエ守備兵をまとめあげ、武装と指揮系統の最終確認を行ったツェツィーリアはローリエを出立した。

 この時ツェツィーリアは20歳、初めての出陣である。


↓ ツェツィーリア出陣 挿絵です ↓ 

https://kakuyomu.jp/users/MinawaKanzaki/news/16818023214060544500 

  

 ツェツィーリアが守備兵をまとめ上げ出陣しようとする頃、父ツァハリアスも多忙を極めていた。

 まずローリエには守備兵がいない。いや、正確に言うといなくなった。

 敵の来襲が予測されるいま、迅速に兵を集める必要がある。

 平時、常態的に城や都市を守る兵士はそう多くない、兵の維持には莫大な経費がかかるためだ。ゆえに普段は民として生活しながらも非常の際には馳せ参じ、戦うために定期的に訓練を受けている予備兵や、兵士を辞めた後も非常時には馳せ参じる約束の退役兵という仕組みがある。

 まずそれらの者を急ぎ集めなければならない。それでも足りない場合は立札を出して兵を募ったり、強制的に徴発するのである。

 兵の招集と並行して、輜重しちょうも連れずに出陣した娘ツェツィーリアの為に輜重隊を編成する必要もあったのだ。


 やる事はまだまだある。

 借りを作るのは出来るだけ避けたかったが、いざとなれば帝国摂政たる公爵閣下へ和議の依頼もしなければならず、念のため親書を用意しておく必要があった。

 隣領であり縁戚でもあるローゼリアへ援軍の派兵を願うべきかも思案を重ねていたが、敵は400であり、連絡員から敗戦によりフランツ伯が亡くなった事を聞いていたツァハリアスは、ローゼリアへの援軍要請は行わないとの判断に至る。

「我々も大変だが、ローゼリアは更に大変に違いない……。いまは援軍など出せる状況ではないだろう」

 ローゼリア宛に用意した親書を、そっと破り捨てるツァハリアスであった。

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