1センチメートルの壁

 12月23日、アドヴェント最終週。


 明日の予定のためにソワソワする人、そしてその様子を見ながら血涙を流す人、そんな人たちで賑やかな雰囲気の今日は冬休みの初日でもある。何だかんだでもう高一も残り四半期しかないと思うと時間の流れが速く感じる。



「ねぇ〜、いいじゃん〜」


「絶対ダメだ」


「けち、間抜け、根性なし」


「いやそれは関係ないだろ」



 そしてそんな日に一体何をしているのかというと、明日のお泊まり交渉だ。お母さんとお父さんにはもう友人宅に泊まるかも知れないことは伝えている。そしてお義父さんはおそらく許してくれるだろう。後は蓮を説得するのみなのだ。


 蓮は何故か昔からずっとお泊まりだけは拒否し続けている。友人宅に泊まることへ密かな憧れを抱いていたボクはいつも不満に思っていた。そして遂に冬休みが始まった今日、こうして彼を説得しにかかっているのだ。


「どうせクリぼっちなんでしょ? むしろこんな可愛い幼馴染が一緒に過ごしてくれるんだから、感謝して然るべきなんじゃないの?」


「く、くりぼっちじゃねぇし。てか自分でそれ言うのかよ」


「ふふん、私実は結構倍率高いんだよ? 幼馴染としての幸運を噛み締めな?」


 それを聞いた蓮がフッと意味深に笑う。


「私たち、友達だよね……とか泣きそうな顔で言ってた奴がなんか言ってるわ」


「な、それは触れないでおくのが男ってやつでしょ! デリカシーないなぁ」


 あれは結構な黒歴史なのだ。なんであんなこと口走ったんだボク……。色々不安定でおかしくなっていたのだろうか。


 恥ずかしさで顔が赤くなっているのを自覚しつつ、蓮の脛をゲシゲシと蹴る。


「わ、私だって蓮の恥ずかしいとこいっぱい知ってるんだよ? あんまり挑発しない方が身のためなんじゃないかな」


「ほーん、例えば?」


「………………触手好き、特殊性癖」



 それを聞いてジュースを飲んでいた蓮が盛大に咽せる、その苦しげな様子を見て溜飲が下がったボクはニヤニヤと彼を見つめる。



「ゲホッ、う……謂れのない誹謗中傷はやめるんだ」


「変なジャンルのビデオばっか見てるの知ってるから、変態…………」


「何を言ってるのかわからないな別の誰かと勘違いしてるんじゃないか」


 息継ぎを入れずにそう捲し立てる蓮。


「めっちゃ早口だね、うける」


「うるさい。 てか仮に万が一、いや億が一、ただの仮定の話だが、ありもしない話だが例えそうだとしてどうやって僕の性癖なんて知ったんだよ」


「幼馴染だからね」


「お前取り敢えずそれ言っとけばいいと思ってるだろ」


 そう言いながら半目で睨みつけてくる蓮にボクはあえて意味深な表情を作った。


「ほんとに知りたい……? 多分あとで後悔するよ?」


「やっぱなんか嫌な予感するわ、言わんでいい」



 はぁ…………



 あっさりと身を引いた蓮は大きなため息を吐くと頭を抱えて項垂れる。表情は見えないが、その諦めたような態度にボクは半ば勝ちを確信した。



「で、そんなに泊まりたいの?」


「うん」


「なんで?」


「なんでって、だって……そういうの、憧れるでしょ? 友達の家にお泊りして、夜まで一緒に遊ぶの」


「まぁ、わからんくもないな」



 よし、ここで畳み掛けよう。なるべく悲しそうに聞こえるように声色を変えて、暗い表情で俯く。



「蓮は…………そんなに嫌? 私が泊まるのは……」


「うっ、その顔やめろ、そんな悲しそうな顔されたら心にくる」


「蓮が嫌なら、うん、やっぱりやめておくよ…………ごめんね……」



 はぁ………………



 ボクの「すごく悲しんでる美少女」ムーブに、優しい蓮は案の定とても申し訳なさそうな顔をしながらこちらを窺ってくる。そして再び大きなため息を一つ。手を挙げて降参の意を示す彼。



