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早朝五時に朝ごはんを用意して頂いた。いったい女将さんは何時起きだったのだろう。遍路宿は数多くあれども、ここまでしてくれる宿はそうはない。女将さんの手を煩わせて「早朝食」を用意してもらったのには理由がある。今日はここからおよそ二十キロ先、足摺岬にある金剛福寺を打った後、再び宿まで戻ってくるつもりなのだ。


この金剛福寺攻略の「往復Uターン作戦」は何も私が考案したわけではなく、歩き遍路にとっては標準ルートの一つである。利点は何と言っても宿に荷物を置いていけることで、重い荷物さえなければ、往復四十キロは何とか許容範囲だろうと思える。実際、この打ち方は「手ぶらで三十八番」として私のガイドブックにも載っている。ただし、私には足裏の損傷という懸念事項があった。


歩き始めてすぐに、お接待して頂いたおにぎりを食堂に置き忘れてきてしまったことに気が付いた。何とうかつなことか……。普段と違い荷物がないことが裏目に出てしまった。女将さんがせっかく朝食と一緒にご用意してくださったのに申し訳ない。


左手に海を見ながら県道二十七号線を南下する。しばらく緩やかな登り坂が続いたかと思うと、今度は道が下り坂に変わる。そしてまた登り坂。なぜもっと道を平坦に作れなかったのか。道路計画の立案者に対する恨み節が頭をよぎる。心がささくれ立っている時は八つ当たりの相手に不足がないのだ。十キロほど歩き、以布利港に近づいた頃にはもうすでに疲労困憊していた。復路のことが頭にあり、無意識の内にわずかながら歩くスピードが上がっていたのだった。


道中の大部分は舗装された国道と県道だが、時々アスファルトの道路を外れて、あしずり遍路道という自然路を通る。あしずり遍路道では歩行者の脇を猛スピードで通り抜ける自動車を気にせずに済むし、ドルマークを縦に貫く棒線のように進んでゆくため歩行距離を節約できることも多い。だが、高低差が大きく、国道から一気に浜辺まで下ったり、今度は坂道を一気に登って元の国道に復帰したりする。アップダウンを取るのかそれともショートカットを取るのかという、歩き遍路にはおなじみのトレードオフである。私は地図をにらみつつ、それらの道を織り交ぜながら足摺岬に向けて歩き続けた。


左手に太平洋を臨みながら半島を南下していくのは、春に室戸岬へ向かった時と同じだ。そう言えば、あの時は室戸岬半島から足摺半島が見えたのだった。「あの海の向こう、うっすらと見える黒い半島が足摺岬なんですよ」と、しばらく一緒だった歩き遍路さんが言っていた。長くても一週間程度という休暇が取れる度に四国へ舞い戻り、八十八か所を巡ったというその方は、二周目のお遍路の最中なのだった。


「足摺岬に行くと今度は室戸岬が見えるんです。ここまで歩いてきたのかと思い、ちょっと感動しますよ」


私はこの言葉を思い出し、室戸岬の方角を見遣った。ところが半島らしき影は見えない。今日も天気は良いのに。ひょっとすると見ている方向が間違っているのか。不思議なのだが、私には足摺から室戸が見えないのだった。


五時間半ほど歩き続け、とうとう室戸岬に到着した。時刻はもうじき正午になろうとしていた。


ジョン万次郎像のそばにある大きな案内板が、土佐の国が輩出した偉人の銅像を写真付きでずらりと並べ紹介していた。歩き遍路ではわずかな寄り道さえ手間を惜しみたくなるのだが、せっかくなのでジョン万次郎像の横を通り過ぎ、灯台が見える展望台まで歩いてみた。遠く沖合に貨物船が小さく海に浮かんでいるのが見えた。展望台に立つと海の広さが全身で感じ取れる。念のため、私はここでも室戸岬があると思しき方角に目を凝らしてみたが、不思議なことに、やはり室戸岬は分からなかった。


