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朝八時に宿を出発し、夏のお遍路の二日目が始まった。


歩き遍路の朝は早い。午前六時か六時半には朝食を済ませ、七時を過ぎた頃にはもう歩き始めているのが普通だ。私の八時出発というのは相当にのんびりしている印象で、下手をすると、ほかの歩き遍路や宿の方から本気度を疑われかねない。


お遍路さんはなぜそんなに早く宿を出るのか。多くの人にとって真っ先に思い浮かぶのは、早起きすればその分長く歩くことができるから、という理由かもしれない。この理由が当てはまる歩き遍路もいるとは思うが、大抵のお遍路さんはそうではないと首を横に振るだろう。人間が歩ける距離には限度があり、十分に長い時間をかけたところで一日に歩けるのはせいぜい三十キロから四十キロといったところだからだ。早く歩き始めたからといって、その分長く歩けるというものではないのだ。


真夏に限れば、太陽が完全に登り切らない早朝は涼しくて歩きやすい。そのため、早朝から歩き始めて、日差しがピークを迎える前にさっさと宿に入ってしまおうという作戦は合理的である。しかし、同じ事は夕方から夜にかけてという遅い時間帯にも当てはまる。つまり、夕方から歩き始めて――宿のチェックアウトがそれを許すかどうかは別の問題として――夜の遅い時間帯に宿に入れば、やはり暑さを避けることができる。


それよりも、午後五時という納経所の閉所時刻が歩き遍路を早朝から活動に駆り立てる本質的な理由だと私は考えている。この制約条件のために、お遍路さんは早起きして歩き始めるのだ。


実際、私が今朝をのんびりと過ごしていたのは、どのみち今日中に三十七番を打つのは無理だと踏んでいたからだった。やや逆説的ながら、札所が少なく、次の札所まで一日かけてもたどり着けないことが多い「修行の道場」高知県は、ある意味で制約条件にしばられずに済む、歩きやすい土地なのかもしれない。泊まる場所さえ確保できれば、宿に到着する時刻が遅くなっても問題はないし、逆に自分のペースで好きなだけ歩いて「距離を稼ぐ」ことも可能である。


ただし、制約条件について言えば、お遍路が直面する問題は時間制約だけではない。私は今日、焼坂峠と添蚯蚓(そえみみず)という二つの峠を越えたが、峠越えを始めとする自然路の遍路道には別の問題がひそんでいる。


JR土讃線安和駅を一キロほど過ぎた地点から焼坂峠への登り道が始まる。焼坂峠の登り口には頂上までの道筋が丁寧に示された案内板があり、峠の頂まで一・一キロという具体的な数字が私の励みになった。しかし、前回のお遍路から時間が空いてしまい、どうやら、私はすっかり山道の登り坂が駄目になってしまったようだ。肉体的な辛さもさることながら、頭が登り坂を拒否しているようなのだ。とりわけ疲労がたまってくると、よし、いくぞ! とか、頑張れ頑張れ、と声に出して自分を励まさないと次の一歩を踏み出せない。酷暑が疲労の背景にあるのは間違いなかった。


そして、蜘蛛の巣。山道の至る所に五百円硬貨ほどの大きさの濃い緑色をした蜘蛛が巣を張り巡らせている。しかも、糸がちょうど顔の高さに来るのだ。季節の問題なのか、あるいは歩き遍路が少ないからなのか、理由は分からないが、前回のお遍路では蜘蛛の巣に悩まされた記憶はない。大きな巣は視認できるのだが、いかんせん、山道では足元に意識を集中していることが多く、そのせいで、顔面に蜘蛛糸をまともに浴びてしまうと惨めな気持ちになる。


焼坂峠と添蚯蚓でおそらく百個以上の蜘蛛の巣を壊したが、そんな戦績など全く何の慰めにもならず、私は峠道をとぼとぼと下っていた。ふいに、地面を横歩きに移動している無数の蟹に遭遇した。細い川が近くを流れているので、これはたぶん沢蟹なのだろう。しかし、私は、茹でたみたいにまっ赤な沢蟹を見たことなど今までになかった。


二つの峠を越えると、岩本寺まではほとんど平坦な道のりが続いている。全体が山に囲まれた四万十町では顔をどの方角に向けても樹木の重なりがつくる深い緑色のカーテンが目に飛び込んでくる。本来なら散策が実に楽しい地域のはずなのだが、酷暑がすべてを台無しにしてしまっていた。道端に咲くひまわりでさえ暑さでぐったりしているようだった。


昨日と同様、最後の十キロが長く、疲労困憊しながら十五分歩いては五分休み、また十五分歩いては五分休み、という歩行と休憩の短いサイクルを何度も繰り返した。私は景色を楽しむ余裕などとっくに失ってしまっていた。


ようやく日差しが和らぎ始めた頃、私は窪川駅の近くまでたどり着いていた。窪川駅はJR土讃線と土佐くろしお鉄道の連絡駅で、両者を直通する列車ではこの駅で乗務員だけが交代する。窪川駅前は四万十町の中心地らしく、土産物屋や飲食店が軒を連ねていた。駅から少し歩いた先でうなぎの文字を見付けた。なるほど、そう言えば四万十川は天然鰻が捕れる数少ない川の一つだと聞いたことがある。


ここまで来れば岩本寺は目と鼻の先だが、納経所の閉所時刻はすでに過ぎている。もともと、私は岩本寺の近くで一泊するつもりだった。


大きな町や札所の近くは宿泊施設が多いが、だからと言って必ず部屋があるとは限らない。これは昨日すでに経験済みだった。インターネットの予約サイトを見ると、利用客がけんもほろろといった調子で書き込んだ辛辣なコメントをたまに見るが、お遍路では泊まれる宿がきちんと見つかること自体、ありがたいことだと思う。窪川の町の中心部には営業中の宿泊施設が複数あり、そのうちの一軒に部屋をとれ、私は胸を撫で下ろした。館内に広がるヒノキの香りに疲れが癒されるようだった。

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