52話、戦いのあと

 アーデルハイト嬢の部屋の手配を終え、執務室へと私は急ぐ。

 ああ、戦争ってやつは本当に骨が折れる。準備だけでなく、その後始末も一苦労だ。


 執務室の重厚な扉を開けると、薪ではなく、静かに燃える暖具が部屋を暖めていた。火の爆ぜる音や煤の匂いとは無縁の、穏やかな温かさが部屋を包み込む。その光景に私はふと安堵の息を吐く。


 所謂いわゆる恵具の一種である暖具は、内部に仕込まれた恵石めぐみいしと火石が触れる事によって熱を放出する。定期的に神力の充填が必要といった手間は発生するが、この方法であれば火が爆ぜる事も無く、何より煤や煙の一切が出ない。

 つい先日まで身を置いていた砦は、急遽接収した事もあって暖を取るのもひと苦労だったのを思い出す。有用な物資の類は全て、砦を退去する際に敵の守備隊が持ち去ってしまったからだ。


 「はは、皆がいるせいかな、執務室に懐かしい煙の匂いがするぞ? 受領したばかりの砦は何もなくて大変だったな。ろくに火がつかない薪ばかりで、暖を取るのも一苦労だった」

 そう言って、私は「やれやれ」と肩をすくめながら椅子へと腰を下ろした。


「そうでしたね」

 リンハルトが、苦笑いを浮かべながらそれに続く。

「あの時は、薪代わりに本や書類を燃やしてしまおうか真剣に悩みました……というのは冗談ですが、煙で目が痛くて大変でしたよ」

「武具の手入れも大変でした。煤だらけになってしまって」

 ヴァイスが、苦笑しながら鎧の袖口を払うそぶりを見せると、オスヴァルトやホルガーらも、それに同調するように頷きあっていた。すると……。

「男性はまだいいですよ。私たちなんて、髪がごわごわになってしまって……。髪を洗っても、すぐに煤と煙で汚れてしまうんですよ」

 アイリーンが、うんざりしたように呟くと、他の女性陣も「本当にそうですね」「まったくです」と次々と頷き返していた。


「はぁ、あの経験があったからこそ、領都の有難みが身に沁みます」

 ツェツィが、それはもうしみじみと語る。

 髪のごわごわ? もそうだろうが、あの砦の造りは女性の利用が全く考慮されていなかった。さぞかし女性陣は不便を強いられたことだろう。

「今後の状況次第では、改修の検討もありだろうな」

 私はしばらく考え込んだ後、口を開き、アンネマリーに視線を向ける。

 ついでだ、あの砦の両翁へ色々と物を送ってやろう。

「アンネマリー」

「はい」

 紺色の大きな瞳が、まっすぐに私を見ていた。

 妹のように思っていたアンネマリーが、その立場から装いも変わって、大人の女性の雰囲気を漂わせ始めている。

「両翁に確認をして、冬越えに必要な物資があれば、砦へ送ってやってくれ」

「承知いたしました。すぐ手配いたします」

 作法や礼儀なども学んでいるのだろう。

 言葉遣いから、その所作まで、以前とは変わりつつあるように見える。

 前のように、頭をわしゃわしゃとしてやったら、怒るのだろうか?

 その成長を嬉しく思う反面、どこか寂しさも感じる私であった。


「よし、ではそろそろ本題に移るとしようか」

 私は軽く手を叩き、執務室の空気を引き締める。

 皆の表情も、先ほどの和やかな雰囲気から一転、真剣なものへと変わってゆく。


「まずは、今回のワンベルク伯爵との戦いにおける被害状況について報告を頼む」

「それについては、私からご報告させて頂きます」

 皆の視線がユリシスへと注がれる。

 普段は常に私の傍にいて、まるで副官か、従者のようですらあるが、彼女は我がローゼリアが誇る治療隊の隊長でもあった。 

「今回の戦闘での人的被害は極めて少ないと言えます。死者は三十六名で、重軽傷者は二百名を数えましたが、ほぼ全ての方が原隊へと復帰可能です」

「おお」「なんと」

 これには各隊長達が驚きの顔を見せた。

「ほう……それは、驚異的な数字だな」

「はい、馬車砦による堅い防御と、それらを守る重装歩兵。そして負傷者の迅速な後方への移送。これらが功を奏した結果かと存じます」

 治療隊の長であるユリシスが、淡々と説明を続けていた。

「これは素晴らしい成果だぞ、ユリシス! 治療隊の者たちにも礼を伝えておいてくれ。運癒隊の者たちにもな」

 私はユリシスに向かって歓喜の表情を向ける。

 すると、彼女は恐縮したような面持ちで、静かに口を開いた。


「いえ主様。よろしければそのお言葉、皆に直接お声がけいただけないでしょうか。きっと、彼らにとってこの上ない励みになるかと存じます」

 ユリシスの否定から始まる言葉に、私は一瞬驚いてしまう。

 だが、すぐに彼女の言葉の意味を理解し、笑顔で答える。

「よく言ってくれた、ありがとう。そうだな、これは私が直接皆に言うべきだな」

 そうだ、その通りだ。末端の者たちが私と会う機会は非常に少ない。こういうのは良い機会にもなろう。私は、改めてユリシスの心からの願いに感謝し、彼女に笑顔を向けた。

「ありがとうございます。きっと皆喜ぶに違いありません」

 ユリシスもまた素敵な微笑みを浮かべつつ、深々と頭を下げていた。

 

