四国巡礼日記~経済学者、お遍路をゆく~

土橋俊寛

プロローグ

「なんで歩いているの」


ああ、またこの質問か……。歩き遍路を始めてから何度となく訊かれ、そのつど「理由は特にないんですけど……」と答えてきた。質問した相手もなんだかきまり悪そうで、私もなんとなく申し訳ない気持ちになる。確かに、巡礼とは本来、何か思うところがあって始めるのが筋なのだろう。しかし、私は特別な悩みを抱えていた訳ではなかった。自分の知らない地域をただ歩いてみたかったので、素直にそう答えてもよかったのかもしれないが、歩き遍路を始める理由としては弱いだろう。


もともと私は歩くのが好きで、どこを旅行してもまずは歩きながら頭の中に地図を作っていく。それでも四国をぐるりと一周して一二〇〇キロを歩くというのは、普段の旅行で街歩きするのとは訳が違う。


四国巡礼において納経帳の存在は大きい。墨書と朱印で徐々にページが埋まっていく納経帳は、自分がこの道を歩いたのだという確かな記録となる。それに、ゴールが分かりやすく、ゲーム的な感覚がある。これも巡礼の理由として高尚とは言えないだろうが、私が歩き始めた本当の理由は、まあこんなところだった。


初めて四国巡礼を知ったのがいつなのかは覚えていない。全身白ずくめの格好で四国の寺院を歩いて回る――私が持っていた四国巡礼のイメージはこれだった。白衣、菅笠、金剛杖。それらの呼び名は知らなかったが、映像は頭の中にあった。たぶん、大学生の頃にテレビ番組か何かで観たことがあったのだろう。それに対し、八十八か所を歩いて回ろうと思い立った時期は明確に覚えている。在外研究期間をスペインで過ごした二〇一八年の夏にビルバオを訪れた時である。ここでスペインが登場するのは突拍子がないように思うかもしれないが、実は四国とスペインには聖地巡礼という共通点がある。


フランスとの国境に程近いバスク地方の街ビルバオを散策していると、路地の所々に真鍮製のホタテ貝が埋め込まれているのに気が付いた。何だろうと思って調べてみると、ホタテ貝はサンティアゴ巡礼路の標識なのだった。スペイン北西部のガリシア州にあるサンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂はキリスト教の聖地のひとつで、巡礼者は大聖堂を目指して徒歩や馬、自転車で数百キロの道のりをゆく。巡礼路にはいくつかのルートがあり、ピレネー山脈の麓から八〇〇キロメートルにもおよぶ「フランスの道」はそのひとつだ。ビルバオは「フランスの道」の序盤に位置している。ホタテ貝を意識してから改めて周りを見渡せば、同様のシンボルが路地や建物のあちこちに見つかった。さらにはリュックサックにホタテ貝をぶら下げている旅行者も多い。彼らは巡礼者なのだった。


巡礼者は「巡礼手帳」を携えて、旅の途中で宿泊所やレストランなどで手帳にスタンプを押してもらうのだという。それはよいなあ、と思った。数百キロを歩きぬけば大きな達成感が得られるのだろうが、やはり、こう、目に見える「達成の証」が手に入るのは歩くための大きな原動力になる。サンティアゴ巡礼に俄然、興味が湧いた。


興味は沸いたが現実問題として実行は困難だ。まずは時間の問題がある。インターネットの記事を読むと、「フランスの道」を踏破するには一か月から一か月半くらいの時間がかかるらしい。一度に歩き切るのではなく、何回かに分けて大聖堂まで歩いても構わないのだが、日本とスペインを何往復もするのは費用の面で難しい。さらなる情報を求めていくつかの記事を読み進めていく内に、四国巡礼についての記述が目に留まった。なるほど、まずはこれだと思った。まとまった時間が必要な点は四国巡礼でも同じだが、「区切る」場合の実行可能性が全く違う。四国までの往復なら時間も費用もスペインと比べればさほど大きな負担ではない。日本に戻ったら詳しく調べてみよう。その時はそう思っていたのに帰国後はすっかり巡礼が頭から抜け落ち、今回の歩き遍路を始めるまで実に三年の時間が空いてしまった。


ようやく四国巡礼に出る。今回はとりあえず二週間、そう決めてリュックサックに荷物を詰め始めた。

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