可愛らしい罠

 バレンタインデー、それは全男子がソワソワしだす日。そしてクリスマスと比べて余裕のある生徒とそうでない生徒が逆転する日だ。



「学校の時間だぞー」



 ノックもせず、バンっと勢いよく扉を開けて入室してくる菫。彼女の姿を見ると、やはりいつもより荷物が多いようだ。つまりはそういうことだ。


 毎年菫はクラスのみんなにチョコを配っている。経済的にそんなことをして大丈夫なのかと心配になるが、毎度妙に張り切った男子が大量のお返しをするため結果的にはプラスなのだろう。どちらにせよ財布に負担は掛かるが。


 そしてそんな配布チョコとは別に、仲のいい相手にはいつも手作りチョコを渡しているのだ。彼女にとってバレンタインというのはかなり忙しい行事となっていることだろう。


 僕は大変ありがたいことに、彼女の「仲の良い友達枠」に入れて貰っていた。いやこれだけ長い付き合いで一般枠だと流石に泣くが。


 そう、つまりは勝ち組というわけだ。義理チョコか友チョコであるとはいえ、学校一の人気者と言ってもいい彼女の手作りが貰えるのだ。好きな人から毎年義理チョコを貰うのは少し辛いものではあるが、それでも嬉しいものは嬉しい。


 他の男子諸君へ汚い優越感を感じながらも、僕にとってバレンタインとはそこまでソワソワするイベントではなくなっていた。



「相変わらず大変そうだな」


「昔からずっとやってるし、今更やめるのもアレだから……」



 ほぼ惰性みたいなものだよ、そう付け加える菫と一緒に早速家を出る。


 昨日LIN○で早めに学校に行く旨を伝えられていたため、早いうちに準備を終わらせていたのだ。


 まだほんのりと暗い空を見上げながら、二人で並んでのんびりとバス停へ向かう。いつの間にか、こうして一緒に登校することが当たり前になっていた。去年までは想像もできなかったことだ。思えばこの一年で随分と彼女との距離が縮まった気がする。


 そのことを嬉しく思うと同時に、少しだけ寂しくも思う。これだけ長い付き合いでまだここなのだと。



 学校に着くと、そのあまりの静けさに驚いた。僕は普段こんなに早く学校に行くことはない。更に言えば部活にも入っていないため、人がこれだけ少ない学校というのは新鮮であったのだ。


 教室には女子生徒の三人組だけがいた。


「おー、朝からアツアツだねぇ〜」


「今日早くない?」


「バレンタインだから。はいこれ、チョコ」


「わぁ、ありがと。うちらなんも準備してなかった、ごめんね」


 早速菫が彼女らにチョコを渡している。菫が彼女と話しているところは普段あまり見ないが、やはり二、三言話してからすぐ戻ってくる菫。何が楽しいのか、その顔にはいつも以上の笑顔が浮かんでいる。普段からよく笑う彼女だが、今日は特別上機嫌であるように見えた。


「全然人来ないし暇つぶしにテスト対策でもする?」


「やだよ、暇つぶしに勉強とか意味わからん」


 その後もポツポツと教室に入ってくるクラスメイトにチョコを渡していく彼女。なぜかチョコを渡す度に僕の席まで戻ってきて何かを話す訳でもなくニコニコと待機している。周囲の生暖かい視線が辛い。


 ここ数ヶ月で周りの態度が一気に変わった。菫との距離がどんどん縮まっているからだろうが、とにかく揶揄われることが増えた。完全におもちゃ扱いされている気がする。たまに男子から嫉妬に濡れた視線を向けられることがあるが、基本的に気のいい人が多くて非常に助かっている。このクラスで本当に良かった。



 と、そんなことを考えながらぼーっとしていると、一ノ瀬さんと佐久間さんが教室に入ってくるのが見えた。一ノ瀬さんは中学の頃からずっと菫と一緒にいるのでかなり印象に残っているが、佐久間さんは最近になって一気に仲良くなったように思う。菫と彼女らで苗字三文字の美少女トリオとして最近は噂になっていた。あそこだけ顔面偏差値上がりすぎだと思う。



