6

朝から土砂降りの雨だった。すでに昨日の内から、今日の天気が雨だというのは天気予報で聞いて知っていたのだが、その雨もいずれ上がるとのことだったため、ひょっとしたら出発前にその「いずれ」がやってくるのではないかと期待していた。でもまあ、そんな都合の良い事は起きないのだった。ゲストハウスのおばあちゃんは歩き遍路にはお接待で朝食を出すことにしているというが、つまりそれは、ここに宿泊するほぼ全員が朝食を美味しくいただくということだ。昨日お参りを終えた立江寺まで車で送ってもらい、雨だからというので折り畳み傘までお接待してくれたおばあ

ちゃんにお礼を述べ、立江寺の山門から昨日の続きを歩き始めた。


今日はゲストハウスに同宿した青年が一緒だ。この四国巡礼で初めての二人歩きである。無心になって黙々と歩いたり、歩きながら考え事に耽ったりするのも嫌いではないが、他愛もなくお喋りしながら歩くのもまた楽しい。四国巡礼は「同行二人」、つまり一人歩きでも常にお大師様が自分と共に居てくれるという建前にはなっているのだが、正直なところ、お大師様とは話が弾まない。今日の相棒は幸いにも話好きな青年であった。


「どうして歩いているの?」。今まで何人かに訊かれた質問を私は投げかけてみた。

「二年前までワーホリでオーストラリアにいたんです。日本に戻ってきて、また別の国でワーホリしようと思ってたらコロナになっちゃって……」。青年は律儀に私の方に顔を向けながらそう答えた。「ほとんど準備もできてたんですけど」


ワーホリの代わりにお遍路というのは、あまり理由になっていないようにも聞こえる。そう指摘すると、青年は確かにそのとおりですねと声を上げて笑った。


彼は大きなバックパックに組み立て式のテントを入れて持ち運んでいた。実際、昨夜が初めての宿泊(やどはく)で、それまでは空き地にテントを張ったり、お寺の通夜堂を借りたりしていたそうだ。ご飯も食堂などは極力利用せずに非常食のようなもので済ませることが多いらしい。私よりも格段に修行の色合いが濃い歩き遍路である。テントを張れる場所は限られており、市街地の道路沿いにテントを張るのが無理なのは言うまでもないが、田園風景が広がる郊外の公園や空き地でもテント泊は禁止されていることがある。


「でも、テントを張る場所を探すのはそこまで大変じゃないです」

「それじゃあ、一番大変なのはどんなこと?」

「トイレの確保ですかね」


なるほど。歩き遍路でしばしば直面するのがトイレ問題であるのは、ここまで歩いていて私自身も感じていた。宿に泊まれば朝晩に大きな方の用を足すことはできるが、テント泊ではそうはいかない。公園やコンビニのトイレを借りるにしても、それらが都合良く現れるとは限らない。実際のところ、男性のお遍路さんは一回や二回、超法規的措置をとったことがあるのではないか。「女性には歩き遍路はきついです」と彼は言っていたが、そのとおりかもしれないなと私も思う。


ワーホリで過ごしたオーストラリアでの生活からロシアのウクライナ侵攻まで、歩きながらのお喋りの話題は尽きない。立江寺から次の鶴林寺までの道のりは十六キロほどあるが、道のほとんどは平坦な舗装路なので歩きやすい。ただし、最後の三キロはまたもや遍路ころがしの山道で、しかもガイドブックによれば標高差は四百五十メートルもある。かなり急な登り坂ということだ。「一に焼山、二にお鶴、三に太龍」のお鶴を攻めるのも、どうやら一筋縄ではいかなそうだ。


