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昨夜泊まった宿は大日寺よりも二キロほど戻った場所にあった。そのため、次の札所へ向かうだけなら大日寺を経由する必要はなく、近道を歩くこともできる。だが、遍路道を外れた途端、迷子になるという可能性は無視できない。これが昨日学んだばかりの教訓である。
正攻法で行こう――リュックサックを背負い、昨日と同じ道を大日寺に向かって歩き始めた。
道の途中、右手前方にある山上に洋風のお城が見えた。昨日も気になったのだが、あれは一体何なのだろう? 個人が建てたお城なのか、それともホテルやレストランの類か。お寺巡りなどという純日本的な旅で出会う建物群の中で、山上のお城は強烈な違和感を放っていた。
大日寺を過ぎ、香美(かみ)市に入ると風景がいくぶんのどかに変わった。足元はしっかりしながら、のんびりと歩ける道をゆくのは歩き遍路の醍醐味と言えるだろう。ガイドブックに紹介されていた「へんろいし饅頭」のお店を見かけて中へ入ってみた。五個入りと八個入りが並んでいたが、そんなに沢山は食べられない。お店の人に訊ねると一個から買えるというので、一つ買い求めて食べながら歩いた。普通の饅頭なのだが、歩き遍路にはこの甘さが効く。
国分寺の近く、川沿いの土手を歩いていると、田んぼのあぜ道を歩くお遍路さんが見えた。少しずつ間隔を開けて、三人くらいが一列になって歩いている。国分寺を打って次へと向かうところなのだろう。白衣に菅笠を身にまとい、金剛杖を持って歩く彼らの姿は絵葉書のようで美しい。私は鶴林寺の参道でもらった杖だけは持っているが、およそお遍路さんの格好にはほど遠い。その辺に買い物にでも行くように見えるねと笑われたことがあった。リュックサックに入りきらなかった身の回り品を手提げかばんに入れて持ち歩いているのだが、これが買い物帰りに見えるのだろう。あるいは緑色が鮮やかなナイロンのポンチョのせいなのかもしれない。
次に来るお遍路さんが、あのあぜ道を私が歩いている姿をここから見ても、私のように嘆息はしないだろう。せめて白衣くらい羽織ろうか――。
三時間ほど歩いてたどり着いた二十九番札所国分寺の境内は桜が満開だった。本堂は山門からまっすぐに伸びた通路の突き当りにある。その途中で右や左に伸びた石畳の通路はどれも直角に交わり、凛とした空気を生み出していた。通路を囲むように並ぶ植木もきれいに剪定され、境内には全体的に規律が保たれているような印象がある。大師堂の向かいには酒断地蔵尊があり、この札所は訪れる人は生活習慣にも規律が求められているのかと思わず苦笑いした。私はお酒が好きでだいたい毎日晩酌するが、毎晩浴びるほど飲むなどということはないし、飲酒に関して医者から節度を求められている訳でも無論ない。それでも、いつか断酒を余儀なくされる時が来たら土佐の国分寺に詣でようと思った。
国分寺を出て、さっき私が土手から見た、お遍路さんが一列に並んで歩いた田んぼの畦道を私も進む。今はまだ茶色の田んぼだが、あと二か月もすれば、さぞ青々として美しいのだろう。
国道三十二号線を渡り、その先はしばらく舗装された県道を一直線に進んでいく。この道路は登り坂で、そのてっぺんが逢坂峠である。間もなく峠に着こうという地点で、久しぶりのヘンロ小屋を見付けた。ひょっとすると、高知県に入ってから初めて見たヘンロ小屋ではなかったか。巨大な割りばし細工のように見えるヘンロ小屋第五号の中は、外見とは裏腹に平凡な造りの休憩所だったが、ありがたく一休みさせてもらうことにした。舗装路とはいえ峠越えはなかなかにしんどいのだ。
峠の頂から見えるのは高知市街だろうか。道路標識に「高知駅六キロ」の文字が見える。四日前、水床トンネルを抜けて高知県に足を踏み入れた時に見た道路標識には「高知まで百二十一キロ」とあった。あれから百二十キロも歩き続けてきたという訳だ。そんな事を思ったら何だか面白くなってきて、私は市街地を眺めながら声をあげて笑ってしまった。
