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焼山寺しか打てなかった昨日とは違い、今日は納経帳のページを「稼げる」日だ。徳島市内には十三番から十七番までの五か寺が集中し、札所と札所の距離も近い。十七番井戸寺と十八番恩山寺がやや離れているものの、その次の十九番はまた近い。十九番札所立江寺まで打つことが今日の目標である。
昨夜の宿から十三番札所大日寺までは徒歩で一分の距離だった。宿のご主人が教えてくれたとおり、道を左手に曲がってすぐにそれと分かった。大日寺は県道二十一号線を挟んで一の宮神社と向かい合っており、まるで商売敵が相手をけん制しているかのように見える。だが、実際のところ、大日寺は一の宮神社に付属する別当寺だったという歴史を持ち、両者は商売敵ではなく兄弟のようなものだ。
県道に面した山門をくぐり抜けて境内に入ると、まずは色彩鮮やかなしあわせ観音が目に飛び込んでくる。横長の境内でまずは左端の本堂、次に右端の大師堂をお参りし、納経帳に墨書と朱印を頂いた。納経所にいた方がずいぶん若かったのが印象に残ったが、彼が大日寺の住職なのだろうか。再び山門をくぐり抜け、よし今日も歩くぞと気合を入れる。四国巡礼の四日目が始まったのだ。
常楽寺への遍路道は交通量の少ない小道で歩きやすい。鮎喰川を渡り、十五分ほどで十四番札所常楽寺に到着した。
常楽寺には山門がなく、その代わりに参道の両脇に二本の石柱が建っている。その境内は、私の心をざわつかせるような空間だった。大師堂の手前にある大木は、幹の上半分が切り落とされていて無残だが、これが理由というわけではない。それは境内に足を踏み入れた瞬間に目に飛び込んでくる「流水岩の庭」だった。京都にある龍安寺の石庭のような優雅な代物を思い浮かべてはいけない。奇怪な形の岩が無造作に並び不規則な断層を造形している。荒々しい……。寺院とは安らぎの得られる場所なのだとばかり思っていたが、それが必ずしも当てはまらないことを知った。落ち着かない気持ちでお参りを済ませ、足早に常楽寺を後にした。
十五番札所国分寺までの道のりは一キロしかなく、感覚的には目と鼻の先である。時間にしてわずか二十分なので、周りの風景を見ながら物想いに耽るなどという暇もない。山門と駐車場のあたりで小虫がぶんぶん唸っていた。四国霊場はどれも弘法大師を開祖とする真言宗だと思い込んでいたのだが、実はほかの宗派に属する札所もいくつかある。実際、この国分寺は四国霊場で唯一の曹洞宗の札所である。国分寺で最も強く印象に残ったのは、本堂でも大師堂でもなく、納経所までの小路だった。この先に隠れ家的な和カフェがあるかのような佇まいの洒落た小路を進むと、もちろん実際には納経所がある。
国分寺を出てから四十分ほど歩くと十六番札所観音寺に着いた。鐘楼門の左右には寄進石柱がずらりと並び、それらに刻まれた金百圓、金三十圓という文字に古さを感じる。境内は小さくまとまっていて、これといった特徴がないのだが、鐘楼門を入って右奥にある八幡神社が唯一私の目を引いた。今朝お参りした大日寺は一の宮神社と対峙していたが、八幡神社は完全に観音寺の敷地内に建っている。神仏習合の名残だが、私はこれまで寺院の境内にある神社を見たことがなかったので新鮮だった。この後のお遍路でも、札所の境内に建つ鳥居をしばしば目にすることになる。
観音寺から次の札所へ向かう。小道を進み、国道百九十二号線を渡るとまた道路の幅が狭くなる。五十分ほどで十七番札所井戸寺に着いた。井戸寺では赤と緑が色鮮やかな横長の仁王門に目を奪われた。仁王門越し、まっすぐ正面に本堂が見える。一礼し、山門をくぐって入った境内からは、今日見た寺院の中で最もこざっぱりとした印象を受けた。建造物が多いのだが、段差がなく平坦な境内にそれらがやけに整然と配置されているのである。整理整頓という言葉が頭に浮かんだ。お参りをひと通り済ませ、しばしの小休止をとる。
今日はここからの道のりが長いが、十三番から十七番までをパッケージツアーのような慌ただしさで打ってきたため、ただ歩けばよいという道中に却って心がほっとした。
十七番から十八番まではおよそ二十キロの道のりだ。もっとも、昨日みたいな山道ではなく、基本的には市街地を歩く。少しばかり早歩きで進めば五時間といったところだろうか。歩くのは簡単だが、しばらくは交通量の多い国道や県道が続くため、景色を楽しむなどはたぶん期待できないだろう。