「わかった、わかったから! 今回だけだからな。もう家には連絡してるんだろ? 取り敢えずうちの父さんにも許可もらわないと」


「ほんとに? 本当にいいの? やったぁ! 大勝利!! ……チョロいな」


「お前……っ!」


「お父さんまだ一階にいたよね? ちょっと聞いてくる!」



 容易く説得に成功したボクは勝ち誇った顔で蓮にニヤリと笑いかけるとお義父さんに最終許可をもらうべく部屋を勢いよく飛び出した。






 ──────────────────────────






 その後あっさりとお父さんに許可を貰ってきた菫。その満面の笑みに、先ほどの文句を言う気力も削がれる。こんな楽しそうな顔に水を刺すことができる男なんているのだろうか。



 別に、彼女が泊まりにくるのが嫌なわけではないのだ。嫌なわけがない、嬉しいに決まっている。


 でも、果たして僕の理性がどこまで機能するのか、それがわからなくて今まで頑なに拒んできたのだ。だがあんな悲しそうな菫の顔を見て、そんなこと全てどうでも良くなってしまった。そしてつい衝動的に許可を出してしまった。



 ほんとに耐えられるかな僕…………



 鋼の意志で耐えないと恐らく十三年間続いてきたこの関係に終止符を打つことになるだろう。



 これで、終わってもいい…………だから、ありったけを!! 的な感じで血迷う可能性も大いにある。てか多分そうなる。男子高校生というのは下半身に逆らえない生き物なのだ。



 明日に備えて今日は坐禅でも組むか……。今の内に精神統一しておこう。






※※※






 12月24日。それは、多くの人にとって特別な日であるだろう。クリスチャンにとっても、一般人のカップルにとっても。そしてクリスマスイブとは関係なしに、太陽の誕生を祝う準備をする人たちもいるだろう。多くの者にとって特別な日であるこの日は、僕たちにとってもほんのちょっとだけ特別な日となりそうであった。



「すごいね〜みんなでクリスマスパーティするんだって。なんかクラスグルで話してる」


「へぇ、行かなくてよかったのか?」


「すごい他人事みたいに言うね。君も同じクラスなんだけど」


「クラスライン通知うるさいからあんま見てないんだよな」


「そうなんだ。あ、パーティはもう断っちゃった。みんなには家族でパーティするからって嘘ついたけどまぁいいよね」


「えぇ……それでいいのか?」


「人が多すぎるのはちょっと苦手だから……それに、今日は君をクリぼっちから救ってあげるって約束したからね」


「うるさ」


「それにしてもクリスマスパーティかぁ、まだイブなのにパーティって不思議だよね。たしかほんとはアドベント期間って断食したり色々して節制に努める感じだった気がするけど」


「はえー初耳」



 お泊まりと言っても何か特別なことをするわけではなく、いつも通りくだらない会話をしながら部屋でくつろいでいた。まぁ、僕たちにはこういうのが一番合っているのだ。大人数で集まって騒いだり、二人でイルミネーションを見に行ったりとか、そういうのは性に合わない。いや、でもどうなんだろう。もしかして菫はそういうの行きたがってたりするのだろうか。


「なぁ、お前ってイルミネーションとかそういうの好きだっけ」


「んー? なに? もしかしてデートのお誘い?」


「ちげぇよ、せっかくのクリスマスだから。もしかしたら行きたがってるかもなって思っただけで」


「ふふ、クリぼっち回避したからもっとリア充っぽいことしたくなったんじゃなくて?」



 ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべた菫が揶揄うような口調でそう言う。小さな角を幻視しそうな小悪魔的な様子の彼女に、今日何度目かわからないため息を吐く。そんな顔すら可愛いのはずるいと思う。最近はこういうタイプの意味深な揶揄いをよく挟んでくるようになった気がする。ドキドキするしなんて返せばいいかもわからないしで少し疲れていた。



「もういいわ」


「ごめんって。でもイルミネーションかぁ………………今日は、別にいいかな。ちょっとだけ見てみたいなとは思うけど」


「まぁ、また別の機会に行くか」


「やっぱデートのお誘いじゃんか。またって、いつでも連れ出せる軽い女と思われてる?」


「お前めんどくさッ」




 何が楽しいのか、ニコニコしながら楽しそうに体を揺らしている菫をぼーっと眺める。いつもの定位置が逆転して、今は僕がベッドに寝転び菫が椅子に座っている。お互いにスマホをいじったりゲームをしたりしながら雑談しているといつの間にか二時半になっていた。


 せっかく休みの日にこうして集まってひたすらにゴロゴロと過ごすというのは如何なものだろうか。僕たちにとっては割とよくあることだが、わざわざ泊まりに来てそれはないだろう。


