51話、領都への帰還
ローゼンハーフェンへの道すがら、我がローゼリア軍は歩みを一旦止めて、ドレイク男爵領へと立ち寄ることとした。ここは今回の戦の発端となった地であり、ワンベルク伯爵を捕えた我が軍は、戦闘の終結からすぐに砦へと進路を変えた為、戦後の挨拶も碌に出来ていなかったためである。
「ドレイク男爵、勝利の報告が遅れてしまい申し訳ない」
私は、寝台に横たわる
早く安心させてあげたかったけど、砦の接収や、人質交換で伺うのが遅れに遅れてしまっていたから。
「閣下こそ、よくぞご無事で。そして我が領を、我が民をお救いくださりありがとうございます」
病床で会うわけにはいかぬと、玄関まで必死に出ようとしているとガルシア殿から聞いて、失礼を承知で、私の方から寝室へお邪魔させてもらったのだ。
「ガルシア、例の物を閣下へ」
「これは?」
私が尋ねると、ガルシア殿は「我が主から、せめてものお礼でございます」と答える。目録には、大量の小麦が贈呈品として記載されていた。
「いや、此度の援軍は両家の
私は、丁重に辞退しようとする。
言葉通りだったから。礼が欲しくて我が軍は戦うのではない。
「いずれ南とやり合うのだろう? 糧食はいくらあっても困らないはず。なに、じいじから孫への餞別みたいなものよ」
「じい様……」
私は、思わずじい様の手を握りしめる。
その手は驚くほど細くて、悲しい程に弱弱しかった。
わしゃわしゃと頭を撫でてくれた、あの大きかった手が今は見る影もない。
「受け取ってくれぬか、じいじの最後の頼みと思って」
じい様の言葉に、私は涙をこらえる事が出来なかった。
痩せ細った姿が、弱弱しい手が、じい様がもう長くない事を予感させるから。
「わかりました。じい様、有難く頂戴いたします」
私は、深々と頭を下げ、じい様の手を再び握り返す。
その温かさを、いつまでも忘れないように……。
ドレイク男爵領での挨拶を終えた私は、ガルシア殿のご厚意で、急遽馬車を一台お借りすることが出来た。急な申し出にも関わらず、快く応じていただいたガルシア殿の心遣いに、深く感謝したい。
その馬車へアーデルハイト嬢を乗せて、ローゼリア軍は再び領都ローゼンハーフェンへと進軍を開始する。
冷たい風が頬を刺す中、馬車の車輪が乾いた土埃を巻き上げながら進んでいく。枯れ木が寒風に揺れ、鉛色の雲が空を覆い尽くしていた。
「もう十一月ですか、主様、とうとう冬がやってまいりますね」
ユリシスが、鉛色の雲に覆われた空を見上げて呟いた。
「ああ。冬の間はさすがに動きは鈍るだろう。束の間の休息といったところかな」
「ふふ、冬の準備で忙しくなりますね」
「冬か……」
冬の到来という言葉が、ドレイク男爵との別れを思い出させてしまう。
男爵の衰弱しきった姿、死の影が差した顔。アレクシスは、男爵がこの冬を越せるのか、言いようのない不安に苛まれていた。
ユリシスは、そんなアレクシスの心中を察していたのだろう。
ドレイク男爵の寝室には同行出来なかったが、出て来た主人の様子から、男爵の容態が芳しくないことは容易に想像できてしまう。
「……主様」
ユリシスは、アレクシスの気持ちを少しでも和らげようと、言葉を懸命に探す。
けれど、言葉を続けることができなかった。
何を言っても空虚に響き、届かない気がしてしまったから。
アレクシスは何も答えず、ただじっと曇天を見つめている。
その横顔に、深い悲しみと寂しさをたたえて。
ユリシスもまた、敬愛する主人の横顔を見て一人胸を痛めていた。
ただ、主人の悲しみに寄り添うことしかできなかった。
◆◆
ローゼリア軍は出陣から幾日かを経て、ようやく領都ローゼンハーフェンへと帰還を果たす。
城門をくぐると、そこには歓喜の声と熱気が渦巻いていた。
