ウェスターマーク効果


 毎日一緒に登校するようになって一ヶ月が経った。もう毎朝迎えに行くのが日課になっているし、学校でもよく話すようになった。昔はなぜか学校では避けられていたので話す機会がなかったのだが、こちらから無理矢理話しかけているうちに昼休みに一緒にいる機会も増えた。友人達からの生暖かい視線が少しこそばゆい。



 そう、一緒にいる時間も増えたし、物理的距離は一気に縮まったのだ。だというのにっ! 



「お前らほんとに付き合ってないの?」


「何回も言ってるけどただの幼馴染だって。お互いそういうのは全くねぇよ」


「ほんとかぁ……?」



 男子達の会話を盗み聞きしていてわかるように、精神的距離が一向に縮まらないのだ!! こんなことを聞かれて少しは動揺したり照れたりしてもいいだろうに、無表情で気だるげに否定する蓮にほんの僅かな苛立ちを覚える。


 正直ショックだった。花火大会の時とか、少しは意識してくれてるのかな、と期待したのに。この様子じゃ相変わらずただの友達としてしか見られていない。


 やっぱり蓮ってホモなんじゃないかな……。


 自分で言うのもアレだがボクの容姿はかなり整っていると思っている。こんな美少女が毎朝迎えに来るのだ。どれだけ自分が恵まれているかわかってるのだろうか。自分が蓮の立場だったら秒で落ちる自信がある。なんか羨ましくなってきた……。



「はぁ……」


「すみちゃんどしたの? 最近ため息多いよ?」


「うぅ〜、なんでもなぃ……」


「おいで、よしよし」



 親友である柑奈ちゃんが抱きしめて頭を撫でてくれる。天使かな?


 彼女は中学からの友達だ。いかにも大人しそうな子で、いつも一人で本を読んだりノートに絵を描いたりしてたから、親近感を覚えて話しかけたのが始まりだ。いつもちょこちょことボクの後ろをついて回る彼女は非常に可愛かった。


 それがいつの間にか大変身を遂げてパリピになってた、一体何があったと言うのか。でも今は今で無邪気元気っ子なのがとても可愛い。そもそもボクの恋愛対象は女の子なのだ、同性ゆえにこうやって遠慮なく抱きしめてもらえるのは役得である。


 もうあんなバカなんて放っておいて柑奈ちゃんと百合百合ルートに進もうかな……。もうね、大好き。


 そうやって現実逃避しながらも、これからどうしようか考える。


 これだけやってもダメなら、もうボクに魅力がないだけなのかもしれない。この何ヶ月かで自尊心が酷く傷つけられた。


 いや、やり方がまずいだけだ。まだいける、そう自分に言い聞かせる。


 もしかしたら幼馴染だからこそ、恋愛対象とはならないのかもしれない。ウェスターマーク効果的な。現実と小説は違うのだ。ラブコメでは幼馴染と恋愛するのは当たり前だが、現実でもそうだとは限らない。それが完全に盲点であった。前世ではあまり恋愛とは縁がなかったのでそういうのには疎いのだ。



 そろそろ、アプローチを変えてみるべきだろうか。


 押してダメなら引いてみよ、数多くの恋愛指南書にもそう書いてある。読んだことないから知らんけど。



 一度、距離を取ってみるのも手かもしれない。今までがどれだけ幸福だったのか、あのバカにわからせてやるのだ。



 それはとても、良い作戦のように思えた。









 ────────────────────────────────────









 いつもは蓮と一緒に帰るのだが今日は女子グループに交ざって帰ることにした。何度も「ほんとにいいの?」と聞かれたがあんな奴とはもう一緒に帰ってあげないのだ。LIN○もしばらくは送らない。



 バス停でグループが三つに分かれる。そのまま歩いて帰る人、バスに乗る人、別のバスに乗る人でそれぞれ別れを告げる。ボクは一番最後のバスに乗る組だ。


 ボクの家はこの中で一番遠いところにあるので一人、また一人と降車して行くのを眺める。そうしている内に、ボクが最後の一人となった。最近はいつも隣に蓮がいたので久しぶりに一人になって妙な気持ちだ。誰かといることに慣れてしまっていたからだろう。



バスから降りて一人静かに歩道を歩く。なぜだか家までの道が酷く長いものに感じた。



「ただいま」



 おかえりーと返事をするお母さんの声を聞きながら手を洗って自分の部屋に行く。


 あまり物が置かれていない質素な、女の子っぽくない部屋で机に向かう。我ながら、花も恥じらうJKとしてこの部屋はどうなのだろうと思わなくもない。尤も、JKなのは外面だけであるが。


