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人口が八万人ほどの宇和島市は愛媛県南部の中核的な都市で、その中でも宇和島駅の周辺は最も栄えた地域である。昨夜は気づかなかったが、駅前に小型のSL車両が展示されていた。私が生まれ育った町にもSL機関車が保存、展示されていて、幼い頃から何度も湖畔に足を運んで機関車を見たものだが、宇和島駅前の機関車はそれと比べるとずいぶん小ぶりである。説明書きによると、この車両はレプリカなのだそうだ。


まだ時間が早いためか、辺りに人通りはない。私は商店街を脇道に抜けて今日最初の札所へ向かった。宇和島駅のすぐ近くには別格霊場の一つ、別格六番札所龍光院があるのだ。ここは夏に打った観自在寺の奥の院でもある。


龍光院はすぐに見つかった。石段を登った先の境内は小さくまとまっており、真ん中にはひょうたん状の池が見える。お寺にもかかわらず、最初に目を引くのは稲荷神社の真っ赤な鳥居だ。これまでも何度か見てきた、神仏習合の名残が色濃い寺院だった。境内からの見晴らしは素晴らしく、朝日に照らされた宇和島の街が一望できた。


私が持参した納経帳には別格札所専用の納経ページはないのだが、後ろの方には十ページほどの余白がある。これまでも、何か所かの別格寺院でそれらの余白ページに墨書と朱印を頂いてきた。私は龍光院でも余白を一ページ埋めてもらった。そう言えば、一日の最初のお参りが別格寺院というのは春夏冬のお遍路をとおして初めてではなかったか。


このまま次の札所へ向かえばよいのだが、私は闘牛場に後ろ髪を引かれていた。夏のお遍路の時、愛南町にある何軒かの店先に闘牛のポスターが貼られていたのを思い出したからだ。地図を見ると、境内の脇道を真っすぐに登っていけば宇和島市営闘牛場の手前まで行けそうだった。起床してからまだ二時間もたっておらず、元気だった私は闘牛場に足を運んでみることにした。


私は牛追い祭(サン・フェルミン)で有名なスペインのパンプローナで闘牛を観たことがある。闘牛士が牛の背中に銛を突き刺すたびに、会場中に闘牛士を鼓舞する声援が現地の言葉で飛に交っていた。そんな事を思い出していた私には意外だったのだが、闘牛士と牛が戦うスペインとは違い、日本の闘牛は牛同士の戦いなのだった。言われてみれば、闘鶏でも闘犬でも、鶏や犬が戦う相手は人間ではない。年明け早々の一月二日に正月場所があり、今日は準備のための清掃日で、何人かの職員が闘技場を箒で掃いていた。


牛が実際に戦う競技場は、私が想像していたよりもだいぶ狭かった。直径が二十メートルあるというが、スペインの広い闘牛場とは比べるべくもない。どことなく、相撲の土俵に似ているが、私の頭に最初に思い浮かんだのはタイのムエタイ競技場だった。建物は屋根に覆われているが、ドーム状の屋根を最初に設置したのは宇和島市営闘牛場なのだそうだ。


「宇和島闘牛でも、負けた牛は死んでしまうのですか?」


闘牛場の職員をされている坂本健二さんに、こう尋ねてみた。


「いや、ここでは逃げたら負けなんです。牛が倒れ込んでしまうようなこともありません」


そうなのか、どうやら日本の闘牛はスペインの闘牛とは全く別物のようだ。勝負に敗れた牛は闘争意欲を失い、段々と負け癖のようなものが付いてしまうらしい。


闘牛を観て「可哀想」と思うお客さんは多く、気に入ってリピーターになるのは全体の二割ほどだという。宇和島闘牛は全国的な知名度を誇り、観客の七割が県外者である。


伝統文化の常で、後継者不足が悩みの種だと坂本さんは言う。闘牛は勝ったとしてもカネにはならない。興味深いことに、負けた側のファイトマネーが勝った側よりも高く設定されている。


