37話、幼帝崩御、黄金鷲と雷光旗は地に堕ちた

 帝城の奥深く、重厚かつ煌びやかな扉の先に広がる謁見の間。

 ここは、静寂と威厳が支配する空間である。

 高くアーチを描く天井や柱には精緻な彫刻や絵が施され、その下には黄金のシャンデリアが煌々と輝きを放ち、赤絨毯を敷き詰めた床を美しく照らし出している。

 

 彼は見つめていた。

 最奥にある黄金に輝く玉座を……。

 それは帝国の権力と栄光の象徴であり、皇帝のみが座ることを許された特別な場所なのだ。その玉座を寂しく見つめながら黒騎士ハルトムートは片膝を付いて、静かにその時を待っていた。


「摂政ゲーベンドルフ公爵、御成り~」

 侍従の高らかな声が謁見の間へ響き渡ると、ハルトムートは改めてゆっくりと顔を下ろす。重き扉が開かれ摂政ゲーベンドルフ公爵が入場する。豪奢なローブを身に纏い、威厳に満ちた格好の男は玉座の前に立つと、鋭い視線をハルトムートへと向けた。


「黒騎士ハルトムートよ、貴様、戦地を離れて何をしに来た?」

 軍には軍の法がある。

 指揮官が上の許しなく、勝手に戦地を離れるなどもってのほかである。


「殿下、突然の参上お許しください。実は、戦地にて良くない噂を耳に致しました」

「どんな噂だ?」

「皇帝陛下がご崩御されたと言うのです……。この噂、誠でしょうか?」


「ふむ、ハルトムートよ。おかしいのう、其方には大公領を攻略せよ。と厳命し一軍を任せていたはずだが……まさか、もう勝ったのか?」

「いえ……」

「そうよのう。別の軍を任せておるバルタザールからは戦勝の報告を受けておらん。では、なぜここにいる? まさか、噂程度の為に軍を置いて一人戻ったのではあるまいな?」

 ハルトムートの表情は凍てつく湖のように静かで、感情を読み取ることは難しい。されど薄く刻まれた眉間の皺や、固く結ばれた唇と虚空を見つめる瞳、それら全てが物言いたげに語っていた。


「──殿下、私は帝国の……、陛下の臣でございます。陛下の御身に何かあったとあらば馳せ参じるのが当然ではありませんか。何卒陛下に一目合わせて頂きたい」

「ならん。将である貴様が自ら軍規を破るというのか? すぐに前線へ戻れ」

「ですが、殿下ッ」

「くどい、余の命令が聞けんのかッ!」

 それでもハルトムートは退かなかった。

 膝を付きこうべを垂れ恭順の意を示してはいたが、陛下に一目会うまでは絶対に引かないと決意を胸に秘めて、摂政ゲーベンドルフと相対しているに違いない。

 摂政ゲーベンドルフ公爵は、そんなハルトムートのかたくなな態度に苛立ちを募らせながらも、その瞳の奥に宿る強い意志を感じ取る。


 そして摂政ゲーベンドルフ公爵は一瞬沈黙し、やがて重々しく口を開いた。

「ハルトムートよ、もはや陛下はこの世にはおられぬ。崩御あそばされたのだ」


 『陛下崩御』の噂を聞いた時、嫌な予感はしたのだろう。

 ここ最近、表舞台へ出てくるのは摂政殿下のみで、陛下の御姿をお見掛けする事はなかった。それでも、存命へ一縷の望みをかけていたのだろう。

 

「そ、そんな……、噂は本当だったと……」

 ハルトムートはがっくりと肩を落とす。

「──では、せめて亡き陛下に、一目お別れを告げさせていただけないでしょうか」

 深く頭を下げるハルトムートの声は微かに震えており、それは怒りゆえか、悲しみにおいてなのかはわからない。

 そんなハルトムートへ向けて、摂政は冷淡な視線を向ける。

「もう遅い。陛下の玉体はすでに埋葬された後だ」

「な、なぜ!? 埋葬が速すぎませんか!」

 民に知らされず、国葬もされずに埋葬されるのはおかしい。

 ハルトムートの問いに、摂政ゲーベンドルフ公爵はわずかに眉をひそめる。


「貴様、何が言いたい!」

「……」

 怒号を放つ摂政殿下へ、これ以上問う事は出来なかった。

 彼にはまだ、守るべきものがいるからだ。

「誠に残念ながら陛下は崩御され、すでに御陵に葬られておる。わかったらすぐ戦場へ戻れ、良いな?」

 摂政ゲーベンドルフ公爵は冷たく言い放つと、ハルトムートを一瞥することなく踵を返し立ち去った。その背中は、まるでハルトムートの悲しみを嘲笑うかのように、ゆっくりと玉座から遠ざかっていった。


