4話、悪い予感

 ※7/12,8話「この世こそ地獄、前編」末まで大幅改稿済みです。詳細は近況ノートをご確認ください。


「賊を発見致しました! 閣下、ご命令を!」

 斥候の緊迫した声が陣内へ響くと、ローゼリア軍を率いる父上は鋭い眼光で前方を睨みつけ、即座に指示を飛ばしていく。


「全軍、横陣に展開せよ! 森があるゆえ効果は薄いだろうが、牽制に数射のち突撃に移れ。エイブラム、詳細な指揮は任せる。ただし、一人たりとも逃がすな!」

「ははっ!」

 父上の号令が響き渡ると、ローツェン街道を北に向かって縦列で進軍していたローゼリア軍は、まるで一つの生き物のように素早く横陣へと陣形を変えていく。兵士たちの表情は一瞬にして引き締まり、張り詰めた空気が辺りを支配し始める。


 戦場で初めて握る槍の柄にはじわりと汗が滲んで、まるで息をするのも憚られるような感覚に囚われる。


「父上、ここではよく見えません。少し前へ行ってもよいですか?」

 今日が初陣である僕は、後方から広く前方を見渡すような視点は慣れていなかった。それに、父上がいるこの場所は後方に過ぎ、戦況を把握するにはあまりにも遠すぎる。前線で何が起きているのか、この距離ではほとんど分からない。

 せっかく戦場まで来たんだ。ここで学ばなければ、何のために来たのか分からないじゃないか。

 戦況を詳しく観察し、戦術や指揮について学ぶために、少しでも前線に近い場所へ移動したいと願い出ると。

「気を付けて行きなさい。ただし前に出過ぎるなよ?」

 父上は僕を見ることなく、前線へ赴くことを許してくれた。


 同じ見ないでも、アルザスのとは意味合いが違う。刻一刻と変わる戦況を見逃すまいと、指揮官たる父上の気持ちの表れだと思われたし、領主の息子として見習わないといけない部分だよ。

 なら、僕はせめて父上の邪魔にだけはなるまいと、声を出さずにただ頷き、側近の従騎士たちを引き連れ本陣から前線の中ほどへと向かった。前線へ近づくほどに、そこにいる兵士たちの面持ちは緊張度を増していく。


 ほどなく、前線の中ほどにいるエイブラムの元へ到着するも、彼は前線の指揮に忙しく、僕たちへ言葉を発することはなかった。ただこちらを見て一瞬驚いたあと、手を数度動かして近くまで来るようにと促してくれる。

 エイブラムの傍らで指揮の様子を伺うという、またとない機会を得た僕は、固唾を飲んでその様子を見守る事にした。


「このまま徒歩にて前進、敵を射程に捉えたら弓を斉射三連せよ。騎馬隊は森ゆえ後方待機。ただし、いつでも出撃できるよう準備は怠るなッ」

 エイブラムの枯れた声が、戦場に響き渡る。

 その声には、長年の経験から培われた冷静さと同時に、絶対に敵を逃がさぬという強い意志が込められていたように思う。

「それから、くれぐれも矢を撃ちすぎるなよ? 距離があるうちに森へ逃げられるとかなわんからな」

 エイブラムは、若き弓兵たちに注意を促すことも忘れていなかった。

 彼は僕の剣術や槍術の師でもある。若者の指導はお手の物なんだろう。


 矢継ぎ早に号令を下すと、ローゼリア軍はまるで一つの生き物のように動き出す。主力である歩兵部隊は横一線に整然と隊列を組み、その光景はまさに圧巻の一言に尽きる。統制のとれた歩兵たちは、静かに、確実に前へと進み敵との距離を縮めていく。このまま互いに正面からぶつかり合う、激しい戦闘が予想された。


「これが初陣か……」

 戦場が放つ独特の雰囲気に、嫌な汗が噴き出し、息が詰まりそうになる。

 僕の目の前で、今まさに戦いの幕が切って落とされようとしていたのだ。

 傍らには、僕付きの従騎士の中でも特に秀でた四人が周りを固めている。ヴァイスにオスヴァルト、アイリーンそしてホルガー。彼ら四人は、主君である僕を守るため周囲に気を配り、警戒の色を強めていく。

 

 そして、ついに戦いの火蓋が切られた。

 轟音と共に、兵士たちの怒号が戦場を満たし、生死を賭けた戦いが始まる。

 僕は、狂気と興奮が入り混じる戦場に身を置きながら、しっかりと前を見据え、自らの初陣に臨む。


 エイブラムは、敵兵との距離を測りつつ、弓斉射のタイミングを図っているようだ。

「弓隊構え、慌てるなよ? 歩兵隊は盾を忘れるな!」

 弓兵たちは指示に従い、緊張した面持ちで弓を強く引き絞る。

「よし、今だ! 斉射三連、放てーっ!」

 エイブラムの号令が轟くと、弓兵たちは番えた矢を次々に空へと放つ。

 ビュンビュン、ビュビュン、ビュビュッと、強く張られた弦が空気を引き裂く音と共に、数十本の黒い影が放物線を描きながら敵めがけて飛翔する。

 ローゼリア弓兵の矢の雨を浴びた敵兵は、バタバタと倒れその数を減らしていく。しかし、木々が盾となり、思ったほどの戦果が出ていないようにも見える。あるいは、エイブラムが言った通り、敵の森への退却を防ぐために、あえて攻撃を抑えているのかもしれない。その辺りの戦場の機微は今の僕にはまだわからなかった。


