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早朝六時、同宿の男性は支度を整えると早々に宿を出ていった。玄関の扉を閉める、ガラガラガラ、ピシャ、という音を私は布団の中で聞いていた。歩き遍路にとって朝の六時は格別に早い時間帯という訳ではない。ただ、私は宿から程近い薬王寺でお参りを済ませなければならず、納経所は午前七時にならないと開かないため、今日は六時に出発する理由がないのだ。昨夜この町に到着した時にはすでに納経所は受付を終えており、昨日は薬王寺を打つことができなかった。


遠くからでも目立つ赤と緑が鮮やかな瑜祇塔(ゆぎとう)を擁する薬王寺だが、私が何よりもまず先に抱いた印象は、このお寺は儲かっていそうだな、というものだった。温泉やレストランを併設し、駐車場も広い。薬王会館という宿坊まで併設しており、実を言うと私はここに泊まりたかったのだが、電話で問い合わせると現在は休業中とのことだった。コロナ禍で外国人も含めてお遍路さんが減っているのが大きな原因なのだろう。


今の今まで、コロナ禍で宿坊を休業するのは規模の小さなお寺なのだと何となく思い込んでいた。焼山寺や立江寺にも敷地内には旅館と見まがうほどの宿坊があり、こんなに立派な宿をなぜ閉めているのだろうと不思議に思ったものだ。でも、よく考えたら逆なのだ。宿坊を切り盛りするには人を雇い入れる必要があり、固定費である人件費が大きければ、宿泊客が少なかったり客足が一定していない状況の中で相応の利益を出すのは難しい。至極もっともな理屈である。初日と二日目に私が泊まった安楽寺と十楽寺の宿坊は規模が大きくても営業していたので、そんな当然の理に思いが至らなかったのだった。


石段をジグザグと登っていき、境内の奥にある本堂と大師堂でお参りを済ませてから、再び男厄坂を降りる。薬王寺には納経所が二か所あり、境内の真ん中あたりにある個人の参拝者向けの納経所が閉まっていて焦ったが、境内の入り口付近にある団体客向けの納経所で無事に墨書と朱印を頂くことができた。信徒から持ち込まれたのか、みかんがぎっしりと詰まった段ボールから色艶の良いみかんを二つお接待して頂いた。


さて、次の札所は室戸岬にある最御崎寺である。これで「ほつみさきじ」と読む。薬王寺山門前の石碑には最御崎寺九十粁の文字が見えるが、現在の新しい遍路道をゆけば距離は一割ほど短縮される。それでも薬王寺からの距離はおよそ八十キロあり、道中で二泊するため到着は明後日だ。今日からは最御崎寺に向けて国道五十五号線をひたすら南下するのである。


三日目の晩に泊まった宿のご主人がこんな事を言っていた。


「遍路ころがしも大変ですが、最御崎寺までの道も辛いですよ」


理由を訊ねると「退屈だから」という答えが返ってきた。歩き出して一時間も経つと、ご主人の言っていた事が腑に落ちた。東京に住んでいると人びとの居住地が連続的に広がる光景を当然のものと考えてしまうのだが、ここでは町と町の間には見事に何もなく、見えるのはただ青々とした山である。よく考えてみれば、集落が点々と存在するこのスタイルの方が自然なのである。今日は珍しく青空が広がっていて、山々の緑はとても映える。でも、これだけでご飯が食べられる! などということはない。


それにしても、私のガイドブックに載っている縮尺の大きな略地図では国道五十五号線が海と並行に走っているため、てっきり伴走する景色は海なのだとばかり思っていた。ようやく海が見えたのは美波町を過ぎてからで、歩きながら顔にほのかな潮風を感じる。私は夏生まれだからか、あるいは海無し県育ちだからか、小さな頃から海を見ると気持ちが昂ぶるのだった。小学生の頃、夏に家族で訪れる伊豆の海では大いにはしゃいだものである。


左手の景色を見ると、空は微妙に異なる淡い空色が重なり合ってグラデーションを作り、太平洋は青緑色と青色が垂直方向にくっきりと分かれていた。晴れていると海はこんなにも綺麗なものか。昨日見た灰色の荒れた海とはだいぶ違う。夏休みにはきっと多くの海水浴客で賑わうに違いない。


薬王寺から十八キロほど南へ下った辺りで旧土佐街道の入り口を見つけた。昨日、苦労して歩いたあの旧土佐街道である。立て札には、国道を外れて自然あふれる旧土佐街道へと誘う文句が並んでいた。


「癒しの道」


昨日の経験から、待っているのは癒しではなく疲れであることを知っていた私は、誘いを丁重に断って国道を再び南下し始めた。


十五分ほどで四国別格霊場第四番札所・鯖大師本坊の看板が見えてきた。弘法大師に縁のある霊場は四国巡礼で回る八十八か寺以外にもたくさんあるが、それら番外霊場の中から特に選ばれたのが二十の別格霊場である。鯖大師はその一つだ。鯖大師にはこの時期も営業を続けている貴重な宿坊があるのだが、事前に問い合わせたところ、残念ながら本日はお世話できませんという返事が返ってきた。今日はまだ二十キロ足らずしか歩いておらず、まだしばらくは歩けそうなので、結果的には怪我の功名と言えなくもない。ただし、昨日までの行程を振り返ってみると、歩き始めて二十キロを超えたあたりからペースがガクッと落ちる。天気予報によれば明後日は土砂降りなので、今日と明日の二日間で距離を稼いでおきたい。さて、どこまで進めるか。


JR牟岐線・阿波海南駅の手前でヘンロ小屋第一号に出くわした。立札には香峰の名前が見える。トイレだけでなく炊事場が備わった機能性にあふれる施設だが、見た目は平凡な造りだった。どことなく、海水浴場に備え付けられた更衣室のような外観である。昨日初めてヘンロ小屋を意識して以来、ヘンロ小屋が単調な道歩きに変化を付けてくれていた。


またしばらく歩き、室戸まで四十八キロという道路標識が目に付いた。今日はこれでおおよそ三十三キロ歩いた計算になる。


「そろそろ、かな」


明日も同じくらい歩ければ、明後日は四時間半ほどで最御崎寺に着く計算である。左右のふくらはぎと太ももがずきずきと痛む。それ以上に、もう歩くのが嫌になってきている。


宿探しは歩き遍路における難題の一つだ。宿は宿の都合で立地しているのであり、歩きたくないからと歩みを止めた場所に宿があるとは限らない。私は宿泊所リストを手に入れていたのだが、現在は休業中という所も多く、町に着いたのが遅い時間だった昨日は宿を探すのが実際に一苦労だった。


地図アプリで現在地を確かめると、近くに温泉民宿がある。南無大師遍照金剛と呟いてから電話をかけると、ひと部屋だけ空いているそうだ。この時間からだと夕食の用意はできませんというが、それでも構わない。私は安堵で胸を撫で下ろした。本当に、お大師様のご加護を感じるのはこんな時なのだ。

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