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外に出ると空は曇り模様だったが雨は上がっていた。昨日は冷たい雨に泣いたので、雨が降っていないことに感謝の気持ちがわく。靴は生乾きで、足を入れるとつま先がじっとりと湿っているが、これくらいはいくらでも我慢できる。宿坊のエントランスを出て右手に進み、まずは朝一番で本堂と大師堂をお参りした。昨日は納経所の受付時間内に安楽寺の境内へたどり着いたものの、雨に打たれた身体にはお参りしようという気力が残っていなかったのだ。実際、こうして落ち着いた気持ちで納経できたのだし、お参りを今朝にまわして正解だった。


昨夜は熟睡したおかげで足取りが軽い。もちろん、足取りの軽さは雨が上がったことも大きな理由だ。曇天の切れ目から見える淡い水色が気分を高めてくれる。歩きながら辺りを見渡す余裕さえあり、気に入った景色が見つかればすぐにカメラを取り出してシャッターを切れる。こんなことがとにかく嬉しい。昨日は足元だけを見て歩いていたのだった。


安楽寺から次の十楽寺までは十五分の道のりだ。目と鼻の先なのだが、信じられないことに道を間違えてしまった。一体、昨日から数えて何回目の間違いなのだろう。遍路道と並んで走る県道百三十九号線を歩いていたせいで、右折すべきT字路を直進してしまったのである。こんなに長く歩くのはおかしい――そう思い始め、目をきょろきょろさせながら歩いたのが功を奏した。右手に見えた大きなお寺が果たして十楽寺だった。昨日みたいに土砂降りの中を歩いていたら、たぶん見逃していたはずだ。できれば二股に分かれる場所には遍路道の表示が欲しい。


七番札所十楽寺は鐘楼門が印象的だ。どこか中国風のその門は鐘楼を収めた上部に対して下半分の基部がどっしりとしており、鐘楼門全体が口を大きく開いた顔のように見える。上下が紅白に塗り分けられた色使いから、私は白髭をたくわえた口周りを連想した。ただ、後から写真を見返すと、これが安楽寺の鐘楼門と瓜二つなのだが、不思議なことに安楽寺の方は全然記憶に残っていない。十楽寺の本堂と大師堂は石段の先、奥まった場所に建っているのだが、境内は小さくまとまっていてお参りしやすかった。


十楽寺から熊谷寺へと向かう道沿いには、野菜の無人販売所があってのどかである。途中、市場という地名が目に留まった。経済学者が分析対象とする市場は「しじょう」と読むが、この地名の読み方は「いちば」だった。四日市や十日市のように数字が入っていたり、●●市場のように固有名詞付きの地名はよく見かけるが、ただの市場とは珍しい。少なくとも私にとっては初めて目にした地名である。


県道百三十九号線をそれて小道に入りしばらく歩くと、八番札所熊谷寺の堂々たる仁王門が姿を現した。仁王門から先は桜並木が続いており、残念ながら昨日の大雨で花はだいぶ散っていたが、花絨毯もそう悪くはない。桜にカメラを向けている人の姿がちらほらと目に付く。枝に残る花びらの濃いピンクが鮮やかで、青空を背景にすればさぞ映えただろう。


参道をしばらく進むと広い駐車場があり、観光バスから白衣姿の団体客が降りてきた。皆、金剛杖を手にしている。うわさに聞くお遍路ツアーだ。コロナ禍の前まではこのようなお遍路ツアーが多かったらしい。年配の団体客に混じる若い女性は添乗員だろうが、それとは別に先達と思しきお坊さんがツアーに同行しているようだった。確かに本職の僧侶が読経を導いてくれるならツアー客にはずいぶんと心強いだろう。いつだったか、もう七十を超えた母がお遍路に出てみたいと言っていたことがあるが、こんな感じのバスツアーに参加するなら安心して勧められそうだ。


駐車場から多宝塔を経て、中門に至る参道の両側には信徒が寄贈した石柱がずらりと並ぶ。赤緑青白に彩られた屋根裏が目を引く多宝塔は一七七四年(安永三年)に建立され、四国最古の歴史を誇るという。境内では般若心経が厳かに流れ、これまた年月の重みを感じさせる。なんとも味わい深い札所だ。本堂と大師堂は境内の最奥にあり、そこへ至る長い石段を上るのに少し難儀したが、無事にお参りを済ませることができた。


