38話、私の秘密

 幼帝崩御の報から、幾日かが経過したある日の午後。

 家令のハーマンが執務室に飛び込んできた。その剣幕に私は思わずペンを置き顔を上げる。普段は冷静なハーマンが、ここまで慌てているのは珍しい。


「どうしたんだハーマン。落ち着いて話せ」

 まずは落ち着くよう声を掛ける。

 ハーマンは数回呼吸を繰り返し、息を整えると。

「隣領のドレイク男爵家より、急ぎの使者が到着いたしました」

 と言うではないか。何か不穏な事態が起こっていることは明白だった。


「使者の口上は? 内容は聞いておるのか?」

「どうやら、援軍要請のようです」

「援軍だと!? わかった、会おう」

 

 使者の訪問理由に思わず眉をひそめる。

 我が領隣のドレイク男爵家が、東の大領であるワンベルク伯爵に時折嫌がらせを受けているという情報は掴んでいた。とはいえ、当家への援軍要請など初めての事だったからだ。


 ハーマンに命じ使者を迎え入れると、ドレイク男爵家の紋章が描かれた外套を羽織った男が、緊張した面持ちで深く頭を下げる。

 身なりからして、ある程度の身分の者である事が伺えた。

「ローゼリア伯爵閣下、ドレイク男爵家騎士のガルシアと申します。この度は貴殿にご助力を賜りたく参上いたしました。まずは、当家の窮状をお聞き届けください」

 窮状か、まずは聞いてみなければ始まらんな……。

「申してみよ」

 使者は深々と頭を下げて、言葉を続ける。

「東の大領、ワンベルク伯爵家が我が領に攻め入る動きを見せております。つきましてはローゼリアの皆様に援軍を賜りたく、僭越ながら参上いたしました。何卒、お力添えを賜りますよう、伏してお願い申し上げます」


 使者の口上に思わず腕を組み、深く息を吐く。

 ワンベルク伯爵家と言えば、最東のノルデンブルク辺境伯家程とはいかないものの、東部地域の大領主の一人でもある。

 ただ、我がローゼリアとは父上の代から不仲であり関係ははっきり言って良くない。なぜなら、民には重税を課し己どもは華美に暮らすという、我ら親子が嫌う貴族像を地で行く家であったためだ。


 伯爵家が、なぜ小さなドレイク男爵領に牙を剥くのか。その真意は定かではないが、放っておけばいずれローゼリアにも危険が及ぶ可能性は高く、放置できる問題ではない。

 

「伯爵家がなぜドレイク男爵家に侵攻するのか、その理由は掴んでいるか?」

「正確にはわかりませんが、野心ゆえかと。以前から度々我が領への圧力はございました。陛下のご崩御から、新帝ご即位されない状況にタガがはずれたのかもしれませぬ」


 帝国にもはや力無し。となれば、動き始める家は多そうだ。

 公爵の息のかかった家などは特にそうであろう。

 しかし、また野心か……。

 平和を願う気持ちなど微塵もなく、権力や領土拡大に血道を上げる貴族たち。そんな彼らのせいで、領民たちは不安と恐怖に怯え、平和な日々を奪われている。


 自らの利益を優先する輩が多すぎる。

 眼は焦点をややずらして、やりきれない思いが心へと湧く。

 

「ありえる話ではあるな、して敵軍勢の規模は?」

「密偵からの報によりますと、伯爵家領内から続々と兵が集結しつつあり、その数はおよそ8000から1万程。出陣から我が領到着まで一週間程度と予測しています」

「多いな……、ドレイク男爵家の兵力は如何ほどになる?」

「お恥ずかしながら、1000が精一杯でございます」

「他にも援軍の当てはあるのか?」


「──正直に申し上げると……ありませぬ。ローゼンヌ家に援軍を出された閣下なら、と藁にもすがる思いで訪問した次第。何卒、何卒お願い申し上げます」

 使者であるガルシアは、再び頭を下げた。

 彼の額は今にも地へ着きそうなほどであった。

 

