あとたったの一歩、されど一歩

 小野寺菫、才色兼備を体現する存在。天上天下、この世界の遍く場所で最も尊き者。


 私、一ノ瀬柑奈は彼女をそう評価する。いや、私が評価などという言葉を使えば神罰の降ること間違いなしだ。このような思考をすること自体が不敬にあたるかもしれない。


 しかし、これだけは言わせて欲しい。



「尊すぎる!!!」



 そう、最近の彼女はてぇてぇが過ぎるのだ。


 座ったまま寝ている島田君に対して、彼の寝顔を昼休み中ずっと横で眺めていたり。座っている彼の椅子に横から無理矢理入り込んで一緒に座ってみたり。


 頬をほんのりと赤く染めて、彼の横顔を見上げながら並んで歩く姿は非常に愛らしい。恋する彼女は、その世界一の美貌に拍車が掛かっていた。



「また限界化してる」


「あんなの見せつけられて平常心でいられるわけないでしょ!」


「いやまぁ、いつ見てもあそこだけ空気が甘いけど」



 そう言って、頬杖をつきながらぼんやりと菫の方をみる佐久間さん。美人すぎて一つ一つの所作が非常に様になっている。



「ちっ、イケメン彼氏持ちめ……」


「柑奈も彼氏くらいすぐできるでしょ」


「いやー、タイプの人がなかなかいないんだよね」



 中身はただのオタクである私は、正直に言うとよく言い寄ってくるチャラチャラした人たちは苦手なのだ。どうしても気後れしてしまう。たまにめちゃくちゃ粘着質な人もいるし。


 嫌なことを思い出した私は癒しを求めて佐久間さんの視線を追う。そこには楽しそうにお喋りに興じる二人の姿が。


 座っている島田君に後ろからピッタリとくっついて立っている菫。何かを話しながら彼の髪の毛を弄っている。



「あ、白髪みっけ」


「痛ッ!! お前もっと優しく抜けよ。禿げたらどうする」



 楽しそうにしている菫と、満更でもなさそうな島田君。大変癒される光景だ。本人達は付き合っていないと言い張っているが、あれで恋人でないなら世のカップルは一体どうなるというのか。


 彼らが付き合いだした後のことを少し想像してみる。すぐにピンク色の光景が広がってすぐさま思考を振り払った。


 あれがエスカレートすると思うと末恐ろしいものがある。きっと糖尿病患者が続出するだろう。



 そんな益体のないことを考えながらぼーっと二人を眺めていると突然視界が何者かに遮られる。


 その無粋な闖入者の顔を見上げると隣のクラスの男子だった。気持ち悪い笑みを浮かべながら話しかけてくる。


 またか、と佐久間さんと二人で顔を見合わせた。最近こうしてぐいぐいアプローチをかけてくる男子が多いのだ。


 折角癒されていたのに…………結局昼休みは興味のない話を延々と聞かされているうちに終わってしまった。






※※※






「ただいまー」



 部活を終えて家に帰ると、まず金魚に餌を与える。菫に譲って貰ってからもう三年以上経っているがまだ元気いっぱいである。調べてみると金魚は意外と長生きらしい、三十年以上も生きる個体すらいるのだとか。コミュ症克服に付き合ってくれた(?)子達なのでとても愛着がある。長生きして欲しいものだ。


 この二匹の金魚は菫曰くジュリアス・シーザーとジュニアス・ブルータスという名前らしい。金魚でカエサルはちょっと呼びにくいから英語読みにしたとか。私には理解できない感覚だ。


 夕食の準備をするお母さんを少し手伝った後、部屋に戻ってしばらくゆっくりする。L○NEを開くと菫からメッセージが来ていた。



『今日の夜ちょっとだけ電話かけてもいい?』



 なんだろう、こうして改まって聞いてくるのは珍しい。昔から通話はよくしていたのだが『今ひまー? 電話掛けるね!』といった感じで突然掛けてくることが多かった。あとはオンラインゲームで遊ぶ時に通話する程度だ。