ここから三十八番札所番金剛福寺まではわずかに五十メートルだ。一昨日お参りした岩本寺と金剛福寺は八十キロ以上も離れており、これは四国八十八ヶ所の札所間では最長の距離である。さすがに、ずいぶんと長い距離を歩いたものだという感慨がわく。


山門で一礼し、境内に足を踏み入れた。山門のすぐそばにある海亀像の横を通り過ぎると、まずは大きな池が目に飛び込んできた。これほどまでに大きな池は今まで通った札所にはなかった。


これだけ池が大きければ、そこで暮らす鯉などはさぞかしゆったりと生きているのだろうと思いきや、意外にも素早い動きを見せる。ああ、そうか、大きな池を端から端まで行こうと思えばそれなりに早く泳ぐ必要があるからか。私はそう納得しかけたが、お遍路じゃあるまい、池をひと回りしなくではならない理由など鯉にはないかとすぐに思い直し、一人で苦笑した。本堂や大師堂はこの池のほとりに佇んでいた。


お参りを済ませ、納経帳に墨書と朱印を頂いた。さあ、これで今日の行程のちょうど半分が終了したのだ。私は紫外線防止の機能を備えた薄手のパーカーを脱ぎ、靴を脱ぎ、靴下も脱いで境内でひと休みすることにした。復路に向けて少しでも疲労を回復したい。何より足を休ませたかった。


足摺岬そのものが観光地だからなのだろう、金剛福寺はたくさんの参拝客で賑わっていた。近くに大きな駐車場が整備されているため、自動車での参拝者にとって交通の便は良い。そう言えば、室戸岬にある最御崎寺も同じ状況だったのを思い出した。袖なしの白衣に菅笠というお遍路衣装に身を固めたお遍路さんの姿もちらほらと目に付いた。


それどころか、私はここで一人の歩き遍路に出会ったのだ。歩き遍路など冬眠ならぬ「夏眠」、いや、てっきり暑さにやられて絶滅してしまったとばかり思っていたのに……。


私たちはどちらも顔に驚きの表情を浮かべながら言葉を交わした。


「今回、歩き遍路の人に初めて会いましたよ」


「ええ、私もです」


酷暑のお遍路がいかに大変かという話でひとしきり盛り上がったが、私たちの口調にはどちらも、自分のことは棚に上げて、ずいぶんと物好きがいるものだという思いが現れていた。


「それでは道中、お気をつけて」


半ば呆れつつも、同じ道を歩いている人が自分以外にもいるのだと知るのは何とも心強いものだ。私はすっきりとした心持でそろそろ宿に向かうことにした。


しかし、復路はただただ苦痛だった。金剛福寺で十分に休んだつもりでも、しばらく歩くとまた足が痛み出す。今日は宿の心配は一切ないし、重い荷物も背負っていない。後はただ宿まで歩くだけなのだ。こうした慰めが今は一向に効果を発揮しない。まずは一時間歩こう、そしたら休憩する。いや、四十五分だけ歩こう。やっぱり、三十分だけにしよう……。目標を細かく、細かく設定しながら、自分を騙し騙し一歩ずつ足を前に運んでいく。


往路で見た景色を逆向きにたどる。私はもはや海にも山にも全然感銘を受けないが、自動販売機が設置されていた場所は強く記憶に残っている。疲労と足の痛みにのどの渇きまで加わったら、さすがにたまったものではない。自動販売機の記憶は本能のなせるわざなのかもしれなかった。


宿まで後一時間という所まで来て、歩くスピードが一段と落ちた。三日前に山道でそうしたように、頑張れ頑張れと声に出して自分を励ます。涙が出そうだった。


最後のカーブを曲がると視界の先にクリーム色と緑色の二色に塗られた建物が見えてきた。良かった、なんとかたどり着けた。無事にきちんと戻って来られたのだ。


緊張感から解放されて全身から力が抜けた。私はこの日初めての笑みを顔に浮かべていたと思う。

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