「負けた側はやっぱり気分が良くないから。牛主はお互い顔見知りだし、皆が気持ちよく続けるための工夫なんです」理由を訊ねた私に、坂本さんはそう説明してくれた。「贅沢な趣味ですよね。牛主にとっては勝つことが名誉なんです」


勝者には名誉を、敗者には金銭を、という制度設計は、闘牛を継続するインセンティブを牛主に与えるための巧い仕組みだと私は感心した。このような仕組み作りといい、市営の闘牛場という形態といい、伝統文化を次世代につなげる宇和島闘牛の努力が垣間見えた。


闘牛場を存分に堪能し――少々のんびりし過ぎたが、いよいよお遍路再開である。

出発して一時間半ほどは右手にJR予讃線の線路を見ながら山沿いの道を歩く。私は線路を見ながら歩くのが好きなのだが、次の龍光寺まで残り二キロという地点で一旦線路とは別れ、その後は田畑に囲まれた細い舗装路をゆく。三十分ほどで四十一番札所龍光寺、今回の歩き遍路では最初の番号札所に到着した。仲見世通りのような風情がある細い路地をまっすぐに進むと、石段の上、正面奥に稲荷神社の赤い鳥居がひときわ目立つ。龍光院と同じく神仏習合の名残である。


周りを山に囲まれた境内は静謐な空気に包まれていた。全く静寂そのもので、他の参拝者の姿も見えない。本堂と大師堂でお参りを済ませ、納経帳に墨書と朱印を頂いた。


お寺を離れる時になって気づいたのだが、この札所には山門がない。その代わりに設けられているのは小さな岩色の鳥居なのだが、境内の奥にある真っ赤な鳥居と対照的に、何とも地味である。そのせいで来た時には目に入らなかったのだ。


龍光寺から次の佛木寺まで四キロの道のりは、歩き遍路のモデルコースとも言うべき道で、歩くのがとても爽快だった。「四国の道」は田舎の雰囲気を残した狭い舗装路から始まり、じきに自然道に変わる。湿気を少し含んだ落ち葉が中山池のほとりを埋め、その上を踏みしめて歩くとまるで絨毯のように柔らかい。最後は田園風景の中の住宅地を進む。


途中で出会ったおじさんにこんにちはと挨拶すると、「ちょっと待っとって。さっき食べて美味しかったけん」と言ってみかんのお接待。手のひらに収まり切らない大きさのみかんを三つもくださった。ちょうど喉が渇いていたところだったので本当にありがたい。すぐにひとつ平らげてしまい、写真を撮り忘れたなと気が付いた。ふと、語尾が「……けん」というのは博多の言葉に似ているなと思った。宇和海を挟んで九州は近い。この地理関係が理由の一つではあろう。


佛木寺を遠くから眺めると、本堂の屋根に据え付けられた金色の玉ねぎ状の飾りが目印だ。道路に面した立地は徳島の大日寺を思い出させる。四十二番札所佛木寺の山門をくぐり抜けると、私は眼前の大師像に迎えられた。


手水所の横には七福神、本堂横には六地蔵と、小ぶりの境内はずいぶんと賑やかだった。本堂の横には家畜堂があり、ここでペットや家畜の供養ができるらしい。色んな動物の人形が供えられていたが、一番多かったのは牛だ。ふと、牛が多いのは闘牛と何か関係があるのだろうかと疑問が湧いた。ただし、四国霊場では動物供養はさほど珍しくない。室戸岬にある金剛頂寺には鯨を供養する捕鯨八千頭精霊供養塔があった。


お参りを済ませて朱印を頂いた。テンポよく札所を打つこの感覚も久しぶりだ。「お札入れの封筒はご入用ですか」と聞かれ、丁重にお断りしたが、親切さに感じ入った。今までに訊かれたことはなかったように思う。