 相手は最大で1万程の軍勢だそうだ。

 我が軍の全てを出したとしても、倍近い兵数となる。

 如何に我が軍が精強とは言え、無傷では済まないだろう。

 

 領主たる資格のない貴族達よ、為政者たりえない者たちよ。

 我らは全てを討つ。

 そう決めてはいるが、我らは既に西にアデン・ハーゲの2家を抱えている。

 ここで東に介入すれば2正面に敵を持つこととなる。これは苦しい。

 

 当家にとっても事は重大で、即答出来る内容では無かったため。

 ガルシア殿には一旦退いてもらう事とした。

 

 ◇◇

 

「ふぅ」

 領主家家族用の居間で、一人ワインを見つめながら息を吐いた。

 執務室に主だった者を集めて、軍議を行った結果は緩やかな肯定だったのだ。

 リンハルトや、アンネマリー、ユリシスら私の幕僚・参謀達の意見として共通していたのが私と同じ『同時に敵を複数持つことの危うさ』であった。

 だが、敵性領主に近いワンベルク伯爵家に、我が領都ローゼンハーフェンから近いドレイク男爵領を押さえさせるわけにはいかない。援軍止む無しという意見が大勢を占める事となる。


 援軍を出すなら勝つ事が絶対条件だ。

 これは、我が軍の陣容であればそう難しいことではない。そう聞けば『戦において絶対はない、何をか言わんや』と笑う者もいような。それは理解している。

 だが大勢の貴族家が、民兵が主力なのに対し我がローゼリアは常備軍が主力なのだ。装備の充足率や練度、士気において大きく他家に勝る。そこへ心血を注いだ他家を凌ぐ騎兵と長弓兵という武器に、優秀な配下達がおれば並みの家には負ける筈がない。私の自慢の者達なのだから。


 私の悩みは至極簡単で、だからこそ難しい。

 勝つだけでは駄目なのだ。出来るだけ早期に、極力損害を出さずに勝たねばならない。常備軍は減ったからと言って、簡単に補充できるものではないのだ。訓練や育成に莫大な費用と時間がかかる。

 この戦乱の世に、敵の多い我らにとって、訓練に割く時間は限られているのだから……。


 ガチャリ

 

 苦悩に満ちた表情でワイングラスを見つめていると、扉は静かに開かれて、そこには部屋着姿のツェツィーリアが立っていた。

 薄い水色のナイトドレスを纏った君は今日も美しい。

 白銀に近い金髪は緩く編まれて、肩にかかる様は上品で可憐だった。あの髪が、レムシュタットで私の肩に乗ったのを思い出して胸が少し苦しくなる。


「ツェツィ、君も飲むかい?」

 手に持ったワイングラスを軽く掲げて、彼女に尋ねる。

 ツェツィは私の問いかけに静かに頷いた。

「いただきます」

 ツェツィはお互いの体が付きはしない程度に、少しだけ距離を開けて私の隣に腰を下ろすと、部屋着姿の彼女から仄かに甘い香りが漂う。

「何かお悩みですか?」

「色々とね、叔父上は間に合うだろうか?」


「私は戦闘では役に立てないが、アレが間に合えば皆の大きな後押しとなるのだろう? 戦死者だって減るかもしれない。何があっても間に合わせるさ! と張り切って出ていかれましたよ」

 父の張り切る様子を、笑みを浮かべて伝える彼女。


 軍議の終わりごろであったか、リンハルトが以前から温めていた『馬車砦』なるモノを、此度の戦いで用いてみたいと言い出した。どういった物か聞いてみると、木で出来た移動式の矢狭間やざまを備えた壁だと言う。車輪を持つを馬で牽いて戦場へ運べば一瞬にして強固な防御陣地が出来る上がると。