 ──ゴルトブリッツ帝国には数多の将がいるが、その中でも際立って強く、特筆すべき将が3人がいる。一人は『炎将』の異名を持つバルタザール・フォン・グスタフ。彼の圧倒的な武勇は敵味方問わず恐れられていて、その苛烈で激烈なる戦いぶりが、戦場を炎で焼き尽くすほどの猛攻を、人々は彼へ畏怖の念を込めて『炎将』と呼ぶ。

 そしてもう一人が『黒騎士』ハルトムート・フォン・アムマインであり、先ほどまで帝国摂政であるアーレ・ヒスハイン・フォン・ゲーベンドルフ公爵の前で片膝を付きこうべを垂れていた男である。


 黒騎士ハルトムートは漆黒の瞳で、座す者のいない玉座を見つめていた。

 その端正な顔立ちとは裏腹に、戦場では冷徹な判断力と卓越した剣技で敵を圧倒するこの男は、有体に言えばバルタザールと違い、曲がった事を嫌う。正々堂々とした戦いを信条とする男であった。

「せめて、皇太后さまだけでもお守りせねば……」

 実直さゆえの無理を押した帰還であったが、終ぞ陛下と会う事は敵わなかった。

 今日よりあと、誰が為に戦うのか……、忠義とは何か、苦悩の日々を歩む男の姿がここにあった。


 帝国歴203年9月13日

 ゴルトブリッツ帝国全土を激震が襲う。

 夕焼けに煌めく帝都カイゼルブリッツ、ここはゴルトブリッツ帝国の歴代皇帝が座す帝国の首都である。その巨大な城郭の北部にそびえ立つ荘厳な帝城の一室で、幼帝ルートヴィヒ・アウグスト・フォン・ゴルトブリッツがよわい9歳にして崩御したという知らせが、帝国摂政ゲーベンドルフ公爵の名において正式に発表されたからだ。


 その発表からのち、帝都では鐘楼の鐘が悲しげに鳴り響き、荘厳な帝城の城門に掲げられた帝国旗が、ゆっくりと降ろされていく。黄金の鷲と雷光が描かれた旗は悲しげに空へと浮かびて、やがて旗竿の中ほどで静かに止まる。

 半旗となり風になびかぬ帝国旗は、帝国の将来への不安と、これから訪れるであろう変化の予感を静かに告げているようであった。


 ◇◇


 バルタザール・フォン・グスタフ。

 彼こそがいま帝国軍で最も強き男であり、その武勇は他の追随を許さない。

 最も強き者は? と聞かれ帝国三将と答える者は多いが、実際はバルタザールが抜けて強く、後の2人は何とか追随しているような形である。

 まさに帝国最強の将であり、彼が一旦戦場へ姿を現せば、兵士たちは恐れ慄き畏怖を呼び起こすほどであった。


「全軍、突撃せよ!」

 バルタザールの号令一下、公爵軍は怒涛の勢いで敵陣へと殺到する。

 命令を下したバルタザール自身が、先陣を切って敵の戦列へと突入してゆくのだ。

 その斧技は剛力にて神速、瞬く間に無数の大公兵を薙ぎ倒し、戦場を真っ赤に染めていく。


 だが大公軍も、帝国軍最強の将を容易く討てるとは考えていない。

 彼さえ討てれば戦局は大きく大公軍側に傾くに違いないと、無理を押して兵を集め、多大な戦力を用意していたのだ。彼を倒すためだけにだ。

 本戦いにおいて数で大きく勝る大公軍は、バルタザールが率いし軍を幾重にも包囲し殲滅を図ろうとしている。


 しかしこの男バルタザールは怯むどころか、その包囲網を見つめて笑うではないか。

「愚か者めが、雑兵なぞ幾らいようがこのバルタザールにとっては無意味」

 鬼人の様な突撃で、大公軍を切り裂いていくのである。

「フハハハハ、脆い、脆すぎるぞ大公軍よ」


 バルタザール・フォン・グスタフは、帝国歴代最強の将と謳われるほどの武勇を誇りながらも、本来忠誠を誓うべき皇帝ではなく、公爵に仕えていた。

 彼はその強さゆえにある種傲慢であり、忠義の心などは持ち合わせていない。彼にとって最も重要なのは戦であり、誰のために戦うかは二の次なのだ。


 戦場においては比類なき無双を誇るが、その傲慢さと短慮ゆえに周囲との軋轢を生むこともしばしばである。しかし、この男にとってはそれすらも些細な問題であり、戦場と勝利こそが全てなのである。


