8話、この世こそ地獄、前編
※7/12,8話「この世こそ地獄、前編」末まで大幅改稿済みです。詳細は近況ノートをご確認ください。
夜通し戦い、逃げ続けてきたんだ。
体も心も、正直もう限界だったと思う。
けど、ゆっくりと休んでいる暇など、僕にはなかった。
父上がいない今、僕はローゼリア家の当主なのだから。
まだ信じたくはないさ。当たり前だろ?
だけど父上、フランツ・フォン・ローゼリアが、弟アルザスの裏切りによって討たれたという報せは、あまりにも重く、僕の心を鉛のように沈ませるんだ。
アルザスと、アウグストが轡を並べていたあの光景を見ただろ。
人を見下すような、あのアルザスの嘲笑。
そして、父上がいた場所を埋め尽くす無数の敵兵たち。
すべての状況が、父上がもうこの世にいないことを、残酷なまでに物語っていたよ。
「父上……」
認めたくない、断じて認めたくない……。
声にならない悲鳴が、喉の奥で詰まる。
やるべきことは山のようにあるけど、忙しいのは良いことなのかもしれないな。
忙しくしていれば、父上のことも、アルザスのことも考えなくてすむから。
本当はそれも、ただの現実逃避でしかないことを分かっていたんだ。
けれど今は、この忙しさに
まずは、捕らえたアウグストの処置について進めなければ。
「ハーマン、アウグスト殿を捕えてきた。治療は必ず牢の中で行って欲しい。何があっても決して逃がさないように」
「かしこまりました、アレクス様」
ハーマンが深々と頭を下げて、アウグストを連れて行こうとした。
僕は慌ててそれを制止し、オスヴァルトと数名の兵士にも同行を命じる。
絶対に逃がさない。
万に一つの可能性も与えないために。
「オスヴァルト、疲れてる所申し訳ないけど、頼んだよ」
「はっ、お任せください。アレクス様こそお疲れでしょうに……」
僕の意図を知るオスヴァルトは、決意に満ちた表情で頷きつつも、僕の身を心配してくれていた。意外と優しいんだよな、オスヴァルトは……。
その後、僕は領都の有力者たちや、父上の配下の者たちの家族への対応に追われる事となる。屋敷の門前は、不安と焦りで顔を青くした人々で
「アレクス様、戦いは一体どうなったのでしょうか」
「私の夫が……まだ戻らないのです!」
「なぜフランツ様は、お戻りにならないのですか?」
矢継ぎ早に質問が飛んでくる。
商家を営む者にとっては、我が家の行く末は気になる所だろうし、愛する者を戦場へ送った者はその安否を気遣い、必死に答えを求めてくる。
けど、今分かっていることは、ローゼリア軍は敗北し、アルザスが裏切ったということだけ。それ以外はまだ何もわからないんだ。
「今はまだ、詳しいことは何もわかりません。ですが、このローゼンハーフェンが陥落する事はありませんから。どうかご安心ください」
僕は、絞り出すような声で答える。
こうとしか、答えようがなかった……。
「名を明かす事は出来ませんが、敵の有力な人物を捕虜としました。そこから得た情報は必ず皆さんにお伝えします」
僕の話に、わずかな希望の光を灯す者もいれば、変わらず絶望に打ちひしがれる者も大勢いた。
「どうか気を強く持って頂きたい」
僕は、そう言葉をかけるのが精一杯だった。
次は撤退して来た兵士達の処遇についてか。
敵の嫡男であるアウグストを捕らえることが出来たのは、願ってもない幸運だった。これで、敵もそう易々と攻めては来られないだろう。彼がレーヴァンツェーン家の唯一の男子であることを考えれば、なおさらな筈。
だが、油断は禁物だ。
いまだ安心できる状況ではない以上、兵たちを解散させるわけにもいかない。
ならば、どうするべきか……。
夜通し駆けてきた兵たちには、なによりも食事と休息が必要だろう。怪我が酷い者には手当もしてやらねば。
考えがまとまった僕は、ヴァイスを呼び寄せる。
さすがのヴァイスも疲労の色が滲み出ていたけど、目はまだ力強い。
「大広間に天幕を張ってくれないか。兵たちは疲れ切っている。少しでも早く休ませ、食事と治療を受けさせたい」
「かしこまりました、アレクス様」
ヴァイスは深く頷くと、早速指示を出し始める。
各所から緊急招集された使用人たちが、慌ただしく動き周り、まだ動ける兵士たちも、天幕を張る作業を懸命に手伝っていた。
あとはアイリーンに治療の指示をすれば、少し休めるかな。
忙しい方が良い。なんて言ってしまったけど、やはり体は正直だね。
「アイリーン、君は修道院へ行って
僕は、アイリーンへと視線を向ける。
「ふう」
そして思わず息を吐いてしまった。
どうにも体の調子が良くない。
「承知しましたが、若様? 少し休まれた方が……、顔色が良くないですよ」
「そんなに?」
「はい」
彼女は修道院へ向かわずに、心配そうな目で僕を見ていた。
「寝ずの退却戦と戦闘で、疲れたのかもしれないね」
「修道院へは後で行っておきますから、まずはお屋敷まで戻りましょう」
アイリーンは優しく微笑みながら、僕を促す。
皆も同じように疲れてるはずなのに、情けない……。
僕は彼女の言葉を受け入れ、屋敷へと戻ることにした。
屋敷へと向かう途中、何度か足元がおぼつかなくなり、よろめく僕の体を懸命に支えるアイリーン。
「ごめん」
