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目が覚めると雨はすっかり上がっていた。いまだどんよりとした空模様も午後には青空に変わるらしい。朝ご飯をしっかりといただき、身支度を整えると、次の神峯寺へ向かう前に、「くじら寺」の異名を持つ金剛頂寺の境内にある鯨の供養塔を見ておくことにした。草木に囲まれた境内の一角に立つ供養塔には「捕鯨八千頭精霊供養塔」の文字が見える。室戸には江戸時代から捕鯨の町として栄えた歴史があるのだ。


西洋には捕鯨を野蛮と見る価値観があるが、鯨肉は栄養価が高く、庶民にとって貴重なたんぱく源だった。生きるために動物を殺し、しかし彼らの命に感謝の念を忘れずに供養する。供養塔を見ながら、これは野蛮とは対極の姿勢なのではないかと私には思われた。


金剛頂寺の境内を後にし、次の神峯寺へ向かう。ただし、少し寄り道をして番外霊場不動岩を見に行くことにした。昨夜、不動岩にある空海遍路文化会館にはぜひとも足を運んでくださいと、宿坊の女将さんから強く念を押されていたのだ。不動堂は金剛頂寺の奥之院で、かつて金剛頂寺が女人禁制だった頃はここが女性たちの修行の場だった。弘法大師自身も不動岩周辺で修行したという。


弘法大師が悟りを開いた地としては御厨人窟(みくろど)が有名で、私が所持する二冊のガイドブックにもそう記されている。しかし、地質学的な調査によって、弘法大師が生きていた千二百年ほど前の御厨人窟付近は海だったことが明らかになっているそうだ。それが正しいならば弘法大師が御厨人窟で悟りを開いたはずはない。では、悟りの地は一体どこなのか。そう、不動岩こそがその地なのだ、と少なくとも金剛頂寺の女将さんは確信している。


これには根拠もある。弘法大師は明星が口に飛び込んできた瞬間に悟りを開いたと言われているが、不動岩はまさに明星が口に入る位置なのである。どのみち伝承に過ぎないと一笑に付することもできるが、御厨人窟が海中にあったならば、少なくとも若き日の空海がそこで悟りを開くことはなかったはずだろう。


「私は、弘法大師様が悟りを開いたのは御厨人窟だ、という誤りをとにかく正したいんです。皆さんにその話をするために私はここにいるようなものなんです」


女将さんは笑いながら、しかし強い口調でそう言っていた。


高知県産の檜を贅沢に使った空海遍路文化会館はとても立派な建物だった。完成からまだ一年足らずで、館内には檜の良い香りが広がっていた。


この後はしばらく国道五十五号線を西に向かうのだが、途中にいくつかある歩き遍路のための遍路道がなかなか良かった。中山峠の峠越えも捨てがたいが、私が今日歩いた道で一番気に入ったのは吉良川の町並みだ。旧国道の道沿いが国の重要伝統的建造物群保存地区に選定され、明治期の古い家屋がきれいに残っている。こうした取り組みは積極的に進めてほしいと思う。壊してしまえばもう二度と戻らない。こういう道は歩いていて本当に楽しく、歩調を緩めて美しい町並を散策した。


見れば昨夜の宿坊で一緒だったお遍路さんも私と同じようにゆっくりと町を散策しているようだった。声を掛け、しばらく連れ立って歩く。彼女が仕事の合間に取れる休暇は一週間が限度というが、大坂と四国を何度も往復して無事に結願を果たし、今回は彼女にとって二周目の歩き遍路なのだという。


歩きながら何となく海の方を見ていると、ふいにその人が口を開いた。


「水平線の向こう、うっすらと陸地が見えるでしょう?」


言われて初めて気づいたが、確かに水平線の先に薄い黒色の盛り上がりが見える。あれは陸地だったのか。


「あれ、足摺岬なんです。この後あそこまで歩くんですよ。そう考えると何だか凄いですよね」


私にはまったく思いもよらないことだった。もちろん、今回の私は足摺岬など遠く及ばない手前でお遍路を区切る。でも、いずれ戻ってきたら、あそこまで歩くのだ。


「足摺岬に着くと、今度は遠くに室戸岬が見えますよ。あんなに遠くから歩いて来たんだ、と感じるはずです」


私が足摺岬にたどり着くのはいつになるのだろう。でも、お遍路を続けていれば、いつかはたどり着くのだ。


ここまではほぼ平坦な道を二十四キロほど快調に進んできたが、実は最後の四キロが曲者である。二百メートルほどの高さをまっすぐに登っていく「まっ縦」が控えているのだ。こういった別名がわざわざ付けられた場所は本当の難所で、呼び名は伊達ではない。


二周目のお遍路を歩く女性と別れ、一人でまっ縦をアタックし始めた。息を切らしながら歩いていると、もっと名前負けしてもかまわないですよ、と苦言を呈したくなる。すっかり旅の伴侶となった金剛杖を突きながら、曲がりくねった車道を串刺しにするように山道をまっすぐに登っていく。道中の序盤ならともかく、二十五キロも歩いてきた後なのだ。昨日の土砂降りに比べれば天候には恵まれたが、すっかり晴れた今は日差しが強い。歩きながら楽しさなど全く感じず、お遍路が修行であることをまたもや思い知らされた。


四キロに満たない距離を一時間半以上もかけ、ようやく二十七番札所神峯寺の山門にたどり着いた。手を合わせ、頭を下げてから門をくぐる。納経所が閉まるまでにはまだ一時間あるので、時間には余裕がある。いまだまっ縦の続きであるかのように境内は細長く、通路が奥へ奥へと続いている。案内板に従って本堂を目指して歩き、そして、唖然とした。本堂の前に立ちふさがる長い石段が見えたのだ。急坂の次は石段か……。風船がしぼむように身体から気力が失われていくのを感じる。でも、登らなければ。


よし、と声に出して気合いを入れ直し、改めて境内を見回せば神峯寺は緑が豊かな落ち着いた雰囲気を醸したお寺だった。植木はきれいに剪定され、白石を敷き詰めた敷地の先では鯉が優雅に泳ぎ、境内全体に日本庭園を思わせる趣がある。正直なところ、この長い石段だけが余計なのだった。


来た道を折り返し、宿にたどり着けば今日の行程は終了である。海沿いを走る国道五十五号線に向けて、今度はまっ縦を一直線に下っていく。しかし、これがしんどい。登りほどの疲労感はない。だが、膝上の少し外側にある筋肉、何という筋肉なのかは知らないが、ここが両脚ともに悲鳴を上げている。下りには登りとはまた違う修行の道が用意されているのだった。


こんな辛い思いを味わって、お遍路を区切った後、私は本当にここへまた戻ってくるだろうか。


「もう少し先まで進むと歩くのが楽しくなってきますよ」


足摺岬を教えてくれた先ほどのお遍路さんはそんなことを言っていた。それに、今回のお遍路で出会った人は、ほとんど全員が歩き遍路のリピーターだ。彼らの言葉を信じて、もうしばらくは歩き続けてみようと思う。

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