「しかし、今後の戦いを考えると、兵の増員と共に治療隊の規模も大きくしていかねばならんのだが、癒官の増員は可能だろうか?」

 私は今後の課題を見据えながら、ユリシスに尋ねてみる。

 すると彼女は、ほんの少し考え込むような表情を見せた後、口を開いた。

「主様の御命令以後、ローゼリア領をくまなく探してようやく今の人数ですので、すぐに増員は厳しいかもしれません。北部のレムシュタットやローゼンヌ方面に、このたび得た新領は調査が不十分ですから、その地域にまだ人材がいる可能性に期待したいところではあります」

 ユリシスは現状の厳しさを我々に示しつつ、今後の可能性についても言及してみせる。


「おそらく、冬の間は敵も動きが鈍くなるだろう。その期間に治療隊の面々を使って不十分な地域を集中して調べてくれ。警護が必要な場合は、兵を使ってもかまわん」

「お言葉の通りに。では、レムシュタットとローゼンヌ方面を中心に、早急に調査計画を立て、人員を派遣いたします」

 ユリシスは私の言葉を受け、早速行動に移るようだ。

 その迅速な対応に私は満足げに頷き、この件は終了となる。

 さて、次は……。


「では次は、私からで宜しいかな?」

 私の叔父であり、ツェツィーリアの父であるツァハリアス叔父上が手を上げた。


 その人柄は、暖かな日差しのように優しく、そして揺るぎない正義感を持つ高潔な人物。皆からの信頼も厚く、常に弱者の立場に寄り添い、公正な判断を下すことで知られていた。まさに聡明で心優しい、ツェツィーリアの父と呼ぶにふさわしい人物だった。

 そんな叔父上は、いつの間にか国政の重鎮となり、ローゼリアの未来を担う存在となっていたのだ。その落ち着き払った声と、経験に裏打ちされた言葉には、誰もが自然と耳を傾ける。


「今回のワンベルク伯爵との戦闘ですが、砦の接収による長期化の影響で、当初の予定よりも多くの物資を消費しました」

 ここで叔父上は一旦言葉を区切り、報告書に目を落とす。

 その表情は真剣そのもので、我々軍人側とは違った目線で我が領を見ていた。

「新たに得た領地は、今年の収穫を既に終えており、我らには何の実りももたらしません。ワンベルク伯爵領は税が厳しい事で有名ですから、逆に、越冬へ向けて支援が必要な地域すら出てくる恐れもありかと」

 叔父上の言葉に、執務室は静まり返った。

 ワンベルク伯爵家といえば、民には重税を課し、己は華美な生活を送ることで悪名高い。その領地を奪ったはいいが、今度は我らがそのツケを払うことになるのやもしれぬ。


「糧秣の備蓄も予想以上に減りましたが、幸いにもドレイク男爵から多大なご支援をいただきました。おかげで、来年の収穫時期までは問題なく持ちこたえられそうです」

 叔父上の言葉に、私は少し安堵する。

「叔父上、率直にお答えください。全力出撃はあと何日ほど可能でしょうか?」

 叔父上は眉間にしわを寄せ、答えを懸命に探している様子。

 

「幸い、ローゼリア軍は常備兵が殆どで、農兵がおりませんから……。一度の戦闘での消費は他領に比べて少ないと言えるでしょうな。ですが既に四度の出撃をしており……、ううむ。今の備蓄状況であれば、全軍が全力で戦えばひと月。節約してひと月半という所かと……」

「ひと月半ですか……、来年はアデン・ハーゲ両家との戦いが控えています。ひと月もかからないでしょうが、何があるかわかりません。引き続き、食料の確保には万全を期してください」


「承知いたしました。領民への負担を軽減するためにも、可能な限りの対策を講じてまいります。シュマリナ聖教国との食料調達ルートの開拓も模索しておりますが、間に位置する公爵領が障壁となっており、難航しております」

 シュマリナ聖教国か、あの赤毛の美しい聖皇女様は、ユーリア殿は、今頃どうされているだろうか。


 ユリシスによる人的被害の報告、そして叔父上による物資や糧秣の備蓄状況の報告が終わると、会議は各隊長からの報告へと移って行った。

「今回の勝利は、各隊の連携と努力の賜物だろう。だがそれに慢心することなく、さらなる練度向上に励んでほしい。特に長弓隊は、新兵の育成に力を入れるように」

 私の最後の言葉に、各隊長たちは真剣な表情で頷いた。

「以上で、本日の会議を終了する。皆、ご苦労だった」


 こうして、領都へ戻ってからの長い一日がようやく終わりを迎える。

 各隊長たちは、それぞれの思いを胸に執務室を後にしていった。

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