「おはよー。はいこれ柑奈ちゃんの分。こっちはまっひーの」


「ありがとう!」



 仲良くチョコを交換している彼女らを眺めていると眩し過ぎて目が焼かれそうである。そっと目を逸らすと菫に貰ったチョコを見ながら気持ち悪い笑みを浮かべる男子がいた。見なかったことにしつつ諦めて机に突っ伏す。



 朝の学校らしい喧騒に包まれながらぼーっとしていると、ちょんちょんと肩を突かれた。何事かと思い顔を上げると妙な表情をした菫がこちらを見下ろしている。


 アルカイックスマイルの様な、少々胡散臭い笑みを浮かべている彼女。その口元は微妙にピクピクと動いており何かを堪えている様にも見える。これは大抵何かを企んでいる時の顔だ。


 怪しい…………。



 後ろに手を組んでいた彼女がスッと隠していた何かを差し出す。



「も、もうみんなには渡し終わったから……これは蓮の分ね」



 そう言って手にしていたものを僕に押し付けるとバッと顔を背けて小走りに去っていく。


 長方形のそこそこ大きい箱、真っ赤にラッピングされており、金色で大きなハートが描かれている。


 その可愛らしい贈り物を受け取った僕は一瞬思考が停止した。箱を手に持ったまま固まる僕をチラチラと見ながら一ノ瀬さん達の影に隠れる彼女。



 近くの男子の「爆発しろ」という呟きを聞いてようやく我に帰った。



 菫の方を見てみるも女子に囲まれておりその表情は窺えない。だが、そんなことを気にしている余裕は僕にはなかった。そっと何でもなかったかのように机の中へ箱を仕舞うと、教室内の光景が見えないように外に顔を向ける。こういう時窓際の席は便利だ。窓ガラスにほんの少し映った自分の表情から敢えて意識を逸らしつつ溜め息を一つ。



 どうやら今年のバレンタインは、今までとは少しだけ違うらしい。







※※※






 板書をノートに写しながらぼんやりと考えごとをする。あまり黒板に書かず、プリントを使って授業をするタイプの先生であるのでこちらも書く量が少なくて楽だ。そしてプリントを後で見れば授業を聞かなくても定期テスト対策ができてしまうため、この時間はまともに授業を聞く生徒が少ない。


 かく言う僕もこの時間はぼーっとしていることが多かった。



 先程の菫の様子について考える。


 僕達の中で学校ではあまり親しくしないという暗黙の了解があった。それは、小さい男の子特有の「女の子と一緒に遊ぶのはダサい」という価値観があったからか、それとも同級生に嫉妬されないための防御策だったのか。細かいことは忘れてしまったが、とにかく嫌がる僕の気持ちを察してくれたのか菫もあまり学校で関わってくることはなかった。


 そのためバレンタインの日は人に見られないタイミングでこっそりと渡してくれていたのだ。そして基本的にいつもシンプルなデザインの袋に入れたものか、もしくはいかにも義理ですといった感じにラッピングされたものであった。


 そう、つまり僕は今回の行動には何か特別な意味本命があるのではないかと勘繰って期待しているのだ。


 いやまぁこのラッピングも特別な感じ本命っぽいかと言われればよくわからないのだが。でも、いつもと違う、それだけでも少し期待するくらいバチは当たらないはずだ。



 ちらりと菫の方を見る。なぜかタイミングよくこちらを向いていた彼女と目が合う。


 今日、頻りに目が合うのは、彼女もいつもと違うことを意識しているのか。そんな期待で落ち着いて授業に集中できない。



 何チョコ貰ったくらいでソワソワしてんだよこのクソ童〇が! 