色とりどりの旗が初冬の風にはためき、祝いの花びらが陽光にきらめきながら宙を舞う。領民たちは、ワンベルク伯爵の侵攻からドレイク男爵領を守り抜いた英雄たちを、まるで春の到来を祝うかのように、明るく、楽しげに歓迎している。
「ローゼリア万歳!」
「アレクシス様ばんざーい!」
「ご領主さまーっ」
子供たちの無邪気な歓声に、乙女たちの黄色い声援、そこに混じる年老いた者たちの感涙の声。様々な者たちが、心の底から喜んでくれているのがひしひしと伝わってくる。その光景に、私の目頭は自然と熱くなってしまうのは仕方が無いことだろう。
ユリシスもまた、領民たちの笑顔に目を細め、心から嬉しそうに微笑んでいる。
「主様は、本当に領民の皆様に愛されていらっしゃいますね」
ユリシスの誇らしげな呟きに、私は照れくさそうに返す。
「当たり前のことを、当たり前にしているだけなのだがな……」
「それが一番難しいのですよ。主様」
ユリシスの言葉に、私は小さく頷く。
一たび敗戦し、大勢の命を失えば、この歓喜の声は一瞬にして怨嗟の声に変ってしまうのを私は知っている。過去の歴史から、その残酷な現実を幾らでも学ぶことができるから。
私は、皆の幸せの為にも勝ち続けねばならない。
この歓喜の声が、決して悲鳴に変わらないように。
「ツェツィーリアさまーっ、よくぞご無事で!」
ツェツィには、その美貌と卓越した武勇を称える声が、老若男女問わずあらゆる層から上がっていた。その圧倒的美しさから男性に人気があると思いきや、凛とした立ち振る舞いと確かな強さに、憧れる同性からの黄色い声援も多いようだった。
その様子を見ていた私は、思わずクスリと笑みをこぼしてしまう。
まるで、ラウラ予備軍が一杯いるようだろう?
「ヴァイス様ぁ! きゃー、こっちを向いたわよ!」
若い女性たちの黄色い歓声が、凱旋するローゼリア軍の列に向かって飛んでいる。
その視線の先には、白銀の鎧を身に纏うヴァイスの姿があった。
あまりの熱狂ぶりに、私は思わず目を細めてしまう。
「ヴァイスは、若い女性に人気があるのか?」
ユリシスに尋ねると、彼女は少し驚いたように目を丸くする。
「あら、主様、ご存知なかったのですか? ヴァイス様は、あの端正なお顔立ちとあの武勇ですからね。治療隊の女性達の中でも大変人気があるそうですよ?」
「そうなのか?」
「はい、戦場で勇敢に戦う姿はもちろん、主様への揺るがぬ忠義の姿にも惹かれている方が多いようです」
ユリシスが、楽しそうに説明している。
確かにそうだろう。あいつは気持ちのいい男だ、そこに異論はない。
だが、何だろう。この胸の奥で燻るもやもやしたものは……。
「幼少の頃から、共に泣き虫だった姿を知る私からすると、何だか信じられんよ」
「あら、主様は昔は泣き虫さんだったのですか?」
ユリシスの無邪気な質問に、慌てて顔を背ける。
「っ……、今のは、聞かなかったことにしてくれ……」
ユリシスは、アレクシスの反応を見て、クスクスと笑いをこらえている。
二人の間には、主従を超えた信頼が確かに存在していた。
領都での熱烈な歓迎を受けたのち、私は領主屋敷へと戻った。
「アーデルハイト嬢、ここが貴女のお部屋です」
屋敷の二階にある一室をアーデルハイトに案内する。
三階の領主家、家族用の部屋は彼女には貸す事が出来ない。私を含め、ツァハリアス叔父上やツェツィが暮らすエリアだからだ。だが、三年という長きにわたる滞在を考えると、一階の客間では落ち着かないだろう。悩んだ末の結論だった。
「ありがとうございます。まぁ、お庭が綺麗ですわね」
アーデルハイトは広々とした部屋と、窓から見える美しい庭園に目を輝かせている。
「ゆっくりと休んでくれ。貴女専属の使用人も後でご用意させて頂く。その他に、何か必要なものがあれば、遠慮なく言うように」
私は彼女へ優しく微笑みかけ、静かに部屋を後にした。
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