「大丈夫です若様、もう少しですから頑張ってください」
彼女も疲れてるはずなのに、懸命に僕を支え励ましてくれる。
守られるべき立場である自分が、守られている。
その事実に、申し訳なさと同時に、温かいものが込み上げてくるのを感じた。
彼女の手を借りながらも、どうにか屋敷へと到着すると、心配そうな表情をしたハーマンやアンネマリー、その他の使用人たちが僕を迎え入れてくれた。
「アレクス様、大丈夫ですか?」
アンネマリーの心配で泣きそうな表情に、僕は申し訳なさを感じながらも、精一杯の笑顔を作って見せる。
「皆すまない、寝ずの退却戦で少し疲れてしまったみたいだ。少し休ませてもらうよ」
僕は皆の心配を振り払うように、部屋へと向かう。
元々体は丈夫ではない僕だけど、こんなに調子が悪いのは初めての事だ。
「アイリーンここまでありがとう」
「いえ若様、無理はダメですからね? ちゃんと休んでください」
◆◆
「誰か! 誰かいませんか!」
門前に詰めていた兵士が、血相を変えて屋敷へ飛び込んできた。
息を切らし、周囲をキョロキョロと見回している。
一体何事だというのだろう。
「一体何事だ! ここはご領主様のお屋敷ぞ」
私は、兵士の慌てぶりに声をかける。
「は、ハーマン様!」
兵士は私の姿を見つけると、逆に安堵の表情を浮かべて、慌てて駆け寄って来るではないか。
「何があった!? 落ち着いて話してみよ」
私は兵士の肩を掴み、落ち着かせようとする。
息も切れ切れでは、碌に話もできまい。
「はぁはぁ、はい。アレクス様と共に、撤退してきた兵士のうち、数名が突然亡くなりまして……」
兵士は息を切らしながら、途切れ途切れに報告する。
「癒官様が言うには、死因は毒の可能性が高いと」
「毒? 戦場でか?」
私は一瞬言葉を失い、その場に呆然と立ち尽くす。
毒? 一体誰が? いつどこで??
「詳しくはここに、急ぎご確認ください」
兵士は震える手で、一枚の報告書を差し出した。
私はそれを受け取ると、急いで目を通していく。
そこには、致命傷となるような大きな外傷など何も無く、その死に違和感を抱いた一人の
まず毒とみて間違いないだろうとも。
報告書を読み終えた瞬間、先ほど見た若のやつれた顔が脳裏に浮かぶ。
まさか……。
酷く嫌な胸騒ぎを覚えた私は、急ぎ若の容態を確認するため、彼の部屋へと急いだ。
「はぁはぁ」
老体に鞭を打ち、私は息を切らしながら屋敷の中を駆けた。
「ハーマン様、こんな時間にどうされました?」
帰還兵が続々と戦地から戻り始め、未だ屋敷前広場は喧騒に包まれている。
この娘の事だ、寝ずに色々手伝っていたのだろう。たまたま出会ったメイドのアンネマリーが、心配そうな顔で私に声をかける。
「アンネマリー、すまないが、私についてきてくれ」
「はいっ」
事は一刻を争うかもしれん。人は多い方がよいだろう。
階段を急いで駆け上がり、下級使用人は立ち入ることすら許されない領主家家族用のフロアへと向かう。
本来ならドアをノックして、部屋主の許可を得なければ絶対に入室出来ないのだが、火急の時だ、もはや許可などと言っている場合ではない。
「若様、入りますぞ!」
そう叫ぶと同時に、鍵を使って扉を開け放った。
「アンネマリー明かりを」
アンネマリーがその灯具を操作すると、部屋にほのかな光が灯った。
私は、ベッドに横たわる若の姿を見て、思わず息を呑む。
顔色は土のように悪く、呼吸は浅く弱々しい。
枕元には、嘔吐の跡が残っていた。
これはただ事ではない……。
「すぐに
「は、はいっ」
↓ アンネマリー挿絵です ↓
https://kakuyomu.jp/users/MinawaKanzaki/news/16818023213427934148
部屋を飛び出すなり、踵を返しアンネマリーに指示を追加した。
「少しでも楽になるよう、防具は脱がせてよい。吐いたものが喉に詰まると死ぬ事もある。可能であれば体を横に向けるのが良いが、決して無理はするな。人がいるなら呼べ」
「お任せください。どうか、少しでも早く癒官様をお願いします」
「任せろ」
後をアンネマリーに託し、私は廊下を懸命に駆けた。
屋敷前広場には無数の天幕が張られ、帰還した兵士たちを受け入れている。負傷者の治療のため、必ず癒官がいるはずだ。
廊下を駆け、階段を飛び降りる。
急げ、時間がない……。
私は走りながら考える。
天幕は数多く張られ、人の往来も多いはず。癒官がすぐに見つからない可能性も高いのではないか? 焦る気持ちを抑えながら、私は屋敷警護の兵士を数名を捕まえ、一緒に癒官を探すよう命じた。
「癒官を見つけ次第、大声で知らせるのだ。今日のことは、一切他言無用だぞ」
兵士たちは緊張した面持ちで頷き、散り散りになって広場へと急ぐ。
屋敷を出て広間に入ると、所狭しと張られた天幕の数に圧倒される。
ざっと見ただけでも、かなりの数が張られている。
「警護の者を連れてきて正解だったな……」
私一人では、とても探し出せなかっただろう。
「癒官はどこにおられるか!」
私は、声を張り上げながら走る。
祈るような気持ちで。
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