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「一に焼山、二にお鶴、三に太龍」と言う。四国遍路の難所を並べた言葉だ。焼山寺道は「遍路ころがし」とも呼ばれ、標高六十六メートルほどの場所に建造された藤井寺から標高七百六メートルの焼山寺へと至る険しい山道である。お遍路の情報を紹介したウェブサイトには「アタックする」という表現さえ見られる、文字通りの登山なのだ。


それにしても、歩き始めて十分も経たないうちに息が上がってしまったのには自分でも驚いた。山道の登り坂がこんなにしんどいものとは思ってもみなかった。坂の途中で立ち止まり、最初の休憩を取る。ガイドブックによれば焼山寺までは六時間かかるというが、今からこの調子で本当に大丈夫なのか、たどり着けなかったらどうしようかという不安が頭をよぎる。それでも、今日は晴れているのが救いだ。もし一昨日のような大雨の中を登らなければならなかったとしたら、と想像すると身体に震えがきた。まあよいさ、疲れたらその都度休めばよいのだから。そう開き直り、ゆっくりと登っていくことにした。


焼山寺道を登る、と書いたが、遍路ころがしは焼山寺に向かう単調増加の登り坂ではなく、登って少し下る、また登って少し下る、を何回か繰り返す。経済学の教科書には、右上がりに置かれた直線を軸にして描かれたサインカーブと一緒に、景気の良し悪しを繰り返しながらも長い目で見れば経済が成長するという経済成長の仕組みが説明されているが、焼山寺道の道のりはまさにそんな感じだ。焼山寺は経済成長の先にあるのである。


焼山寺道は昔からよく知られた遍路道なので、ある意味で十分に整備されている。自然路に大きな石を敷いて作った階段はそうした整備の賜物なのだが、実は坂道よりも階段を上がる方が何倍も辛い。小さいながらも不連続な高低差を埋めるべく、一歩を踏み出す時に体重がすべて片側の膝にかかるからだ。せめて、膝の負担を左右の足で分散させようと、踏み出す足を意識的に入れ替えながら登ると少しは楽になる。息を切らしながら石段を登り終え、再び坂道に戻ると安心する。


唐突に、見晴らしの良い場所に出た。遠くに広がるのは昨日歩いてきた阿波市の町並みだろう。眺望に見とれたことだけが理由ではなく、再び歩き始めるのが億劫でしばらくぼうっとしていると、今来た道の方から金剛杖の先に付けた鈴の音が聞こえてきた。音の方を見やると、昨日と一昨日、何度か言葉を交わした男性の姿が見えた。確か、今年で七十二歳だと言っていた。七十を越えてこの速さで山道を登ってゆけるというのに恐れ入る。


「後少し行くと長戸庵があって休憩できるよ」私の横を通り過ぎる際に男性が笑いながらそう教えてくれた。「丁度良い所にあるからね。だから、『ちょうど庵』」


焼山寺道の入り口からここまでと、ここから長戸庵までの距離は同じくらいなのだが、勾配は一気にきつくなった。歩くスピードが落ちているのが自分で分かる。ずぶ濡れになりながら歩いた初日と同じように、視線が自然と足元に落ちる。ようやく道が平らになり、その先に南無大師遍照金剛と白抜きされた赤い幟が二つ、ゆらゆらとはためいているのが見えた。長戸庵だ。お堂に大師像が祀られている。しかし、大師堂よりも私の目を引いたのはお堂の横に設えられていたベンチだった。荷物を地面にどさっと降ろし、ベンチの上にゴロンと横たわった。重力に逆らわない姿勢でいると体が軽くなったようだ。登り始めてから一時間半ほどが経っていた。

思い返してみると、昨日までは札所と札所の間で休憩を取ることなどほとんどなかった。休憩の必要がなかったからだ。そのせいで、休憩所のありがたみを感じることもなかったのだが、今は心の底から実感できる。ここに長戸庵があって本当に良かった。


いつまでもゆっくりしていたい気持ちを振り切って、再び歩き始めた。三キロほど先に行くと、次は柳水庵があるはずだ。途中、道がなだらかな下り坂に変わり、先ほどまでとは打って変わって足取りが軽くなった。思うに、緩やかな下り坂の自然路ほど歩きやすい道はない。歩く速度が増し、しばらく進むと柳水庵の屋根が見えてきた。先ほどの長戸庵と同じようなお堂を想像していたのだが、柳水庵は一軒家のような建物で、実際に人が住んでいてもおかしくない。それもそのはずで、かつてはここで宿坊が開かれていたそうだ。現在、宿坊は閉鎖中だが、坂を少し降りた先にある休憩所が利用できる。こちらの休憩所は宿泊禁止なのだが、一晩をここで過ごすお遍路さんがたまにいるらしい。水場だけでなく、トイレが設置されているのがありがたかった。