逢坂峠を越え、急坂と急階段を一気に降りると三十番札所善楽寺はすぐそこである。境内の入口に山門代わりに立つ十一面観世音菩薩が周囲に強烈な印象を与えていた。対照的に、平面的な境内は小さくまとまり、そのおかげで見通しが良かった。この手のお寺からはつまらないという印象を受けることもしばしばだが、善楽寺は違った。街中のお寺という、一種スタイリッシュな雰囲気がある。一宮(いっく)という地名も響きがまた良い。初めて土佐一宮の文字を見た時は「とさいちみや」だと思っていた。地名からも想像が付くように、かつて善楽寺は神仏習合の寺院で、境内の斜め向かいにある土佐神社は善楽寺の奥の院である。
時計を見るとちょうどお昼時で、名古屋から来たというお遍路さんから「食べきれないから」といただいたおにぎりを食べて腹ごしらえした。
善楽寺からは土佐神社の参道を逆向きにたどって歩いていく。石を敷き詰めた参道の両側には満開の桜並木が続いていた。土佐神社の鳥居をくぐり、三十一番の札所へ向かって町を南に歩いていく。
川をいくつか渡り、高速道路の下を走る道路を過ぎると、おっ! と声をあげた。路面電車が走っていたのだ。なんという停留所なのか、ここが路線の起点らしく、二台が並んで出発を待っている。そのうちの一台には赤、黄色、緑に塗り分けられた車体全体にアンパンマンが描かれていた。アンパンマンの生みの親、やなせたかしは高知県の出身なのだ。日本には路面電車の走る地域が少ないが、ヨーロッパを旅行した時に、大きな街では路面電車(トラム)をよく見かけた。小さな頃から路面電車の走る町には憧れがあった。道路に埋め込まれた線路を走り、時には自動車と並んで信号が変わるのを待つという路面電車に、少年時代の私は不思議な魅力を感じていたのだった。
ここまでは街歩きだったが、遍路道の最後は山道だ。竹林寺は五台山の山上に境内を構える。左右にずらりと並んだ墓石の間を登りながら、ふいに、ここからの眺めが気になった。背中を振り返ると、様々な常緑樹や桜の間から高知市街をすっかり見下ろせる、見晴らしの良い場所だった。車が入れるような場所ではないため墓参りに訪れる生者には多少きついが、死者にとっては絶好の場所だろう。
そして、この先には歩き遍路の間では有名な牧野植物園がある。分類学の父といえば十八世紀のスウェーデンに生きたカール・フォン・リンネを思い浮かべるだろうが、千五百種以上の植物を分類、命名した植物学者がかつての日本にもいた。それが牧野富太郎である。NHKの朝ドラ『らんまん』を通じて牧野を知っている人も多いだろう。牧野植物園は牧野博士を記念して遍路道が開かれた植物園なのだ。
遍路道があった場所に後から植物園を作ったからなのか、竹林寺へ至る遍路道は植物園の中を横切るように通っている。そして面白いことに、歩き遍路は植物園の最奥から園内に入り、入り口から出ていくのである。竹林寺まで後八百メートルの辺り、歩き遍路にとっての「入り口」にはこのような立札が立つ。
「ここから先は植物園の園地となります。お遍路の方は通り抜けいただけますが植物園内を散策される場合は入園料が必要となりますので、正門または南門の入園窓口にお回りください」
この日は平日だったが、園内は家族連れで賑わっていた。お母さんが小さな子どもに植物の名前を教えていたりするのを見て、私はまるで異世界に迷い込んだように錯覚した――先ほどまでは確かに修行の地にいたはずなのに。私はお遍路用の扉から植物園を出て、そのすぐ横にある階段を登って竹林寺の境内へと入っていった。
石段や石碑に生した苔が、経過した時間の長さを感じさせる。美しいと思うのはこのような札所だ。大師堂の奥には荘厳な赤い五重塔があるが、これは高知県内では唯一の五重塔なのだそうだ。国が名勝に指定した庭園もあるのだが、こちらは別に受付が必要だったので省いてしまった。でも、後になって、名勝を見ておけばよかったかと後悔した。先を急いでしまうのは歩き遍路の悪い癖である。
