第5話 雨の訪問者

その日は、朝から雨が降り続いていた。

てぃーだ、子豚、ひろきの三人がこの森永探偵事務所にやって来て、かれこれ二週間が経つ。しかし、三人が期待していたような刺激的な依頼には未だに関われず、

三人は退屈この上ない生活を送っていた。


「……ったく、何が“スリルとサスペンスに富んだ仕事”よ!

そんな依頼、全然来ないじゃない!」


これまでに来た依頼といえば、お決まりの浮気調査に家出人の捜索、あるいは、最近息子の素行が悪くなっているが、悪い仲間と付き合っていやしまいか?

といった心配性な親からの調査依頼など……およそ、スリルとサスペンスとは程遠い調査依頼ばかりだった。


「もしかして、アタシ達ってシチローに騙されたのかも……」


てぃーだ、子豚、ひろきの三人は、一斉に疑心暗鬼の顔をシチローの方に向ける。

シチローは、その視線を避けるようにして窓の外を眺めながら、三人の追及を誤魔化すように、必要以上に大きな声で言うのだった。


「いやあ~!それにしても、よく降る雨だなあ~!これじゃあ、もう依頼人も来そうにないし、かなあ~」

「キャア~~ホント~シチロ~~」


少なくとも、これで子豚とひろきの機嫌は直るというものである。

これから飲み会と聞いて、大喜びの子豚とひろき。

今日はあの店がサービスデーだとか、あの店の手羽先が最高なんだとか、居酒屋の店選びに余念が無い。ところが、案外そんな時に限って、仕事というのは舞い込んで来るものである。


いよいよ本日の営業も終わろうという時になった時、突然事務所の入口のドアが開き、客がやって来たのだ。


「ヤバイ、コブちゃん!お客さんが来ちゃったよ!」

「ひろき!ブロックよ!ブロック!」


目を細めて頷き合う、子豚とひろき。せっかくの飲み会を潰されては堪らないと、ひろきがいち早く玄関先へと向かった。そして、いかにも事務的な口調で訪問者に話し掛ける。


「あの……本日の営業はもう終了なんですけど……」


しかし、そんな事はシチローが許す訳が無かった。


「ちょっと待ったひろき!飲み会は次回に延期だ!」

「ええ~~~っ!どうしてよ~~!」

「当たり前だ!あの女性を放っておけるかっ!」


森永探偵事務所の代表であるシチローとしては、飲み会より仕事を優先させるのは当然の事と言えるがこの時シチローが

「あの女性を放っておけるかっ!」

と声を上げたのは、訪問者の女性の様子が尋常でなかった事も理由の一つだった。


訪問者は、おおよそ三十代後半から四十代位の年齢と思われる女性。“尋常でない様子”と言ったのは、その女性がこの場所に来るまでに、降りしきる雨の中、傘もささずにびしょ濡れでやって来たという事だ。


玄関先に佇むその女性の、髪から、袖から、そしてスカートの裾からは、雨の雫が止めどなく滴り落ちている。


「ティダ、洗面所からタオル持って来て!」

「わかったわ!」


我に返ったように、てぃーだが洗面所へと走った。


「どうしたんです、こんなにびしょ濡れになって!一体、何があったんですか!」


シチローが問いただしたが、訪問者の女性は黙ったままであった。よく見ると、その肩は小刻みに震えていた。


(泣いているのか?この女性は……)


てぃーだから受け取ったタオルを顔に当て、立ち尽くす女性の訪問者の表情はうかがい知れない。シチローはその女性に向かって再び、今度は穏やかな口調で話し掛けた。


「黙っていては分かりませんよ。さあ、何があったのか我々に話してもらえませんか?」


既に、飲み会が潰れた無念さはどこかに飛んでしまい、子豚も、ひろきも、この謎の訪問者の事を注視していた。四人で訪問者の前に立ち、神妙な顔のまま彼女の言葉を待つ。


やがて、女性の口からは、短い声が洩れた。


「……………か…………………………………」

「か?」


ただ、一音だけ発せられた訪問者の声に、四人は顔を見合わせ、首を傾げた。


「この状況で『か』のつく依頼って、一体何なんだ?」

「『かさ』貸して欲しいんじゃないの?」

「それは絶対ないから!ひろき!」

「う~ん……私『カツ丼』しか思い浮かばないわ……」

「そんな依頼あるわけね~だろっ!」


「か……かおりがっ!娘のかおりが、連れさられてしまったんです!