熊谷寺から次の法輪寺へ向かう途中、空には段々と晴れ間が広がってきた。朝は寒いと感じた風が今は気持ち良い。のんびりと歩いていると、背中越しにお遍路さんですかと声を掛けられた。振り返ると、ジョギング中らしくスポーティなジャージ姿の男性がにこやかな表情を顔に浮かべて立っていた。「後ろから見ると全然お遍路さんっぽくないんやけど」と言って笑う。私は白衣も菅笠も金剛杖もないのだから、それも当然だろう。


「見たところ若いけれど、何か思うところがあって来たの」

「ええと、そういう訳でもないんですが、とにかく歩いてみたく。歩くのが好きなんです」

「なんや、何となくか」

男性はからからと笑いながらそう言うと、この先の道を親切に教えてくれた。普段の旅行では見知らぬ人とのやりとりなどそう多くはない。これが四国巡礼の醍醐味なのだろうと思う。


県道百三十九号線を左手に曲がり、田園風景の中をまっすぐに歩いていく。九番札所法輪寺は、田畑の中に建つこぢんまりとしたお寺だった。小道に面し、仁王門と向き合った形の無人販売所には野菜や果物といった農作物が並んでいる。


一礼して門をくぐると両柱のわきには菅笠をかぶった地蔵が置かれていた。先ほど打った熊谷寺とは造りも雰囲気もまるで違う。段差がなく、ペッタリとした境内は何とも柔らかな印象で、長めの休憩を取っていこうかという気持ちになった。


法輪寺ではようやく経本を手に入れた。値段は四百円なり。たしか霊山寺でも同じ値段がついていたような記憶がある。金泉寺で得意げに読めますと答えた般若心経だったが、実はうろ覚えの個所がいくつかある。そうした個所に差し掛かるたびに、読経する声が小さくなり、口の中でごにょごにょと曖昧にやり過ごしていたのだが、これからはもう大丈夫である。気分も新たに次の札所へ向けて出発する。


遍路道はしばらくアスファルトの舗装路が続く。歩きやすいのはよいが、道幅が狭い割に交通量は多く、スピードを出す自動車がわきを通り過ぎるとしばしばひやりとする。「へんろ道、スピード落とせ!」と手書きの立札を見て、いや、まったくごもっともと一人で頷いてしまう。今日、何回目かの県道百三十九号線に合流し、三十分も歩けば十番札所切幡寺へと続く細い路地が見える。住宅に挟まれた路地を進んだ先に仁王門が建っていた。


しかし、切幡寺はここからが長い。「是より三三三段」と刻まれた立石を過ぎ、ハイキング気分でイチ、ニ、サン、シと段数を数えながら石段を登っていったが、緑に囲まれた参道に清々しさを感じたのは初めだけだった。午前中いっぱい歩いてきた身にとって三百三十三段の石段はかなりしんどいのだ。お遍路の難所といえば焼山寺に向かう「遍路ころがし」が有名だが、「是より三三三段」を擁する切幡寺が序盤の山場として注目されないのが不思議である。


途中、何回か休憩し、息を切らしながら三百三十三段の石段を登り切った先に本堂と大師堂があった。これらの堂宇はずいぶん小ぢんまりと配置されている。本堂のわきには、パイナップルを長く引き伸ばしたような幹を持つソテツが咲き、少しばかり南国の雰囲気を感じさせた。


切幡寺では堂に入った参拝をするお遍路さんを見た。私が唱えるのは般若心経だけだが、そのお遍路の男性は光明真言や回向文なども諳んじていて、何よりその姿が様になっている。服装はお遍路らしくない普段着だったが、それがまた俄かとは違う迫力を感じさせた。どうせなら私もあれくらいになってみたい、と思う。


お参りの後、納経帳に墨書と朱印を頂き、先ほどの石段を今度は下っていく。下るだけなら楽かと言えば全然そんなことはなく、石段の踏面が長いせいで歩幅が合わず、膝に負担がかかる。体重が片足に集中するのを防ごうと、足を交互にゆっくりと出しながら一歩ずつ下っていくので時間もかかる。それでも、不思議と気持ちが下向きにならないのは、時折聞こえる鶯の鳴き声が耳に心地良かったからだ。山寺の雰囲気は良いなあとつくづく思う。