時計を見るとそろそろ午後二時半になろうとしている。今日中に打てるのは次の三十二番までだろう。本当はもう一か寺打ちたかったのだが仕方ない。ここまでの道のりを心持ち急ぎ足で来たため、次の札所が今日の終点ならば時間には余裕がある。ここからならのんびりと歩いても二時間はかからないだろう。私は五台山をゆっくりと降り始めた。自然路に石を重ねて階段を作ってあるのだが、登りであれ下りであれ、このたぐいの階段は足への負担が最も大きい。ここを無理に急いで進まないで済むのはありがたかった。
しばらくは下田川に沿って遍路道を進み、街中を歩いてから最後に再び山道を登る。しかし、今度は五台山ほどの高さはない。三十二番札所禅師峰寺は、山門の手前に「お疲れさまでした」と墨書きされた立札が立っていた。本堂と大師堂は山門を越えた先、境内の奥にあり、そこでお参りを済ませたら、いったん山門を出てから納経所に向かう。納経所の前には山上の公園といった趣があり、私は用意されていたベンチに腰掛け、眼下に広がる南国市の町並みと土佐湾を眺めていた。顔に当たるそよ風が気持ち良かった。
しばらく休憩していると身体が冷えてきて、さっきまでは気持ち良いと思えた風が寒く感じられてきた。さて、今夜の宿をどうするか。そう思案しながらぼんやりと境内を見渡すと、竹林寺から禅師峰寺までの道中で何度か声を交わした二人のお遍路さんの姿が目に入った。ひょっとすると彼らが何か情報を持っているかもしれない。
「雪蹊寺の近くまで行こうと思っているんですけど、その辺りにどこか泊まれる所を知りませんか」
「いくつかあるけど、たぶん空いてないよ。電話も出ないし」
ううむ、そうだったのか。
「まだ決めてないならおれたちと同じ所にすればいいよ」
場所を詳しく聞いてみると、禅師峰寺とその次の雪蹊寺のちょうど真ん中のようだ。悪くない。早速、電話をかけて部屋があるかどうか尋ねると、幸いなことに部屋は空いているという返事だった。三人で連れ立って宿まで歩き、部屋の鍵をもらって荷物を降ろした。
この日の夜は、彼らに誘われてひろめ市場へ飲みに出かけた。高知市内にある有名な観光名所で、数々の飲食店が一堂に会している場所だ。考えてみれば今回のお遍路では初めての外食である。お遍路に出る前は、見知らぬ土地でお店にふらりと立ち寄り、その土地の名物珍味を賞味しようと考えていたのに、いざ旅が始まってからは宿で食事が完結していた。
仕事帰りのサラリーマン、学生、家族連れ、屋台とフードコートを混ぜ合わせたようなひろめ市場はあらゆる人たちでごった返していた。席を見つけるのがまずは難題だったが、食事が済んで席を立ちそうなグループに当たりをつけ、どうにか三人で座れる場所が確保できた。
「お疲れ様でした」
三人でビールのジョッキを合わせ、まずは鰹のたたきで乾杯する。ほとんど毎晩、宿でもビールを飲んでいたが、外で飲むと味がまた違う。
てっきり彼らは最初から二人組だと思っていたが、実は一緒に歩き始めたのは数日前からだという。始まりはバラバラでも、ここまでの道のりで同じ景色を見てきただけあって話は盛り上がる。
「どうしてお遍路を始めたの」
定番の、そして私の苦手な質問だ。
「なんとなく、ですね。好きな作家さんがお遍路について書いていて、面白そうだと思ったのは一つのきっかけですけど」。苦笑いしながらそう答え、私は同じ質問を相手に返した。
「おれは、自分の勢いが落ちているのを感じたからなんだ」
勢い? これはまた、まったく予想外の答えだった。
「周り終えたらその勢いを借りて、新しい事業を始めようと思っているよ」
聞けばすでにいくつかの商売を手がけているらしい。その新しい事業の成否とお遍路に直接的な関係がないのは確かである。でも、精神論を別にしても、歩き遍路には日常の些事に煩わされずに物事を考える時間がたっぷりある。色んな人との出会いを通じて新しいものの見方が得られる機会もあるだろう。たぶん、彼の新事業は成功するだろう。騒々しいひろめ市場の中でビールを飲みながら、私はそう思った。
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