「なぁ、せっかくだし出かけない? このままダラダラするもアレだし」


「んー? いいけど何処か行きたいとこでもあるの?」


「え、いや特にないけど」


「何それ、ふふ、私も特にないから蓮が決めて」



 休日に行く、程よく楽しめて時間が潰せる場所……まずい、インドア派すぎて何も思い浮かばない。自分で言い出しておいてそれは流石に気まずい。



「うーん…………アニメイトとか……?」



 それを聞いた菫がぷっと吹き出す。口元を押さえて震える彼女に思わず顔を逸らす。咄嗟に提案したが自分でもかなり微妙なチョイスなのはわかっていた。



「あはははは! ふふ、いや、うーん。女の子を誘う場所としてはどうかと思うけど……いいよ、実は行ったことなくて気になってたんだよね」


「え!? 行ったことないの? 意外だ」


「行く機会がなかったから」



 確かに、菫の学校での様子を考えるとなかなか友達と行くような機会はないだろう。それに彼女はあまり一人で行動するタイプではない。行ったことがないのも仕方ないことかもしれない。



「じゃあ夕食の時間までぶらつくかー」







 ────────────────────────








 ボクは初めてのサブカル系の大型商業施設にただただ圧倒されていた。


 メイドカフェ、アニメイト、メロンブックス、etc…………


 コスプレグッズを売っている店もある。その何もかもが新鮮で、つい足取りが軽くなっているのを感じていた。


「見て見て! あれナ○ーダの衣装だ!!」


「ほんとだ。クオリティ高いな……」



 アニメイトにはたくさんのアニメグッズが売られていた。蓮曰くアニメイトの中でもかなり大きい方の店舗らしい。至る所に知っているキャラの姿があり好きなキャラも沢山いて、ただ歩き回っているだけでも楽しかった。


 ラノベコーナーに行くとかなりマイナーなものから蓮の家の本棚で見かけたものまで沢山あり、蓮がいくつか解説を入れてくれた。取り敢えず記念に一冊気になったものを買うことにした。



 本をカゴに入れて蓮と一緒にラノベコーナーからグッズコーナーに移動する。



 大きな看板に原○の文字を見つけたボクはクッション、マット、下敷き、誕生日記念セット、缶バッジなどの様々なグッズが陳列されている棚を見てまわる。


 中国語で書かれているため、説明文を読んでも内容がわからないグッズもいくつかあったが、蓮が詳しいことを教えてくれた。○神はボクの方がやり込んでいるのに、こういうのは彼の方が詳しいらしい。


 他にも東○Projectのコーナーや鬼○の刃のコーナーなどを見てまわり、いちいち推しの姿に興奮しながらも初めてのアニメイトを満喫した。


 全てのコーナーを一通り見終わった後には妙な充足感があった。結局FG○のキーホルダーと鍾○先生の下敷きを買ってアニメイトを後にした。


 蓮は見るだけで満足したのか何も買わなかったらしい。戦利品を大事に抱えながら他の店も一緒に見て回る。


 何人かコスプレイヤーを見かけたり、商品だけではなくそういう店内の独特な雰囲気も新鮮で楽しかった。


 やはりこういう施設では地雷系の女の子が多い印象を受ける。もう既に今日だけで今までの生涯で見た十倍くらいの人数を見かけたと思う。ああいうファッションは可愛いなとは思うが手を出せずにいた。


 ほんのり羨ましく思いながら歩いていると蓮の口数が少しだけ少ないことに気がつく。


 そーっと顔を窺っていると、すれ違う地雷系女子をほんの少しだけ目で追っていることに気づいた。



 ふーん…………



 取り敢えず何となくぼーっとしてる蓮の頬にデコピンした。



「いたっ、いきなり何するんだよ」


「べつにー」


「えぇ……理不尽だ……」



 ふんっと鼻を鳴らしたボクは蓮の腕を掴むと、半ば引きずるように引っ張りながら先程から気になっていた店に入った。


 そう、コスプレグッズ専門店だ。


 原○、鬼○の刃、FG○、五等分の花○など知ってる作品の衣装がずらりと並んでいる様は圧巻だ。


 店の奥の方へと行くとサークル製のものがカゴの中に大量に入れられて置かれていた。カゴには作品の名前が書かれた札が貼られている。



「おぉ、これナツキ・ス○ルのジャージだ。君に似合うんじゃない?」


「おい、ただのジャージやんけ。もはや悪口だろ」


「今うちの推しを馬鹿にしたな? 喧嘩売ってる?」


「ごめん」



 作品名が書かれていないカゴも覗いてみるがほとんど知らないキャラのものだった。しかし好きなマイナーキャラもいてすごく嬉しくなったりもした。


 今のボクは女の子だ。そう、着ようと思えばこれらを着れるのだ。不思議な気分でもあるが、推しの格好をできると考えたら素直にワクワクとさせられる。着物で着飾った時もほんのりと背徳感があったが楽しかった。