 部屋を眺めてみても、目に入るのは参考書の類いと娯楽小説のみだ。ボクにとってはキャピキャピした部屋よりもこっちのほうが落ち着く。


 本棚から適当にいくつか参考書を手に取って開いた。養ってもらうことが確定しているのになぜこんなに勉強しているのか、たまに自問自答するが、もはや前世から染みついた呪いのようなものなのだ。そう、前世では今よりももっと勉強していた。


 少しだけ、嫌なことを思い出して身震いする。それを無理矢理忘れるために一層勉強に身を入れる。勉強している間は色々と忘れられるのだ。


 そうしている内に、学校で出された課題の存在を思い出し、鞄から取り出した。


 しかしもう前世を含めると途方もない回数繰り返した範囲だ。学校の課題なんて一瞬で終わってしまう。手持ちの参考書も流石にもう飽きてしまった。



 何しようか。



 暇だし蓮に通話でも掛けようかな、とスマホを取りLI○Eを起動する。そしてトーク画面を開いたところで思いとどまる。


 危ない危ない。しばらくは連絡を取らないと決めてるんだ。


 危うく初手から計画が破綻してしまうところだった。今は一度距離を置いて、色々と揺さぶりを掛けるのだと決めたのに。



 でも、まぁ…………どうしてもと相手が泣きついてくるなら少しは話してやってもいい。うん、まぁ向こうから掛かって来たら出てあげるくらいはしようかな。



 そうして小説を読みつつ何度かトーク画面を開いたり閉じたりしながら時間を潰しているとお母さんにご飯の用意ができたからリビングに来るようにと言われる。いつの間にか結構な時間が経っていたらしい。


 お父さんももう帰ってきており、家族みんなで食卓を囲む。うちは比較的マナーには緩いのでテレビを付けてみんなでバラエティ番組を見ながら食事を取る。


 今日は丁度お母さんが好きな番組の放送日だった。特に何も言わずともお父さんがチャンネルを合わせる。ボクも何だかんだで好きな番組だった。



 しかしなぜかテレビの内容がうまく頭に入ってこない。音が耳を通りすぎて行くような感覚だ。いつもと違って、あまりテレビを見ていても楽しい気分にはなってこなかった。見ていてもなんだか虚しい気がしたので、テレビから目を逸らして食事に集中する。



「なにか、あったの? 菫。今日元気ないけど」



 ぼーっと食事をするボクを心配したのかそう言ってくるお母さん。今日はいろんな人に心配されてる気がする。そんなに今日のボクって変なのかな? 



 なんでもない、と返事をして食べ終わった食器を片付けるとお風呂を沸かす。うちのお風呂は自動なのでボタンを一つ押して待つだけだ。



 お湯がたまるまでの時間を自室で過ごす。もしかしたらと思いスマホの通知が来ていないかを確認するが蓮からのアクションは特になかった。



 少し、焦りすぎかもしれない。まだ一日目だ。蓮はそもそも距離を置かれたことに気づいてすらないかもしれない。悔しいが、蓮はそう言うのに恐ろしく鈍い。ボクも気にしすぎず気長に行こう……。



 そうして明日の行動について考えているとお風呂から通知の音が聞こえてくる。着替えを持って脱衣所へ向かう。


 鏡を見てみると、顔色が悪く、無表情で服を脱ぐボクが見えた。確かにこんな顔ならみんなに心配されるのも頷ける。少し考え事をしすぎて周りの目に気を配れてなかった。


 頬をムニムニと触り、口角をニッとあげる。いつも通りの美少女に満足してお風呂場に入った。ささっと体を洗って浴槽に浸かる。設定温度が少し高めなので手足がジクジクとした。いつもより若干手先が冷えていたのかもしれない。



 お湯に浸からないように髪を纏めてゆったりと寛ぐ。髪が長くなってきて少しだけ鬱陶しい。



 ふぅ……



 あまり凹凸のない体を見ながら、この体にも大分慣れたなと思う。流石にもう十六年間女の子をやっているのだ。仕草の一つ一つに至るまで、随分と女の子っぽくなってしまった。最近それを自覚する機会が多い。もはや前世の名残はこの性自認だけなのかもしれない、そう思うとうすら寒いものを感じた。



 お風呂から上がって諸々のケアを済ませるともう一度机に向かう。夕食後、寝るまでの時間勉強するのが日課だ。もう何千回と開いた単語帳を使い、忘れないようにもう一度目を通す。



 次の勉強会、何を教えようかな。



 次第に思考は次の授業へと移って行く。教える時に使うノート、わかりにくい箇所の説明のメモを作っていく。既に日課にも等しくなったそれは手際よく進む。



 うーん……思ったより蓮の理解が速いし、そろそろ数Ⅲに移ろうかな。ふふ、早くできた分褒めてあげないと。



 今年中には極限と微分はやっておきたいよね……蓮、積分苦手そうだし……



 そうして色々と授業の計画を練っているうちにいつの間にか寝る時間になっていた。

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