柳水庵休憩所は山間にあり、ここからはまた登り坂が始まる。足取りは再び重くなり、十分もしないうちに息が上がるのも前と同じだ。これにはきっと慣れることなどないのだろう。時計を見ながら後五分歩いたら休憩しようとか、その先に見える曲がり角まで登ったら荷物を降ろそうとか、とにかく目標を超短期に設定しないと、集中力が続かない。


ふいに、トレーニング・ランニングなのか、黒衣に身を包んだ一人の若者が信じられない速さで私の横を颯爽と駆け抜けていった。下り坂ではなく登り坂である。人間とは別種の生き物ではないかと思うような身軽さですぐに視界から消えてしまい、もはや、自分が本当に何かを見たのかどうかさえ怪しい。一体ぜんたい何だったのだろう。


気を取り直して山道をジグザグと登っていくと、突然、舗装された石段が現れた。石段の先に大師像が見え、一瞬、あれが焼山寺かと思ったがもちろんそうではなく、浄蓮庵だった。浄蓮庵は峠にあり、焼山寺道は再び下り坂になる。左右内谷川を渡った先には最後の遍路ころがしが待ち構えている。


ついに舗装された道路に出て、焼山寺の仁王門が見えた。心の奥から嬉しさが込み上げてくる。朝八時に焼山寺道を登り始め境内に着いたのが十二時半、ちょうど四時間半の山歩きだった。山腹にある焼山寺の境内では四方八方から鳥の鳴き声が聞こえる。いや、これまでも山鳥は鳴いていたはずだが、さっきまでは耳に届いていなかったのだ。敷き詰められた砂利の上を一歩進むたびに足元でザッ、ザッ、と砂利を踏む音がする。杉の巨木の間を通って本堂へ向かった。


お参りを済ませて納経所へ行き、墨書と朱印を頂く。

「今日はお車ですか」

「いいえ、歩きです。藤井寺から歩いてきました」

私は若干誇らしげにそう答えた。

「それはご苦労様でした。ゆっくりと休憩していってください」

遍路ころがしを見事に登り切りましたね、と労ってもらえたようで素直に嬉しい。もっとも、あれは駐車場利用の有無を確認していたのかもしれない、と後から思った。

脇に設置された自販機で飲み物を買い、木陰にあるベンチに腰掛けた。顔に風が当たって涼しい。


境内を見渡すと、白衣姿のお遍路さんと黒のスポーツウェアを着た剃髪の若者がにこやかに話していた。お遍路さんは「ちょうど庵」を私に教えてくれた男性だ。特に何かを考えるでもなく、二人の方に視線を向けていたらふいに思い出した。もう一人は先ほど疾風のように私を追い抜いて行った若者ではないか。リュックサックを手に持って二人の方に移動すると、「ちょうど庵」の男性が私に気づいて、おう、と手を挙げた。


「ものすごい速さで登ってましたね。さっき見ましたよ」

剃髪の男性にそう声をかけた。

「この人ね、お坊さんなんだ。修行中だって」

え! 確かに剃髪しているが、坊主というのはもっとゆったりと動くものではないのか。聞けば焼山寺道を毎日走って往復しているのだという。あれはトレランではなく修行だったわけだ。

「実家がお寺だったんですか」

「いや、違います。若いころやんちゃをしていて、それでお寺に預けられたことがありまして」


笑いながらそんなことを言う。小説かテレビドラマに登場しそうな人物設定だが、現実にそんな話があるとは知らなかった。彼は高野山で修行してからあるお寺に入ったのだが、住職が仏道そっちのけであまりにもカネを気にするのに嫌気が差したのだという。無理もない、日本の仏教は葬式仏教であり、宗教というよりはサービス業なのである。純真に仏道を究めたいと思い寺を飛び出し、現在は何人かの仲間と一緒に道場を備えたお寺を建てている最中だというから、その行動力に驚かされる。修行に明け暮れる毎日を過ごし、生活に必要な分だけのお金を読経などで得る。そんな理想的な仏教生活がずっと続くのかどうか私には分からないが、できれば成功してほしいと思わずにいられない。


私は丸々一時間ほど休んでから焼山寺を後にした。今日のゴールはまだ先なのだ。焼山寺から次の大日寺までは二十二キロの道のりで、今夜は大日寺の近くに宿を予約していた。本当は焼山寺周辺に宿を探したのだが、どこも部屋は予約でいっぱいだったのだ。三連休の中日だから仕方がない。それでも、ひとまず難所は越えたし、札所と違い「開所時間内に打たねば」という時間制約もない。距離は長くともどうにかなると踏んでいた。これまた何とも甘い読みだったことは数時間後に判明する。