 聞いてすぐに理解した。これは面白い。

 馬車砦の矢狭間やざまから長弓兵に射撃をさせ、馬車砦同士の隙間は兵士に防御させればよい。面のかなりの部分を馬車砦が支えてくれるのであれば、兵力の差はかなり埋める事が出来る。

 ドレイク男爵家への援軍に間に合うよう、急いで製造を指示した。

 発案者であるリンハルトは当然の事ながら、実際作るとなると色々と問題も出るだろう、アンネマリーやユリシスらを補助に付けた。各職人を束ねてどこでどう作るかなどの実務は叔父上に差配いただく。


「父上を含め皆が努力しています。きっと間にあうかと……」

「そうだな、どれだけの数が出来るかはわからないが、ある程度は間に合わせてくれると信じている」

 相手の数をものともしない、強固な防御陣地は目途がついた。

 あともう一手が欲しい。だが、これは危険な役目だ……。

「わが軍の今後を考えれば東に拘わっている暇はない。今回の戦いで、ワンベルク伯爵家には再起にしばらく時を有する程の被害を与えておきたい」

「そうですね。東西に敵を持つにしても、戦火を交える時期はずらしたいものです」


 私はワイングラスを置いてツェツィに向きなおる。

 苦悩に満ちた表情から、決意に満ちたものに変えて。


 ◆◆

 

「ツェツィ、頼みがある」

 彼の真剣な様子に、私は身構える。

「ワンベルク伯爵家との戦いを万全なモノとするために、南のヴァールハイト男爵に援軍を頼みたいのだ。ツェツィーリア、子爵の娘という君が使者であれば、男爵もすぐに会ってくれるだろう。頼まれてくれないか?」


 アレクシス様は、私と同じ蒼い瞳でじっと私を見つめていた。

 彼の真剣な姿に一瞬驚いてしまったけれど、すぐに決意を込めて頷き返す。


 先ほどからずっと悩んだご様子だったのは、もしかしてこれを私に言いたかった……から?

 

「わかりました。ヴァールハイト男爵に会い、必ずや援軍を取り付けてまいります」

「頼まれてくれるか? ありがとう、ツェツィ」

「あの、もしかして……」

「ん、何だい?」


「それを私へどう伝えるか悩んでおられたのですか?」

「──ああ、恥ずかしながらそうなんだ。心配だろ……?」

 気が付けば、私とアレクシス様の間には少し距離が開いていた気がしたの。

 そんな彼が私を想って悩み、心配で言いづらそうにしている姿を見て、私の心は温かく満たされる。


「同盟の使者を任せる事もそうだが、成れば山中を迂回してワンベルク伯爵軍の背後を突いて貰う事になるのだぞ? 相当に危険な役目だ。心配して当然だろう……、私の家族は皆短命なのだ……」


 言葉を濁しながら、最後は小さい声で呟く彼。

 これが隠されていた本音なのだとわかった私は、言葉を遮るようにして彼の手を優しく包んで微笑み返す。

 彼の苦しみが、孤独が少しでも癒されますようにと願いを込めて。

 

「アレクシス様? 私は必ず貴方の元へ帰りますから安心してください。そしてこれからの長い人生、何があっても貴方より長生きすると誓います。それが僅かな刻であっても……」


 私の死は、貴方には絶対に見せないと今決めました。

 

 あの蒼き旗を掲げて人々の為に立ち上がり、世のために槍を振るう。

 これから沢山の人が、世を変えるという夢の為に戦い死んでいくのでしょう。

 人として、武を嗜む者としてこれほどの幸せはないと私も思っていましたもの。

 

 そうして死んで行く仲間を見て、貴方は一人悲しむの?

 世を救えば救う程、貴方の悲しみは深くなってしまう?


 なら、私は彼より先に死なないわ。

 世のために槍を振るう?

 ううん。私だけは、この人のために槍を振るいたい。

 私だけは、この人のために生きると今日決めました。


 『私の家族は私を置いて皆いなくなる』その呪いは私が解いてあげるから……。

 誰にも言えない私だけの秘密。

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