 この男の心中には、戦への飽くなき渇望と、勝利への絶対的な自信が渦巻いている。そして、その渇望と自信を満たすのに一番都合が良い男が公爵だっただけだ。

 皇帝は幼く、そして傀儡である。

 そんな皇帝の下では戦働きなど出来ようがない。だから見限った。

 バルタザールは今日も公爵の旗の下、戦場へと身を投じ血の雨を降らせている。


 ◆◆

 

 帝国からローゼリアへと使者が訪れ、皇帝崩御の知らせが届けられる。

 その報を聞いたアレクシスは喫緊に皆を集め、会議を開いていた。

 

「そうか、皇帝が亡くなったか……」

 私の物言いに、一部の者たちがざわつきを見せている。

 帝国の皇帝陛下を相手にそんな物言いが許されるのか? と驚いたのであろうな。

 

 女神様の奇跡により、私は再びこの世に戻る事が出来た。

 アレクスと1つになる前、所謂前世という奴か……。私はローゼンクランツ王国の王太子アレクシアであったのだ。そんな私とローゼンクランツ王国が滅する直接の原因となったのは臣であるゴドフリートが裏切ったからだった。

 たまたま近衛兵の訓練を視察中だった私だけ難を逃れる形となったが、近衛練兵場は所詮城内である。私兵を引き連れて宮城を襲ったゴドフリートの兵と戦闘になるは必定。


 手勢はわずかな近衛のみ。

 皆が奮戦するも剣折れ矢は尽き、体中が血まみれだった私が最後に見た光景。それはゴドフリートが玉座に座り、その周りに幼い兄弟たちの亡骸が転がるというものだった。忘れもしないあの男の名は……そう。

 ──ゴドフリート・フォン・ゴルトブリッツ。

 幼帝はあの男の子孫だったのだ。

 私に敬えと言う方が無理であろう。


「国を統治せずして何が皇帝か、おそれ敬う必要なぞない」

 私の発言に場は静まり返る。

 私の心中を語る必要も無い。前世の事はなおさらである。

 ただどちらにしろ我がローゼリアは、我欲に生き、為政者たるを成さない貴族は全て討ち滅ぼすつもりでいるし、一部の者には公言している。それは皇帝であっても例外ではないとな……、だからこの物言いは不自然ではない。

 

「ただな……皆、齢9歳にして亡くなったのは不憫ではある。亡き陛下のために黙祷を捧げようではないか」

 私は静かに目を閉じて、深く頭を下げた。

 亡くなったゴルトブリッツ家の皇帝へではなく、野望高き男の野心に晒され、不運な生涯を送る事になった一人の幼子に対して黙とうを捧ぐのだ。 臣下たちも、私の後を追って亡き幼帝の為に黙祷を捧げていた。


 黙祷が終わり、わずかに沈黙が訪れた頃。

「閣下……」

「どうした? ツェツィ」

「私も子爵の娘です。幼少より色々と学び、聞き及んでおりますが、帝家にはもう……男子はおられないのでは?」

 ツェツィーリアはその美しい顔を曇らせて、深い憂いを帯びた声で呟いた。

 普段あまり見せない表情に、私の心はざわついてしまう。

 行き場所を失った私の想いが、出口を求めてさまようように。

 

「私もそう聞いている……。直系の男子はもういない。血縁の男子と言えば大公殿下とその嫡子殿くらいではないか?」

 

 ──幼帝ルートヴィヒの突然の崩御は、帝国に激震をもたらした。

 幼齢ゆえ妻は未だおらず、後継者となるべき皇子は当然いない。帝位継承権を持つのは皇帝の大叔父にあたる大公とその子のみであるが、彼らは摂政ゲーベンドルフ公爵と戦争中であった。とても即位出来るような状況ではない。


 黄金鷲と雷光旗は地に堕ちたのだ。


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神崎水花です。

ローゼンクランツ王国再興記を、お読みくださりありがとうございます。


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