佛木寺から次の明石寺までは十一キロで大した距離ではないのだが、道中には歯長峠がある。今日に始まった話ではないが、登り坂はすぐに息切れがしてしんどい。峠を過ぎると県道で、それもまた緩やかな登り坂なのだが、登り道なら均されている分だけアスファルトの道路の方がだいぶ楽だ。


坂を登り切った所に休憩所があり、それを過ぎれば後は下り坂である。難所は越えたかと思ったが甘かった。目の前には一直線に伸びる自然路があり、ここを直進すれば曲がりくねった県道を歩かずに済むが、そこには数日前に降った雪が今もだいぶ残っていたのだ。どちらを行くか少し迷ったが、距離はだいぶ違う。距離を取るか、歩きやすさを取るか。雪上に残された足跡に勇気づけられた。よし、この道をまっすぐに下ろう。


すでに雪が解けていたり、あるいは最初から積もっていない道は歩くのに何の問題もない。ところが、道が雪で完全に覆われている場所が何か所かあり、そこを歩くのが大変なのだった。途中、明らかに橋が落ちていた。どのように渡ったものかと思案しながら目線を足元に落とすと、雪上の足跡が回れ右をしているのに気がついた。つまり、私よりも前にここを歩いたお遍路さんはこの場所で引き返したのだ。


だが、川に水はほとんど流れていない。この先の状態が分からないのは不安だったが、ここだけならば何とか渡れると思った。それに、この自然路の全長は六百メートルほどしかないのだ。意を決して川を渡ると、その先に足跡はもうなかった。最後に誰かがここを歩いたのはいつなのだろう。雪が降った後にも誰かが歩いたのは確実で、その証拠に、雪道に落ちていた菅笠は雪をかぶっていなかった。歩き遍路の痕跡を残すその菅笠は私にとって何の慰めにもならず、ただ不吉さを感じさせた。


それでも、さっきの橋ほど困った場所にはもう出会わず、二、三回滑って尻餅をついただけで無事に遍路道を通り抜けた。ほっと一安心だ。峠を降り、肱川と並んで県道二十九号線と並走する遍路道を進む。ここから明石寺までは七キロほどである。


残り二キロという辺りまで来て、私は時間が気になり始めた。現在の時刻は午後四時、納経所が閉まるのは午後五時のはずなので、普通だったら間に合うはずだ。しかし、冬季は営業時間を短縮する札所があるという話をどこかで耳にした記憶があった。今夜の宿は明石寺から距離にして一・五キロほどなので、最悪の場合でも明日また打てる。けれども、明石寺の立地場所が問題だった。


しばしばあることだが、四十三番札所明石寺は小高い丘の上に境内を構えていた。長い距離を歩いてきた身にとって、わずか四百メートルとはいえ最後の登り坂と、本堂へ向かう石段はかなり堪えた。


常楽園という土産屋(かレストラン)や大型バスが停まれる駐車場を備えているあたり、日中の境内は賑わっているのかもしれない。しかし、時間が遅いせいか、私のほかに参拝者は誰もいなかった。山中にひっそりと佇むという表現がまさに当てはまり、もの寂しい感じさえある。


「ご納経は何時まででしょうか」


山門の脇をほうきで掃いていた女性に訊ねると午後五時という返事が返ってきた。良かった、通常営業だった。お参りを済ませ朱印を頂くと、計画した通りに三か所の札所を打てたという満足感を覚えた。しかし、辺りはそろそろ暗くなり始め、満足感にゆったりと浸っている暇はない。疲労感があり、本当ならもっとゆっくりと歩きたいのだが、そうも言っていられず、やや急ぎ足で山道を下っていった。


明石寺がある卯之町は開けた町で、宿泊できる旅館やビジネスホテルも何軒かあった。今夜の旅館はそのうちの一軒だ。旅館に着くやまずは熱いお風呂を頂くと、何よりもほっとした気持ちになる。日中、疲労から来る負の感情をお湯がすっかりと洗い流してくれたようだ。夕飯で供された焼き魚はイトヨリで、この辺りの特産らしい。

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