 そう、心の中で自分にツッコむ。だが、仕方ないのだ。男子高校生というのはそういう単純な生き物なのである。



 結局昼休みになるまでなかなか脳内に居座る煩悩を追い出すことができなかった。ぼんやりと四限目のチャイムが鳴っているのを聞き流す。



「何ぼーっとしてるの?」



 悶々としながら自分の世界に入っていると後ろから突然両肩を掴まれた。思わず声を上げることもできずにピシリと固まる。後ろを振り向かなくても声で菫だと分かった。


 そのまま僕の肩に体重を掛けて寄りかかってくる彼女、そして僕の耳元で囁き出す。



「今日、帰りに家に寄って行っていい? ダメって言われても行くけど」


「お、おう」


「じゃ、またあとで」



 背中からの暖かく柔らかな感触と、耳に感じる吐息に頭が真っ白になった僕が彼女の言葉を理解したのは、彼女がいつものメンバーで教室を去って行った後だった。


 最近やたらとスキンシップが増えた菫、突然抱きついてくることも頻繁にあり、多少慣れたつもりでいたがやはり学校ではそうはいかない。流石にこれだけ人目がある場所というのは特別なのだ。ましてその人目というのが全て知り合いのものであるのだから当然だ。


 教室を見渡すと、悔しそうな男子、殺意に目をギラつかせる男子、顔を真っ赤にしている女子。そんな混沌とした様相から目を逸らして、いまだにドキドキとうるさい胸を押さえる。


 机の中にあるものをもう一度手で確かめると、そのまま机に突っ伏して残りの時間を過ごした。






※※※







 帰り道、いつも通り並んで帰った。宣言通り僕の家に寄っていくらしく、そのまま二人で僕の家に帰ることとなった。


 家に着くまでの間、二人の間に会話はほとんどなかった。無言で気まずくなりつつもなぜだかいつもより距離は近かったように思う。



「ん〜〜〜! 疲れたぁ……全部音楽か美術の授業だったらいいのに」



 僕の部屋に入ると大きな伸びをして机にうつ伏せになる菫。ちなみに僕も菫も美術の授業を選択している。今はワインボトルの絵を描いているところだ。美術の時間は基本的に延々と油絵を描くだけであり非常に楽だ。


「数学の時間が一番苦痛」


「わかる、淡々としてて眠くなっちゃうよね」


「ワンチャン菫の方が先生より数学できるしな」


 何気ない雑談をしながらお互いにダラダラする、そんなの光景に、今日だけはあまり落ち着かない。



 昼間あれだけ意味深に振る舞っておいて結局なんもないのかよ…………。



 やはり、僕の童○力が炸裂しただけだったのだろうか。単なる思い違い、非常に恥ずかしい。


 なんとなしに菫の方を見る。するとこちらをじーっと見つめていた彼女と目が合った。ほんの少しだけ口角を上げて怪しげに笑っている。


 一瞬、沈黙の中見つめ合うもすぐに恥ずかしくて顔を逸らした。


 視界の隅に立ち上がって近づいてくる菫が映る。その目には一体僕はどのように見えているのだろう。


「ねぇ、何してるの?」


 そう言って横から僕の手元を覗き込んでくる菫。web小説を読んでいた僕は咄嗟に画面をオフにして隠す。自分でも驚くくらい隠そうと思ってから指が動くまでのタイムラグがなかった。



「けち、隠しても大体予想つくから意味ないよ」


「そういう問題じゃない。嫌なものは嫌なんだ」


「ふーん。ま、いいや。お茶貰うね〜」



 そう言い残して部屋を出て行った彼女はどうやらお茶を飲みに行ったらしい。別にわざわざ言わなくても勝手に飲んでいいのに。幼稚園からの付き合いであるし今更だ。



「はぁ…………」



 勝手に色々期待して疲れた僕はため息を吐く。最近の菫は思わせぶりな態度が多いというか、何やら暴走しているというか。ことあるごとに密着してくるしやたらと耳元で囁いてくるし、ふと見たらじーっとこっちを見つめてることが多いし。そんな中でいつもと違うバレンタイン、期待してしまうに決まっている。