「ふむ、賊ゆえ弓の反撃も無しか、よし」

 敵弓兵による矢の応射は無い。

 そう判断したエイブラムは、主力である歩兵部隊へ突撃を命じる。

「歩兵隊突撃せよ! 騎兵隊は森から飛び出した敵小勢を討て! 賊を逃がすな!」

 オオオオオオオオォ

 数百人の歩兵が一斉に雄たけびを上げ、敵陣に向かって突撃を開始した。

 その光景は、まるで大地を揺るがす地鳴りのようだった。


「すごい迫力だな……」

 僕は初めて目にする戦場の光景に圧倒されながらも、興奮を抑えきれずにいた。


 馬というのは存外高いもので、騎乗していると意外と先がよく見える。

 数多の兵士たちの叫び声が交錯する中、両軍の前衛が激しく激突した。

 この戦いは領地軍対野盗の戦いであり、装備、練度共に充実した我々が有利なのは間違いなく、量も質も大きく劣る野盗に負けるはずがない。


 両軍が激突してから、そうときを置かずして、戦況はローゼリア軍へと傾き始める。

 訓練された動きと、統率の取れた連携に晒された野盗たちは、次々と討たれ、或いは傷を負い後退していく。

「敵が崩れ始めたぞ!」

 どこからともなく声が上がり、ローゼリア軍の士気はさらに高まる。

 敵軍は予想以上に脆く、衝突から僅かな時間で統制を失ってバラバラと後退し始める。そして、まるで潮が引くように、森の中へと逃げ込んでいった。

 

「勝ちましたな、若」

 我が家の重鎮でもあるエイブラムの言葉に、僕の心はようやく安堵の時を迎える。

 ちらりと横目で見ると、アイリーンやオスヴァルトらも、緊張から解放されたような、安堵の笑みを浮かべていた。

 そう、僕が初陣であったように、彼ら彼女だって初陣だったのだ。

 見せなかっただけで、緊張に身をすり減らしていたのは間違い無い。


 勝ち戦の勢いに乗じた味方は敵を追い、今こそ殲滅せん。と森の中へ怒涛の追撃を見せる。木々が邪魔で視界の通りは悪いが、森のあちこちで戦闘が行われているのであろう。そこかしこで剣戟の音が鳴り響いていた。

 しかし、至極順調そうに見えた森への追撃戦も、徐々に勢いに陰りが見え始め、敵の反撃がその圧を強めているように見える。我が軍の主力である歩兵部隊は領都ローゼンハーフェンの守備兵達であり、数こそは少ないものの、戦いを生業としている者達だ。野盗や賊と言われる輩とは練度、武装とも大きく違うはずなのに……。


 じわじわと巻き返され始めるこの状況に、僕は理解が追いつかなかった。


「何かがおかしい……」

 一方的に優勢であったはずの我が軍の足が、まるで底なし沼に沈み込むかのように止まっていく。

「森の中に伏せてあった敵兵が、想定よりも遥かに多かったのか?」

 エイブラムもまた、戦場に漂い始めた不穏な空気を察知しているようだった。

 嫌な予感が、チリリと僕の胸を締め付ける。こういう時の勘は、残酷なほどによく当たるのだ。


「直接前で確認して参りますゆえ、若は念のため後ろにお下がりくだされ」

 エイブラムがそう告げ、馬に拍車をかけようとした矢先、後方から血相を変えた兵士が我らの近くに駆け込んできた。

「敵襲! 後ろから敵が!」

 混乱気味に叫ぶ兵士の声は、戦場により深刻な混乱の渦を巻き起こす。

「後ろにも敵だ!」

「うわあああああ」

「逃げろ! 逃げろーっ!」


「後方へ敵襲だと? そんな馬鹿な事があるか! どこの軍勢だと言うのだ。ええぃ落ち着け、敵の旗印を確認したのか!」

 エイブラムは必死に声を張り上げ、事態の収拾を図ろうと部下たちに指示を飛ばす。だが戦場は、現れるはずのない敵に、予期せぬ挟撃によって瞬く間に修羅と化していた。


 錯綜する情報が恐怖を増幅させ、兵士たちの士気を容赦なく削っていく。信じられないだろうが、恐怖は伝播していくのだ。


 戦場のただならぬ様子に、何かを感じたのか。

 ヴァイスが距離を詰めて、僕へと近づく。

「お近くでお守りします」

「ありがとうヴァイス」

 本当は……、血を分けた兄弟である、アルザスに疎まれていたのを知っていた。

 槍を振るえば力なく、剣を振っても訓練用の人形すら切れやしない。

 『なんだこれは』と蔑むように見る目でわかっていた。僕にだってそれくらいわかる。


 今でこそ威風堂々としているけれど、ヴァイスも昔は僕みたいだったんだ。信じられるかい? 気の合った僕らはいつも一緒にいた。父や母の手前、声に出して言えなかったけど、本当の兄弟のように育ったと思う。

 いつだったかな? ある夏の日、僕らは領主屋敷の庭でかくれんぼをしていたんだけど、僕が鬼の番で、ヴァイスが隠れる役だったと思う。頑張って探すんだけど、なかなかヴァイスが見つからない。日が暮れ始めて、僕は少し怖くなって来る。でも、ヴァイスを置いて帰るわけにはいかない。


「ヴァイス、もういいかい?」

 僕はべそをかきながら何度も呼んだ。すると、どこからともなく声が聞こえてくるんだけど、どうやらその声も涙交じりなんだ。なかなか見つけられない僕も、見つけてもらえないヴァイスも、寂しくてべそをかいた。

 今思い出せば何て恥ずかしいんだろう。

 でも、そんなエピソードは山ほどあるんだ。


 そんな彼がさ、僕を守ると言うんだ。

 恐怖と不安で押しつぶされそうだった僕の心は、嘘のように平静を取り戻した。

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