「どれがいいと思う?」


「ん? …………お、これカリオス○ロだ。これとかどうだ?」


「………………もしかして、わかっててやってたりする?」


「なにが?」


「何でもない」


 びっくりした。一瞬全て見透かされてたのかと思った。流石にそれはないと思うけどたまにそれっぽいこと言ってきたりするんだよね……。ボクが敏感になりすぎてるのかな。


 一通り見終わったボク達は記念に蓮はス○ルのジャージを、ボクはレ○のメイド服を買って帰ることにした。



 いろいろと蓮の推しについても聞けたりして楽しかった。



 ………………そしてそれを頭の中でメモしたボクは、もう一度個人的に来ようと決意した。









 ──────────────────────────────











 夕食は張り切って準備していたお父さんと手伝いを申し出た菫によってかなり豪勢なものとなった。お父さんによって鶏の丸焼きが作られ、更に菫によってローストビーフやアヒージョなど思いつく限りのクリスマスっぽい料理が並べられた。菫が料理できるのを初めて知った僕はこれだけ長い付き合いなのに知らなかったことに驚いた。


 正直に言うと三人だけで食べるには多過ぎたがとても美味だった。それは、菫の隠れた料理スキルのおかげでもあり、いつもと違う賑やかさのおかげでもあっただろう。


 母が亡くなってから、二人だけで食べる夕食は酷く静かで味気ないものだった。



 普段はクリスマスなんて全く気にしてなかったが、こういうのもたまにはいいなと思った。



 そして食事の後、再び部屋に戻った僕たちは各々だらだらしていた。



「覗かないでよ?」


「覗かんから安心しろ」


「ふーん」



 さっさと風呂に入ってしまおうということで、じゃんけんをして勝った菫が先にお風呂に入ることになった。僕は別にどちらでも良かったため適当にスマホをいじりながら部屋を出ていく菫を見送る。


 ただちょっとアニメイトに行っただけなのに今日は何だか疲れた。クリスマスイブという特別な日だから少し気を張っていたのだろうか。


 FG○を開いて周回しながらふとドアの方を見ると扉を半開きにしてじーっとこちらを見つめている菫がいた。



「…………覗かないでね?」


「いいからさっさと入ってこい!」


「覗いたら罰金5万円ね」



 そう言い残して今度こそ階段を降りていく彼女を見送った。


 そこでふと思い至る。


 この状況だいぶやばくね? と。


 女の子を家に泊めてて今僕は彼女がお風呂を上がるのを待っていると……どこかで見たシチュエーションだな……。


 やばい唐突にめっちゃムラムラしてきた。


 一旦お茶でも飲んで落ち着こう……。


 ムラムラして思考が侵され始めた僕は思いっきり頬を叩くと、気を鎮めるべく一階へと向かう。


 下に降りてリビングへ行くと冷蔵庫からポットを取り出しコップにお茶を注いだ。そしてそれを一気にそれを飲み干す。せっかく降りてきたので何か夜食を持っていこうと思い至った僕は、冷蔵庫横の棚に置いているお菓子を物色し幾つか目星を付けて手に取った。菫は甘いものなら何でも食べるので適当でいいだろう。


 息を大きく吸い込んでゆっくりと吐く。何度か深呼吸して落ち着いた僕は部屋に戻ろうと階段の方へ向かう。そして軽く伸びをしたところでふと水の音がすることに気づいた。



 その瞬間、心臓が大きく跳ねる。



 僕の家は玄関から直進したところに階段があり、左手に行くとリビング、右手に行くと脱衣所と浴室がある。


 つまり必然と二階に上がる前に浴室の隣を通るのだ。


 何故だか無意識のうちに忍び足になっていた。


 横から、身体を洗う水の音が聞こえる。このすぐ横に、一糸纏わぬ姿の菫がいるのだと、その音に嫌でも意識させられる。


 思いっきり頭を振って邪念を追い出すと、いつの間にか止まっていた足を動かして階段を駆け上がった。


 勢いよく部屋に駆け込むと存在を主張しているから意識から外しながら座禅を組んだ。そして脳内を駆け巡るピンク色の情景をかき消すべく頭の中で念仏っぽい何かを唱え続ける。