ところが、この予感は良い方向に裏切られた。歩きながら、ふとどこかで見た景色だと思っていた時、たまたま赤信号で立ち止まるとこんな名前が目に飛び込んできた。
阿波おどりセンター。
景色に見覚えがあるはずだ。徳島入りした初日、街を観光がてらここまで歩いてきていたのだ。私は四日ぶりに、徳島駅の近く、市の中心部まで戻ってきたのだった。あれから四日しか経ってなく、ほんのわずか散策しただけの場所なのに、懐かしい思い出の地を再訪したように錯覚し、なんだか嬉しさが込み上げてきた。
ただし、これ以降の公道沿いの風景にはこれといって楽しいものは特になかった。
大きな公道を歩くことには別の不満もある。歩き遍路にとって命綱とも言える道標のステッカーが激減してしまうのである。同様の話はほかの歩き遍路からも聞いたので、私の気のせいではないと思う。
大通りを道沿いに歩くのだから道に迷う心配などないだろうと考える人もいるだろうが、現に私は何度か遍路道を見失った。それに、分かりやすい道を歩くのでも、歩き遍路にとって道標は勇気の源でもあるのだ。しばらく道標が見えないと、ひょっとして右折の矢印を見逃したのではないかという不安が募ってくる。不思議なもので、鞄からガイドブックを取り出し広げてみても、やはり不安は拭い去れない。大丈夫、たぶん正しいはずだと再び歩き始め、とうとう見慣れた赤い丸矢印を見つけた時は、道標を愛おしく感じるほどだ。
徳島市から小松島市に入り、JR牟岐線の線路を渡り、恩山寺がいよいよ近づくと遍路道は国道五十五号線を逸れ、道沿いの雰囲気がぐっと良くなる。私は恩山寺前バス停を左手に見ながら十八番札所恩山寺の質素な仁王門をくぐり抜けた。ここから先は緩やかだが長い登り坂が続き、二十キロほどの距離を歩いてきた身には少々きつい。しかし坂を登り切ると身体から疲れがすっと抜けていった。恩山寺は深い緑色をたたえた常緑樹に囲まれて静謐な雰囲気を醸していた。ここは弘法大師の母親に縁のあるお寺で、本堂へ向かう石段の途中には母親が出家前に剃髪したという大師御母公剃髪所がある。しかし、私は剃髪所に向かい合って立つ地蔵と、その両脇に置かれた石造りのひな壇を埋め尽くす小さな地蔵たちに興味を引かれた。山寺に特有の味わいを楽しみながらお参りを済ませ、時計に目をやると午後三時半を少し回ったところだった。
実は、私はここまでの道を少し足早に歩いてきたのだが、それには理由があった。今日中に次の十九番まで打ち終えたかったのだ。そうすれば、明日の山越えに備えて、多少なりとも距離を稼げるという目論見である。足にはすでにずきずきする痛みがあったが、次のお寺で今日は終わりなのだからと自分に言い聞かせて気合いを入れ直し、立江寺に向けて歩き始めた。
歩き始めると、後ろから鈴の音が付いてくるのが聞こえる。振り返ってみると、五十メートルほど後方を白衣に身を包んだ女性のお遍路さんが歩いていた。そう言えば、恩山寺で姿を見かけたような気がする。今日はどこから歩き始めたのか知らないが、初めて姿を見かけたのが恩山寺なのだから、歩くペースは私の方が早いことになる。それなのに間隔が広がらないのだから、あの女性にとってはかなりハイペースのはずだ。おそらく、彼女も今日中に立江寺を打ちたいのだろう。
歩いているうちに、一定のリズムで聞こえる鈴の音が耳に心地よくなってきた。誰かが後ろから見守ってくれていると錯覚しそうになる。つまり、同行二人とはこういうことなのだろうか。一人じゃないという安心感があるのだ。
規則正しいシャリン、シャリンという鈴の音をBGMに歩き続けていると、やがて立江寺に到着した。恩山寺を出てからちょうど一時間が経過していた。
白い欄干の石橋を渡ると急ぎ山門を抜けてお参りし、納経帳に墨書と朱印を頂いたのは閉所時刻の十分前だった。本堂の緑青色の屋根が年月を感じさせ、圧倒的な存在感を示している。立江寺が、邪悪な心を持つ者、行いが悪い者はここより先に進めないという関所寺であるというのも頷ける。そんな立江寺を無事に落ち終えることができて、私は胸を撫で下ろした。
私は今夜の宿をまだ決めていなかったが、お大師様の導きで素敵なゲストハウスに泊まれることになった。境内にいた人のよさそうなおばあちゃんに話しかけたら、自分が運営しているゲストハウスに空部屋があると教えてくれたのだ。弘法大師のご加護は効果抜群なのだった。
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