どうか助けて下さい!」


訪問者の女性は、振り絞るような声でそれだけ叫ぶと、その場に泣き崩れてしまった。


「連れ去られたって……」


半開きになった玄関のドアの外から聴こえる強い雨の音が、訪問者の僅かに洩らす嗚咽をかき消していた。


「どうやら、君達が求めていたような依頼がやって来たみたいだよ……

御三方!」


そう言って、てぃーだ、子豚、ひろきの方へと振り返ったシチローの引き締まった顔は、普段の頼りないシチローでは無く、すっかり“探偵”の顔へと変わっていた……


「とにかく、落ち着いて!こちらへどうぞ。え~と……すみません、まだあなたのお名前を聞いていなかったですね……」


何はともあれ、この女性から詳しい話を聞いてみない事には始まらない。シチローは、訪問者の女性をリビングへと招いた。


「朝田です……朝田和子あさだかずこと申します……あの、これではお部屋が水浸しになってしまいますわ……」


朝田和子は、自分の衣服から滴り落ちる水滴を気にして、リビングへ上がるのを躊躇していた。


「なに、あとでから、どうかお気になさらないで下さい」


シチローのその言葉に、子豚とひろきが小声で囁き合う。


「シチロー、あとで私達に掃除させるつもりよ……」

「自分でやればいいのにね……」


子豚達の文句が聴こえたのか、シチローは、わざとらしく咳き込んで、二人を横目で伺っていた。


和子の話を聞く前に、てぃーだが、びしょ濡れになっていた和子を気遣って着替えを勧めた。


「アタシの服でよろしかったら、話を聞く間だけでも着ていて下さい。濡れた服の方は、乾燥機で出来るだけ乾かしておきますから」

「すみません……そんな事までして戴いて!」


和子は、素直にてぃーだの好意に甘えて、てぃーだが貸してくれた服を持って、事務所のバスルームへと着替えを済ませに向かった。


「和子さん、風邪でもひかなければ良いんだけど……」

「サンキュー、さすがはティダ。よく気が効くね」


こういった、きめ細かい心遣いは女性ならではの事である。シチローは、笑顔でてぃーだに礼を言った。


「それに比べて、そこの二人は……」


シチローが子豚とひろきの方へと視線を移すと、子豚とひろきは慌てて働き出した。


「さあ~ひろき!そこのフロア、モップがけするわよ!」

「あ~忙しい!忙しい!」


そんな二人の変わり身の早さに、シチローとてぃーだは顔を見合わせて笑うのだった。



♢♢♢



「Tシャツなんて、何年ぶりに着るかしら……」


てぃーだに借りたTシャツとスリムジーンズに着替えて、バスルームから戻って来た朝田和子は、髪型も整えられ先程とは見違えるような明るい雰囲気に変わっていた。


「和子さん、とっても似合ってますよ。娘さんがいるような歳にはとても見えませんよ」


実際、和子は綺麗な女性であった。こういったラフなファッションの彼女は、実年齢よりも五歳は若く見える。


シチローの誉め言葉に、少し照れたように微笑む和子であったが、今はそんな呑気な事を言っている場合では無い。


シチローに促されソファーに座った和子は、すぐに真剣な表情へと戻り、事のいきさつを語り始めた。


「娘を……かおりを連れ去った人間が誰なのか、私にはおおよその見当がついているんです……」

「見当がついていると……それは、何か心当たりがあるという事ですか?」


詳細の確認に当たったシチロー達に向かって、和子は、ぽつりぽつりと話し始めた。


「『鴉信教からすしんきょう』という宗教団体を御存知でしょうか……」

「鴉信教?」


その名前は、シチローだけでなく他の三人にも聞き覚えのある名称だった。


「鴉信教と言えば、最近新聞やTVのニュースを賑わせている、あのカルト教団の事ですか?」

「そうです……その鴉信教です」