ここまでは札所と札所の間隔が短く、一時間も歩けば次のお寺にたどり着いていたのだが、今から向かう藤井寺までは十キロほどの距離がある。そのほとんどはアスファルトの県道だが、道中の景色に見どころが多い道のりでもあった。二手に分かれた吉野川を一回ずつ渡るのだが、いずれも橋は狭く、欄干がない。大野島橋を渡って中州島である善入寺島に入ると、その次は川島橋が現れる。私は高い所が苦手で、橋上で車とすれ違う際に端っこへ避けて立つのが怖い。ほうほうの体で橋を渡り切り、高所がなくなるとようやく心が落ち着いて、山を背に、青々とした畑に囲まれたのどかな風景を楽しむことができた。これらの橋はどちらも、大雨が降ると水に浸かってしまう潜水橋である。ちなみに、同じく増水の際に通行できなくなる橋を、高知県では沈下橋と呼ぶ。隣り合った二つの県で呼び名が違うのが面白い。善入寺島の高い場所から川島橋を見ると、二人のお遍路さんがまさに橋を渡っているところだった。すっかり晴れた青空の下、白衣に身を包んだお遍路さんがまっすぐに伸びる川島橋をゆっくりと進んでいく様子は確かに絵になるのだった。


道中、自転車に乗った少年たちがすれ違いさまにこんにちはと声をかけてくれた。東京で生活していてこんな事はまずありえないので、私は何だか嬉しくなった。お遍路さんを見かけたら挨拶しなさいと、小さいうちから行儀を仕込まれているのだろう。嬉しさの余韻に浸ったまま、途中で見かけたお菓子屋さんで苺大福を買い、それを食べながらポクポクと歩いた。


三時間ほど歩いて十一番札所番藤井寺に到着した。山に囲まれた藤井寺では、切幡寺と同じく鶯の鳴き声が聞こえる。参道の横を流れる川のせせらぎも耳に心地よい。質素な山門に見合う小ぶりの境内に、本堂はひっそりと佇んでいた。本堂の真横を起点とする焼山寺道は「遍路ころがし」と呼ばれているが、とてもそうとは思えないほど藤井寺の佇まいは控え目だ。あるいは、却って迫力があると言うべきなのかもしれない。私は藤井寺でのお参りを済ませ、焼山寺道の入り口を確認した。明日はここから遍路ころがしを歩いて焼山寺へと向かうのである。


本当なら、今夜の宿は藤井寺に近い場所で手配するべきなのだが、私は十楽寺の宿坊に予約を入れていた。朝一番に打った安楽寺の目と鼻の先にある十楽寺である。今回のお遍路では可能な限り宿坊に泊まることを一つの目標にしていたからなのだが、お遍路に出る前、この日の晩にどこへ宿泊するかは非常に悩んだ点だった。今回は十楽寺の宿坊をあきらめ、次回に回す。ある意味で自然な考え方ではあるものの、「次回」が本当にあるとは自分でも思えない。私は悩んだ末、巡礼二日目の今日は十一番を打ち終えてから公共交通機関で十楽寺へ戻るという計画に落ち着いたのだった。


公共交通機関として当初考えていたのは割安な路線バスだが、いくら調べてもぴったりと合う路線はなかった。そもそもバスは本数が少なく、一日に二、三本というのが普通だった。


結局、私はタクシーを利用したのだが、タクシーの運転手さんが言うには、ずいぶん前からバスの利用者が減り、この本数を走らせるのでさえ採算がまったく合わないそうだ。私が生まれ育った町でも状況は同じで、バスは全然走ってない。地方の町に共通する現象なのだろう。


十楽寺の宿坊はビジネスホテルそのものだった。受付でチェックインを済ませ、部屋で荷物を降ろしてから大浴場へ向かった。温泉寺の異名を持つ安楽寺は温泉だったが、十楽寺では「お風呂が沸きました」という館内放送が流れた。大きな湯舟に浸かると歩き疲れが和らいでいくのが分かる。これでまた明日も歩けそうだ。

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