五百メートルの高低差を一気に駆け降りる。時間を取り戻そうとして走っているわけではなく、急斜面で速度が上がってしまうのである。無理にゆっくりと歩くと却って膝に重い負担がかかる。


「急坂注意」の立札を過ぎた直後、私は見事に転がった。ううむ、遍路ころがしの名は伊達ではない。一昨日の雨で道がぬかるんでいるせいもあるが、木の根や石の上は本当に滑りやすいのだ。弘法大師のご加護があり、幸いにも地面が柔らかい場所で軽く尻餅をついただけで済んだ。四国巡礼を始めて以来、雨が上がったとか座れるベンチがあったとか、何か小さな幸運があるとお大師様のおかげと思う癖が付いたが、これはお大師様の役得だなと思い笑ってしまった。


焼山寺バス停から大日寺へは玉ヶ峠越えが最短ルートである。せっかく山を下りてきたのにまた峠越えなのかと少しばかりうんざりしたが、最短の響きに釣られてこのルートを選んだ。


ところが、玉ヶ峠は迷いやすい山道だった。どうしてなのか、私の目には道が二手に分かれているように見える場所が何か所かあり、そのつど立ち止まって「遍路道に見える方」を選んできた。道標もなく、ほかのお遍路は迷わないのだろうか。登っているのは確かだが、自分が本当に遍路道を歩いているのかどうか、だんだん覚束なくなってきた。いや、たぶん、完全に道を外れてしまったのだ。とうとうグーグルマップを開いて現在地を確認してみたが、こんな山中の遍路道は画面に表示されず、自分が山中にいるという明白な事実を確認できただけだった。どうしよう、引き返そうか。うかつにも、飲み物を切らしていた。もしもこんな所で歩けなくなったらどうなるのか……。そう考えると急に恐怖心が湧き上がってきた。


ふと、遠くで鈴の音が鳴るのが聞こえた気がした。金剛杖の鈴だろうか。道を教えてほしいなどという具体的な何かを考えたわけではなく、人の姿を目にして安心したいと思った。音のする方向に道が続いているようには見えなかったが、この時ばかりは息が切れるのも構わず、半ば走るように山道を一心に登り続けた。どのくらい歩いたのか、たぶんさほど長い時間ではないのだろうが、突然、舗装された小道に出た。そこには誰の姿も見えなかったが、とにかく助かったらしい。全身から一気に力が抜けていくのを感じた。


今度こそ本当に難所を越えたはずだ。アスファルトの下り坂をゆっくりと歩いていく。ただそれだけなのだが、体力が限界に近付いているのか、歩くのがしんどい。さっき、後先を考えず足早に峠を登ったつけがもう来ている。休みたい……。背中のリュックサックを降ろしアスファルトに大の字で横になったら身体が楽になった。もし今誰かがここを通りかかったなら、地面に寝そべった男を見てぎょっとしたに違いない。ずっと休んでいたかったがそうもいかない。起き上がってリュックサックを背負い、再び道を下っていく。


鮎喰川に沿って歩いていると、小さな集落にたどり着いた。道が平坦になり、ようやく周辺を見渡す余裕が出てきた。見れば田園が広がる風景の中にぽつぽつとかかしが置かれている。かかしといっても、昔の田んぼにあるような、ほうきの先に手拭いをかぶせ、へのへのもへじの顔を付けただけ、というのではない。衣装を身に着け、実際の人間を二回りくらい小さくしたようなかかしである。


顔はどれも笑っている。農作業をするかかし、立ち話をするかかし、サッカーをする子供のかかし……。不思議なことに、人間は一人も見かけなかった。人気のない、静かすぎる集落のあちこちにかかしだけが笑顔で生活しているかのようだ。ひょっとして、この集落はかかしに乗っ取られてしまったのではないのか……。そんな風に想像して背筋が少し寒くなった。


広野五反地というバス停までたどり着き、私はとうとう歩けなくなった。疲れて歩けなくなるなんて初めての経験である。そろそろ暗くなりかけ、気温も下がってきた。どうしたものかと思い、旅館に電話を入れると、ご主人がここまで迎えに来てくれると仰ってくれた。十五分も経たないうちにご主人の車に乗り込み、旅館までの道を車内から見ると、今日の状態でこの後を歩くのは到底無理な話だったなと思う。歩けば二時間はかかる。


「無理しても仕方がないですよ。無理して寝込んだらその先は行けませんから」

無理しても仕方ないというご主人の言葉を、私は口の中で小さくつぶやいた。大切なことを教えてもらった。

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