 硬い床に座ったせいで足が痺れてきた。だがそれもまた良い、とおかしな思考をし始めたところでドアを開く音。どうやら菫が帰ってきたようだ。



「え、何してるの? …………………………ほんとに何してるの?」


「悟りの境地に至るための修行」


「そ、そう……楽しそうだね」



 彼女の方を見てみると結構本気で引いてる顔をしていた。それで我に帰った僕はスッと立ち上がると着替えの用意をして下に降りる。


 ていうかよく考えたら座禅に念仏ってだいぶ意味不明だな。






※※※






 お風呂から上がって多少気持ちも鎮まった僕は部屋に戻ると改めて菫の姿を見て不思議な気分になった。


 お風呂に入った菫はピンクのモコモコのパジャマを着ていた。その姿は劣情を煽るというよりは庇護欲を掻き立てるものであり、思わず抱きしめて頭を撫でまくりたい衝動に駆られた。


 初めて見る幼馴染の姿に新鮮味と、ほんの少しの距離を感じる。これだけ長く付き合って来て初めて寝巻き姿を見たのだという事実が奇妙なものに感じられたのだ。



「えへへ、可愛いでしょ」


「うん、可愛い」


「……ッ! なんかやけに素直だね」



 顔を赤く染めて若干顔を逸らすその様子は非常に愛らしい。最近になって思ったが、彼女は自分で振っておいて自分で照れることが多い。これが所謂「押されるのは弱い」属性というやつだろうか。



「んん゛ッ! じゃあ、そろそろ始めようじゃないか……」


 誤魔化すように咳払いをした彼女は突然居住まいを正すとそう告げる。


「え? 何を?」


「いやぁ、夜、部屋で二人っきり、そしてお泊まり……することは一つだよね……」


「!!???!?!!?」


 つまり、え? え………………? 一体ナニが始まると言うんだ!? 


「そう! 徹夜スマブ○だよ!! 真冬の夜のゲーム大会!!」


「お、おう? ………………なるほど」



 先程から醜い劣情に脳を支配されていた僕は、無意識のうちに変な方向に思考を向けすぎていたらしい。ピュアな気持ち全開の表情でこちらを見る菫に、自分の汚さが際立って思わず目を逸らした。あるわけもないのに一瞬あらぬ期待をした自分を恥じる。



「あれ? あんまり乗り気じゃない……? でも友達の家に泊まって夜通しゲームするのが夢だったんだよね。嫌でも付き合わせるよ」


「あ、いや別に嫌だというわけじゃないんだけど。あー、なるほどね、うん」


「じゃあ早速コントローラーを取りたまえ」



 そう言って勝手に僕の棚からSwi○chとコントローラーを取り出すと僕に差し出してくる彼女。まるで自分の部屋かのような自然さだ…………。


 しかし彼女がスマブ○を選択したことが意外だった。多分マ○カーとかの方が好きだろうと思ってたのに。


 まぁ、ここ最近スマ○ラは全然していなかったので丁度いい。久しぶりに菫とやるのも楽しいだろう。



「スマ○ラを選んだことを後悔させてやる」


「実はあれから秘密の特訓をしてたから、柑奈ちゃんに手伝ってもらって。その成果を見せてあげるよ」


「え、一ノ瀬さんスマブラしてたの?」


「柑奈ちゃんめっちゃ強いよ」


「マジか、いつか対戦してみたいな」


「………………その時は絶対私も呼んでね」


「? おう」



 その後、何故か少し不機嫌になった彼女と何度も連戦した。かなり強くなっていた彼女に驚いたが何とか意地で勝ち越した。危ない…………。




※※※





 それから、日付が変わってもずっと遊んだ。途中、他のゲームを挟んだり、チェスや将棋などのボードゲームで遊んだり、アニメの最新話を一緒に見たり、とにかく楽しい時間を過ごした。


