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始発のロープウェイに乗って太龍寺山頂駅まで戻った。ロープウェイの車窓からは、昨日はどこにあるのか分からず仕舞いだった鶴林寺の三重塔の屋根が確かめられた。「五匹のニホンオオカミが皆さまをお出迎えです」という車内のアナウンスを聞くのもこれで二度目だ。太龍寺山の山腹にはニホンオオカミの石像が五体置かれているのだが、かつてはここに本物のニホンオオカミが生息していたらしい。


朝は雲の切れ目から晴れ間がのぞいていたのに、山頂駅から山を降り始める頃にはすっかり曇り空へと戻ってしまっていた。太龍寺から平等寺までは阿波遍路道(いわや道、平等寺道)という自然路を行く。道の始めには八十八か所の写し霊場があり、各寺院のご本尊像が勢ぞろいする。藤井寺から焼山寺へ向かう焼山寺道にも同様の石像が並んでいたことを思い出し、「一に焼山」の辛さが蘇ってきた。十分ほど歩いた先には、お大師様が修行したことで知られる舎心ヶ獄がある。晴れていれば眺望を楽しめたはずだが、今日の天気ではそれも望めない。私は切り立った岩壁に座る大師像の背中に手を合わせ、先を急ぐことにした。いわや道も平等寺道もほとんどの区間は下り坂なのだが、所々に緩やかな登り坂があり、鶴林寺への参道で手に入れた金剛杖は今日も大活躍だ。


まっすぐに天を仰いで立つ杉木立に囲まれて歩きながら、ふと、くしゃみも出なければ目もかゆくならないことに気が付いた。重い花粉症持ちの私にとってスギ花粉は天敵のはずなのだが、花粉の時期を過ぎているのだろうか。そんなことを考えていたら、「急な坂道注意」の立て札を過ぎた直後に尻もちをついた。どうも毎回、シナリオ通りに遍路ころがしで転がされてしまう。


一時間半ほどかけて阿波遍路道を阿瀬比集落まで降りてきた。のどかな集落の風景を見ながら舗装された道をしばらく歩くと、再び山道の入り口が見える。今度は大根峠を越えるようだ。峠を越えて平等寺まではおよそ四・五キロ。けれども、峠越えは平地の倍くらいの体感距離がある。


大根峠を越え、先ほどの麓で見たのとほとんど同じ集落に出ると、まっ逆さまに地面にめり込んだロケットのような形状の休憩所を見つけた。普段はあまり休憩所で立ち止まらないのだが、その理由は、荷物を下ろすと肩が軽くなってホッとひと息つける一方、足や身体が冷えてしまうからだ。それに、歩いている時には意識しないのだが、歩みを止めると思い出したように足が痛くなるのも嫌だった。そうなると再び歩き出してもしばらくは足の痛みに意識が向く。けれでも、私は形状の面白さが気に入り、ここで少し休んでいくことにした。壁に貼られた説明書きによると、この「ヘンロ小屋」を設置したのは地元有志のボランティアで、デザインしたのは歌一洋氏という徳島県出身の建築家である。どおりで形がしゃれているわけだ。最終的な目標は遍路道沿いの八十九か所にヘンロ小屋を設置することらしく、ここに至るまでにも同様のヘンロ小屋があったのかどうか記憶は定かではないが、この後の道のりではヘンロ小屋を見かけたら休んでいこうかという気になった。


太龍寺のロープウェイ駅を出てから三時間半、二十二番札所平等寺に到着した。山門では、目のくりくりとした愛嬌たっぷりの門番が私を迎えてくれた。社会状況を反映し、彼らもマスクを着用していた。


背後に山を背負った境内には不思議と開放感がある。本堂に伸びる男坂と護摩堂へ向かう女坂には、石段の踏面のそこここに賽銭の一円玉が撒かれていた。厄除けなのだろうが、別のどこかの札所にあった男坂女坂では小銭の山など見なかった気がする。「皆が一円玉を置いているから私も」という参拝者の心理が一円山を築いた理由なのだとしたら、ある日、すべてを十円玉に置き換えておけば賽銭が一挙に十倍に増えるかもしれない。そんな事を考えながら息を切らせて男坂を登り、本堂でのお参りを済ませた。


腕時計の針が正午ちょうどを示していた。平等寺から次の薬王寺までは二十キロ以上あるので、今から薬王寺に向かってもたどり着く頃には納経所が閉まっているだろう。納経の受付時間はどこも午後五時までなのである。それでも薬王寺周辺までゆき、近くに宿泊すれば明日の行程が楽になる。私はそう考えて、ひとまず薬王寺へ向かって歩き始めた。


歩き始めたのはよいが、しばらくするとポイ捨てされたごみが目立つようになり、そのうちに道路の周辺がごみだらけと言っても誇張ではない状態になってきた。心無いお遍路が捨てたごみも中にはあるのだろうが、その多くは生活ごみや粗大ごみだ。「ごみを捨てるのは心を捨てるのと同じこと」と書かれた看板が無力に立ち尽くしていた。「ごみゼロ」を目標に掲げ、「ゼロ・ウェイスト」宣言を日本で初めて出した上勝町があるのも同じ徳島県だが、なんとも対照的な光景である。一介の旅行者の身に過ぎない私の意見がおこがましいのは承知の上だが、少なくとも遍路道をごみだらけにするのだけはやめてもらいたい。


多くの人が経済学とはお金にまつわる(あるいはお金儲けに関する)学問分野だと考えているのだが、経済学を一言で表せば人間行動を分析する学問である。そこでは、人びとを特定の行動に導くインセンティブ(誘因)が重要視される。例えば、道端にごみをポイ捨てする人を罰することで、ポイ捨てを減らすことができるはずだが、少なくとも遍路道のごみをゼロにはできていないという意味で、罰則はさほど効果的ではない方策なのかもしれない。では、それに代わる仕組みとしては何を考えることができるだろうか。例えば、ごみを集積所に(正しく)持ち込むことで住民にポイントを与えるというのはどうだろうか。貯めたポイントは金券や商品に交換できる。効果のほどは不明だが、人間心理として罰則には反発を覚える一方で、褒賞には好感を抱くだろう。


そうこうする内に遍路道は国道五十五号線にぶつかり、ここからはひたすら十五キロほど南へ向かって歩き続ける。長い道のりの途中には、鉦打トンネルと福井トンネルという二つのトンネルがあり、大型トラックが通ると轟音がトンネル中にこだましてなかなかの迫力なのだが、とりわけ歩道にガードレールがない福井トンネルでは対向車とすれ違うたびに恐怖を感じた。


道中では土佐街道も歩くのだが、峠の頂上にある展望台への寄り道は必須である。展望台からは麓の町と海が一望できるのだ。寄り道と書いたのは、薬王寺への道を三十メートルほど外れた所に展望台があるからで、少しでも先を急ぎたい歩き遍路はこのわずかな距離を惜しんでしまう(と思われる)。その気持ちは十二分に理解できるのだが、私はあの眺めが見られてよかったと思っている。もっとも、私のこの心の余裕は、どのみち今日は薬王寺を打てないという事実からきているのかもしれなかった。


結局、薬王寺の山門に着いた時には午後六時半を回っていた。実に、二十キロの道のりを六時間半もかけて歩いたことになる。かなり歩くスピードが落ちていたのだ。薬王寺のお参りは明日の朝に持ち越しだが、よく考えたら夜の札所を見たのはこれが初めてだった。灯りをともしたお堂には風韻があり、歩き疲れを癒してくれた。

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