いよいよ山道に差し掛かろうという時、同行の青年が口を開いた。


「この辺りに丁度よい枝でも落ちてませんかね」


実は私も全く同じ事を考えていた。一昨日は木の枝を杖代わりにして山歩きし、そのありがたみを実感していたからだ。


「杖になりそうなのは見当たらないね」

「焼山寺に向かう途中には、これぞ杖そのもの! という枝が落ちていたんですけどね」

「ああそれ、弘法大師様が置いておいてくれたんだろうね」

「やっぱりそう思います?」


しょうもない話をしながら、しばらくは枝を探しながら傾斜の緩やかな坂を登っていく。


茅葺き屋根の遍路小屋を過ぎて、いったん舗装道路に出た時、私たちは歓喜の声をあげた。


「見てください、杖がありますよ!」


歩き遍路のために金剛杖のお接待だった。持ち手のあたりに鶴林寺参道と印字されており、私たちはありがたく一本ずつもらっていくことにした。鶴林寺を越えて太龍寺へ向かう時にもこの杖は重宝するはずだ。


雨はもうほとんど止んでいたが、今日は風が冷たく、とにかく寒い。後から知ったのだが、この日は全国的に厳しい寒さで、暖房器具の活躍が著しく一部地域では停電の恐れがあるほどだったのだ。こんな日に山上のお寺へお参りしようというのだから、酔狂というほかはない。


二十番札所鶴林寺の山門に到着したのは、立江寺を出てからちょうど四時間が経過した頃だった。平地を歩くペースがかなり速かったということになる。雨上がりの鶴林寺は全体が霧に包まれて幽玄な雰囲気を醸している。山門には仁王像の代わりに巨大な鶴が立っていた。左手の鶴は首を曲げてこちらを振り返り、眼光鋭く私たちを睨みつけている。右手の鶴は首を引き、本堂の方角へ今まさに鶴の一声を上げようとしているようだ。


山門だけでなく、鶴林寺では至る所で鶴を見た。本堂、寺院幕、そして納経帳に頂いた朱印も鶴で、堂々とした風格がある。思うに鶴は日本人の感性に訴える何かがある。鶴林寺に特別な愛着を抱いている参拝者はきっと多いだろう。寒さに泣いた遍路ころがしの辛さも忘れ、鶴を探すのがなんだか楽しくなってきた。石に苔が生す味わい深い境内をゆっくりと歩きまわりながら鶴を眺めていたかったのは本当だが、寒さは依然として和らがないし、私は次の太龍寺から山を下るロープウェイの最終便が気になっていた。今日中に二十二番札所までたどり着くのは無理だと判断し、今日は太龍寺で打ち止め、ロープウェイの麓駅に程近い宿に昨日の内に予約を入れていたのだ。


「どれだけ時間がかかるのかもよく分からないから、早めに太龍寺へ向かおう」

「そうですね」


彼にも異存があろうはずはない。相棒は太龍寺から二時間もかかるルートを徒歩で下山し、どこかにテントを張るつもりなのだった。着くのが早いに越したことはない。


鶴林寺から太龍寺までは距離で言えば六キロと長くはない。しかし、歩き遍路がたどるのは、今しがた登ってきたのと同じだけの高さを一気に降り、那賀川を渡ってから再び一気に登るというコースなのだ。これを非効率と言わずして何と言おう。効率性を何よりも重んじる経済学者の端くれである私はそっとため息をついた。


「嫌ですよね」

「うん、嫌だね」


私たちの意見は完全に一致した。


下りには下りの大変さがあるとはいえ、やはり登りよりは断然楽である。滑りそうな場所にさえ注意を怠らなければテンポよく歩いていける。三百メートルの高低差を麓まで降りると民家が軒を連ねた集落に出た。トイレの表示を見つけ、せっかくだし寄って行こうと思い、案内板にしたがって階段を降りた先にあったのは見慣れた建物だった。