『いつでも大丈夫だよ!』


 取り敢えず返信するとすぐに既読がついた。『ありがとう』と書かれた可愛らしい猫のスタンプが送られてくる。


『ちょっと相談したいことがあって……』


 相談……珍しい。


 なんの相談だろう、そう色々と考えを巡らせているとお母さんから食事ができたから来るようにと言われる。


「今日は帰ってくるの遅いそうだから、先に食べましょ」


 弟と私とお母さんの三人で野菜が沢山入ったシチューをゆったりと食べた。













 ──────────────────────────















 今日も蓮の家に寄って少しだけ遊んだあと帰宅した。そのまま自室に入るとベッドに勢いよく上半身を投げ出す。顔を布団に埋めてしばらく悶える。



「ううぅぅぅぅ………………」



 どうしちゃったんだろボク………………。


 毎日、日を重ねるごとに強くなっていく。もう、耐えられないほどに強くなっていた。いつ身体を突き破って表に出てくるかわからない、そんな強い衝動を抑えながら日々を送っている。


 この感覚は、飢餓にも似ている気がする。おそらくただの純正のではない。様々なが混じり合った、酷くドロドロとした感情だ。


 寂しくて寂しくて仕方がない。一秒たりとも離れたくない。もっともっと密着したい。もっとボクを求めて欲しい、一つになってしまうくらい強く抱きしめて欲しい…………。


 こうして一人でいる間も、どうしようもない程の孤独感が心を侵食してくるのだ。


 蓮と一緒にいる間も正直かなりソワソワする。その座ってる膝の上に飛び乗って、そのまま思いっきり抱きつきたい、そんな衝動に駆られる。


 このままじゃいつか絶対に暴走する。きっと蓮もボクも深く傷つくことになってしまうだろう。


 だから…………そろそろ終わりにしないと。



 でも、ボクは恋愛超絶初心者だ。正直これからどうしていけばいいのかわからない。誰かを好きになることだって初めてだ。


 今まで恋愛の一挙一動に心を乱す人たちを見てずっと首を傾げていた。大袈裟すぎるのではないかと。でも、これは確かに……普通ではいられない。恋煩いとはよく言ったものである。


 今でもボクは恋愛の機微がわからない。でも、今世では心強い味方が沢山いる。恋愛つよつよな女子の友達が大勢いるのだ。


 30分くらいスマホを手にしたまま悩み続けてチャットの送信ボタンを押す。



『今日の夜ちょっとだけ電話かけてもいい?』



 今までずっと仲良くしてくれた、ボクが最も信頼している友達へ宛てたものだ。彼女になら、きっと安心して話せる。そんな気がした。












 ────────────────────────────











『私、好きな人ができちゃった』



 そう、電話越しに言われて、一瞬ドキッとした。酷く真剣な、電波越しにも伝わってくるほどの熱を孕んだ声。苦しそうに言葉を溢す彼女に、「知ってる」と茶化そうとした口を思わず固く閉じる。


 優しく相槌を打って続きを促す。



『その……こうやって、誰かを好きになるの初めてで…………どうしていいかわからなくて……』



 こんな困憊した様子の菫は初めて見た。いや今も電話越しで、直接目にしたわけではないが。


 一拍ほど置いて、私も口を開く。


「菫のしたいようにするのが一番……なんて言っちゃうと相談相手失格だよね…………菫はどうしたいの?」


『私は…………』



 しばらく、無言の時間が続く。私は彼女の考えが纏まるまでゆっくりと待った。


『私は、この想いを伝えてしまいたい。でも、もし拒絶されたらと思うと……怖くて体が震えて…………多分、誰だって同じように怖いんだろうなってわかってる。でも、どうやったらみんなのように恐怖を乗り越えられるのか、私にはわからなくて…………』


 どうやって恐怖を乗り越えるか…………そんなこと、私にだってわからない。そもそも私も恋愛経験皆無なのだ。


 でも、こうして私を頼ってくれるのは…………この状況では不謹慎かもしれないけど、すごく嬉しかった。私なんかに、こんな大事なことを相談してくれた。その事実に喜悦せずにはいられない。そんな内面を押し隠すように、静かに口を開く。