 少し気まずくなった僕は何となしに部屋を見渡す。そして自分の鞄が目に入った。


 何となく鞄を手に取って中から例の物を取り出す。綺麗にラッピングされた真っ赤な箱。いまだに微かな期待が胸にあった。


 無意識にドアの方をチラリと見てから、そっと包みを開けた。中には茶色の箱が入っている。そしてそれも慎重に開ける。中に入っていた一回り小さな物を丁寧に取り出した。



「え…………?」



 中の物を確認した瞬間、思わず声が出てしまった。一瞬これが何なのか理解できなかった。何度か瞬きをしたのち、少し間を開けて脳が活動を再開する。



「なんなんだ……?」



 それは本であった。そう、あの「文章・絵・写真などを編集して印刷した紙葉をうんぬんかんぬん」な本である。間違ってもバレンタインで贈るものではない。


 紙のブックカバーに包まれたそれは、文庫本程度の大きさであった。本の他には何も入っていない。恐る恐るブックカバーを取ってみる。



『世界一可愛い幼馴染と俺の最後の一月』



 そう書かれた表紙が露わになった。そのタイトルは非常に覚えのあるものであった。最近本棚を探しても見当たらず、もしや無くしてしまったのかと落ち込んでいたものだ。


 段々と記憶が甦ってくる。確かにかなり前に菫に貸していたような気がする。具体的には夏休みの直後くらいに。



「あいつ…………ッ!」


「ぷっ」



 笑い声が聞こえて勢いよく振り返るといつの間にかドアが半開きになっており、その隙間から菫が顔を覗かせていた。口に手を当てて悪戯が成功した子供のように笑っている。ようにというかそのものであるが。



「ふふ……ずっとソワソワしちゃって、もしかして本命だと思っちゃった? ぷぷっ」


「お前な……」


「いやぁ、私が席を外した瞬間中を確認するなんてぇ、そんなに気になって仕方がなかったんだぁ」



 ここぞとばかりに煽ってくる菫に対し、怒りで目元がひくつく。そろそろ本当にわからせが必要かもしれない。このメスガキをこれ以上野放しにしておくわけにはいかない。


 菫を睨みつけながらそっと立ち上がると、焦ったように菫が自分の荷物を回収する。そしてそそくさと部屋を出ると一瞬振り返った。



「野獣に襲われる前に私は退散するよ。ではサラダバー」



 べーっと舌を出してからタタタッという音と共に階段を駆け下りていく菫に、もはや追いかける気力もなくてそのまま座り直した。



「はぁ…………」



 最近は様々な要因で、ため息を吐くことが増えた。その大体が菫のせいである。しかしそれは贅沢すぎる悩みであるし、そもそも僕に取っては嬉しいものでもあるのだ。


 もう一度短くため息を吐くとピロリンとスマホが鳴った。



『ポスト』



 何だろうとスマホを手に取ると、ただその三文字のみが菫からLI○Eで送られてきている。一体どういうことなのだろうか。


 何かの暗号だろうか。そんな風に疑問に思いながらも取り敢えず一階に下りてポストを見に行く。


 玄関を出て門の横に備え付けられたポストを開くと中には小さな袋が入っていた。


 金のシールで閉じられた真っ白な紙の袋をポストから取り出す。一旦それを持って家の中に戻る。


 部屋に戻って深呼吸をしてからそっとシールを剥がし中を確認してみると焦げ茶色の箱が入っているのが見えた。暗橙色のリボンで結ばれており、非常に落ち着いた色合いをしている。おそらくこっちが本物のチョコなのだろう。


 悪戯しつつもチョコはしっかりと渡していく菫に、彼女らしいなともう一度良い意味でため息を吐くのであった。








 ────────────────────────────









 ドキドキとうるさい胸を抑える。思わず崩れるように地面に座り込んだ。


 やっぱり、あのクリスマスの日から、色々とおかしい。何をするにしても彼のことが頭に浮かぶし、以前にはなかったが胸を満たすのだ。


 彼に嫌われてしまわないだろうか、そんな恐怖が頭の中をぎるのに、それでも彼に構って欲しくてついちょっかいを掛けてしまう。そんな矛盾に毎晩手が震えてしまう。


 本当に、ボクをこんな風にして……いつか絶対に責任を取らせてやるんだからな。


 机の上に置いていた白い袋を手に取る。中には余分に作っていたチョコが大量に入っていた。


 その内の一つを手に取って齧る。


 のチョコは、とても甘かった。

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