「これ、学校ですよ!」


廃校になった小学校のトイレをお遍路さんのために開放してくれているのだ。先に用を足し、私は校庭の端から校舎を眺めていた。元々は茶色だったはずの壁が色あせて、ほとんど白くなりかけている。卒業記念として設置された大時計は九時十二分を指したまま針が止まっていた。校舎に近づいて窓から中を覗き込むと、手前の部屋には職員室の札がかかり、壁が部分的にはがれかかっていた。正確には分からないが、かつては全学年で少なくとも百人の児童がいたのではないだろうか。そして今は誰もいない。人間が消えるというイメージが強く想起されて、廃校には少し気味悪さを感じてしまう。トイレをありがたく使わせてもらっておいて、こんな事を思うのは申し訳ないなと内心で謝っておいた。


県道沿いの休憩所を過ぎ(どういうわけか、この休憩所には膝を曲げて立つ竹細工のロボット風のかかしがいた)、深緑色の水をたたえた那賀川にかかる水井橋を渡ると、いよいよ太龍寺への登り坂である。舗装された小道をしばらく歩くうちに遍路道が自然路に変わり、無造作に置かれた石碑が太龍寺道を指し示している。遍路ころがしに差し掛かり、勾配が一気に増した。足の動きがガクンと鈍くなったのが自分で分かる。太龍寺道は整備された山道なのだが、所々に作られた階段が曲者である。良かれと思って作られたはずの階段は踏面が広いため、歩くリズムが狂って足に負担がかかる。足を持ち上げたくなくなるのだ。およそ百メートルおきに置かれた古い石碑である丁石のおかげで目標を細かく刻むことができ、前に一歩を進めようという気持ちを保てるのだが、それでもやはり辛い。私たちの口数もめっきり減っていた。


太龍寺の方角、視線の先から道が消えたと思うと、坂が終わりアスファルトの道路に出た。しばらく進むと、とうとう二十一番札所太龍寺の仁王門の屋根を視界の端にとらえ、嬉しさが込み上げたのも束の間、山門まで続く忌々しい石段の存在に嬉しさもかき消されてしまった。なかなか一筋縄ではいかない。鶴林寺を出てからほぼ三時間が経過していた。


ともあれロープウェイの最終便にはだいぶ余裕があり、この時間ならお参りを済ませた後、相棒も暗くならない内に下山できそうだ。


「とにかくお参りを済ませちゃいましょう」

「そうだね」


本堂、大師堂、納経所の場所を確認するために境内の案内図の前に立ち、私たちは思わず顔を見合わせた。


「太龍寺、広すぎませんか」


広いだけでなく、本堂と大師堂は境内の最奥で、しかもその手前にはご丁寧なことに、またもや長い石段が用意されていたのだ。また、階段。これも「三に太龍」の一要素なのだろうか。ここまで来て泣き言を言っても始まらないので、いつもどおりにお参りを済ませ、納経帳に墨書と朱印を頂く。いや、実は少しだけずるをして、鐘楼門の手前にある納経所に寄ってから本堂と大師堂をお参りした。こうすると、お参りの後にここまで戻らずに済むのである。どこの札所で目にしたのだったか、「納経はお参りの後で」という張り紙が頭に浮かんだ。本来ならばご法度なのだろうが、お大師様もご本尊様もこれくらいの事で腹を立てたりはしないだろう。お参りが終わると、曇天の切間からようやく青空が見え始めた。


「おれが追いつくことはもうないと思うけど、頑張って」


本堂の正面にある石段を下りた先にはロープウェイの山頂駅がある。今日一日を一緒に歩いた相方とはここでお別れである。彼は私よりも札所一つ分だけ先に進むのだ。


「一緒に歩いて楽しかったよ」

「ぼくもです。色々とありがとうございました」

「じゃあ元気で」

「お元気で」


お遍路の魅力に取り憑かれ、結願してはまたすぐにお遍路に出たくなることを「お四国病」などと言うらしい。色んな人たちとのこういう出会いも、お遍路、特に歩き遍路の魅力なのだろう。


お四国病ねえ、ロープウェイで山麓駅に向かいながら、私はそう独りごちた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る