「みんな、きっと怖いのを乗り越えたわけじゃないんだよ。怖くて怖くて仕方ないけど、それをなんとか一瞬だけ誤魔化して、勇気を振り絞るんだと思う。こんな抽象的なことばっか言っちゃってごめんね。私には、応援してあげることしかできないけど…………それでも、最後の勇気を出す手助けはできると思う。相談してくれてありがとう」


 私も、普段誰かから相談を受けることはよくある。でもそれは、大体ただ話を聞いて頷いて欲しいだけのものだ。だから、私はあまり自分の考えを話すことには慣れていない。


 一生懸命、私の足りない脳みそで考える。一体どうすればいいんだろう…………。でも、こうしてただ足踏みをしてるだけじゃ何も解決しないってことだけはわかる。きっと、大事なのは思い切って行動してみることだ。


「やっぱり、勢いも大事だと思う。色々考えて、怖くなる暇も与えないくらい一気に行動しちゃうの」


『勢い…………』


「そう、勢い。一緒に帰ってる時とか、いい雰囲気になった時に、そのまま一気に好きだよって呟いちゃうとか」


『む、無理だよそんなの……』


 弱々しく否定する菫。でも正直、あの二人なら想いを言葉にしさえすれば一気に進展すると思うのだ。むしろあの雰囲気でダメだったらそれはもう世界が間違っていると思う。だから、菫には何としてでも勇気を持って欲しい。


「じゃあ、逃げられない状況を作ってしまうとか。気持ちが落ち着いているうちに、大事な話があるから校舎裏に来てってLIN○を送ってしまうみたいな」


『なる……ほど…………?』


「考える前に取り返しのつかない事態にしてしまうんだよ。何なら今から送る?」


『ま、まだ無理……』


 これだけ美人で、勉強もできて、誰にでも優しい。そんな彼女のことだ、本当なら万が一にでも振られる可能性なんて考えなくていいだろうに。むしろもっと驕り高ぶってもいいのだ。何でこんなに自己評価が低いのだろう。


 でも、そんな彼女だからこそ、こんなにも魅力的なんだろうな。本当に、島田君が羨ましい。


「菫なら、絶対に大丈夫だよ。励ましだとかそういうのじゃなくて、本当に自信を持って言える。だから、もっと自信を持って!」


『…………』



 それからも、ポツポツと弱音を吐いていく菫。私は優しく、しかしハッキリと一つずつ否定していった。


 むしろ悪いところを探す方が難しいのだ。彼女に卑下されると私達一般人は一体どうすればいいというのか。本当に立つ瀬がなくなる。


 ほんの少しだけ落ち着いて来たのか、僅かに声音が明るくなった彼女に安堵する。


 彼女が自分の想いに素直になれた。それだけでも大きすぎる一歩だ。もうあとは本当にきっかけ一つでどうとでもなる。


 それから、具体的にどうしていくのかを話し合った。私にできることは、もう彼女の背を押すことだけだけど。少しでも彼女の役に立てたなら嬉しい。



『ちょっとだけって言ったのに、こんなに時間取らせちゃってごめん』


「謝られても困るよ。むしろ相談してくれて嬉しかった、ありがとう」


『本当に……ありがとう…………』



 少しは気持ちの整理がついたらしい。今日はもう寝るとのことで、一時間以上続いた相談会はお開きとなった。



「私もあれくらい情熱的な恋ができたらなぁ……」



 そう、独り言ちる。


 まだ高校生だ。きっと大学にでも行けば一気に世界が広がる。そうすれば、素敵な人の一人や二人、すぐに見つかるだろう。


 でもやっぱり、高校生らしい甘酸っぱい恋もしてみたいなぁと、近くで常に砂糖を振り撒く二人を見て思うのだった。







作者後書きーーーーーーーーーーーーーーーーー

遅くなって申し訳ありません。次回の更新は明日です。

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