鴉信教とは、シチローの言う通り、最近新聞やTVニュース等で話題になっている新興の宗教団体である。


『鴉』の名を象徴するように、黒い修行衣装を身に纏い、全国に点在する教団施設で、信者は寝食を共にして修行を行っている。


そして、その教えとは……


『近い将来、世界は思わぬ厄災にみまわれ人類は滅亡する。その時、この鴉信教で修行を積み、事が出来る』


というものであった。


「かおりさんは、その鴉信教に入信していたんですか?」

「ええ……入信したての頃は、施設での共同生活は任意らしかったみたいで、かおりも普通に家に帰って来たので私も気付かなかったのですが、最近になってかおりから鴉信教の施設に住み込む事を告白されたのです。私は勿論、反対しました!そして説得のかいあって、かおりも教団からの脱会を決心してくれたんですが……」

「なるほど……そんないきさつがあって間もなくの、今回の誘拐事件。

これは、鴉信教の仕業と見て、ほぼ間違い無いでしょう」

「コワイね……鴉信教って……」


和子とシチローの話を聞いていたひろきが、ポツリと呟いた。


「何せ、奴らは世界が滅びると本気で信じきっているんだ。彼等にとって法律なんて無意味な物だろうからね……」


そんな教団に捕らわれの身となっている、かおりの安否が心配である。


和子は頭を抱え込み、テーブルの上に突っ伏して体を震わせていた。


募る不安を抑え切れない和子を気遣って、シチローは自分の胸を拳でポンと叩き、笑ってみせた。


「なに、和子さん。心配いりませんよ!あなたの娘、かおりさんは我々森永探偵事務所が必ずや助け出してみせます!……なんせウチには、が在籍していますから」


ところが、そう言ってシチローが指差して紹介した、その“優秀なエージェント”はと言えば……


「ちょっと、ひろき!それ、私が冷蔵庫に入れといたプリンじゃないのよっ!」

「だって~食べたかったんだもん。冷蔵庫にもう一個あったからいいでしょ」

「ダメよ!アレはアレ!種類が違うプリンなんだから!今夜はそれを食べようと楽しみにしてたのに~っ!」

「ちゃんと名前書いておかないからだよ。コブちゃん」

「プリンに名前なんか書くかああぁぁ~っ!」


笑みを浮かべていた、シチローの顔が歪む。


「あの……優秀なエージェントというのは……あそこの……」

「いや、あの……たぶん優秀だと思うんですけどね……」


不安を拭い去るつもりが、逆に不安を煽ってしまったシチローであった。


その後、シチローは和子の連絡先、持っていたケータイに入っていた娘のかおりの画像等、必要な情報をPCに取り込み、和子の依頼を正式に受け入れた。


「そろそろ、乾燥機に入れていた服も乾いたかもしれない。和子さん、もし良かったら、車でご自宅まで送りますよ」

「いえ……そんなに遠くありませんから、歩いて帰れますわ。もしよろしかったら、ビニール傘を一本貸して頂けませんか?」

「それは構いませんが、しかし、結構降ってますよ?……雨……」

「大丈夫です。どうか皆さんは、かおりを助け出す事に専念して下さい」


自分の事よりも、娘の救出に専念して欲しいというのは、母親の和子としては当然の心境なのかもしれない。


シチローも、そんな和子の気持ちを尊重して、和子に傘を手渡し、改めて鴉信教からのかおり救出を約束した。


「和子さん!かおりさんは、必ず助け出してみせますからね!どうか、ご安心して下さい」


和子は、そんなシチロー達に深々と一礼すると、雨の人通りの中に消えて行った。
























































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