 そしてふと静かだなと思い横をみると椅子に座ったまま器用に寝入っている菫がいた。



「自分で徹夜しようって言っておいて先に寝るのかよ……」



 その頬をツンツンと突いてみるも全く起きる気配がない。だらしない笑みを浮かべながら幸せそうに眠っている。


 その顔を見て愛おしさを感じると同時に、かすかに、暗い感情が胸の底から湧き上がってくる。



 こんなに無防備なのは、それだけ気を許してるからか、それとも僕を全く男として見てないからか、どっちなのだろうか。僕のそういう『男』としての側面を目撃しても、結局何でもないかのように翌日から接してきた。それは有り難くもあり、少しだけ寂しくもあったのだ。


 幼馴染だから、やはり僕が異性だという実感があまりないのかもしれない。


 それは、すごく、悔しいな。


 今日、改めて接してみてそのあまりの無防備さを実感した。



 これだけ好きなのに、この関係を崩すのが怖くて現状維持に努めている自分が酷く情けない。


 今ここで襲ってしまったら、菫はどんな顔をするのだろう。


 恐怖に染まった顔か、それとも羞恥で赤らんだ顔か。


 もしかしたら、ヘタレな僕がいい加減決意するのを待っているのではないか。そう思えてならないのだ。


 高校生にもなって、ここまで無防備なことなんてあるだろうか? だって菫のことだ、いくらでも男からそういう目で見られた経験はあるだろう。


 最近は妙にスキンシップも激しいし、何をするにしても距離が近いし。


 これは、幼馴染といえど、果たして友人同士の距離なのだろうか。


 正直に言うと毎日「こいつ俺のこと好きじゃね?」と思わされている。だが童貞の勘違いに違いないと毎回その考えを振り払うのだ。



 でも、やっぱり…………



 これは明らかに、友人に対するもの以上の感情を向けられていると思う。



 もう襲ってしまっていいんじゃないかな。


 明らかに僕を待っている気がする。


 そんな思考が鎌首をもたげる。脳が情欲によって正常な思考を奪われているのも理解している。でも、理性の部分で考えてみても、やはりこれはそういうことだろう。



 いや、これで勘違いだったら取り返しがつかない。



『なんで、ずっと信じてたのに……』



 そう言いながら恐怖に染まった顔で泣いている菫の姿が思い浮かぶ。




「はぁ…………」



 うん、菫に嫌われることよりも、何よりも、彼女を悲しませるのは、絶対に嫌だ。


 昔からよく暗い顔をしている菫を見てきた。強い彼女は、僕に相談なんかしてくれなかったし、頭の悪い僕には彼女の悩みを察してあげることもできなかったけど。


 それでも、これ以上彼女に悲しい顔をさせたくないのだ。



 むにゃむにゃと口をもごつかせながら、アホみたいな間抜け顔で眠りこける菫。



 あぁ、本当に、愛おしくてたまらない。僕が一生幸せにしてあげたい。でも、僕なんかでは釣り合わないのだ。



 眠る彼女の頭を優しく撫でる。サラサラの髪の感触が心地いい。いつまでも撫でていたくなる。


 寝ぼけながらえへへ、とだらしなく笑うその顔に胸が強く締め付けられる。



 ああ、やはり僕はどうしようもなく彼女が好きらしい。



 そっと彼女が起きないように抱き上げると優しくベッドに下ろして布団を掛ける。



 どうか、彼女が僕に飽きてどこかへと行ってしまうその時までは、この関係が続けばいいな。そう、強く思うのだ。












 ──────────────────────────










「んぅ…………」



 といれ………………



 暗い部屋で目を覚ましたボクはトイレに行こうと起き上がると、ドアノブに手を掛けたところで違和感に気づいた。



 あれ、ここどこ……? 



 いつもの場所じゃない…………。


 周りを見渡すと、暗さ故に知らない場所に見えたここは、よく見知った場所であるとわかった。


 あ、そうだ、蓮の家に泊まりに来てたんだった。結局寝落ちしちゃったんだ……。



 昨日楽しみで一睡もできなかったのが痛かったようだ。せっかく泊まりに来たのにもったいないなと思うも、流石に蓮にまで徹夜を強制するのは申し訳なかったのでこれでよかったとも思った。


 どうやらボクは蓮の部屋のベッドに寝かされていたらしい。夜間灯でほんのりと照らされているが暗くて危ない階段をゆっくりと慎重に降りて行く。そしてトイレを済ませるとリビングに行き水を飲んだ。実質ここの住人と言ってもいいほどこの家に入り浸っているのでコップの位置などは全く苦労しなかった。


 ふとリビングのテレビの前に布団が敷かれているのが目に入った。


 そーっと近づいてみると蓮が寝ていた。テレビとソファの間に丁度いい隙間があったためここで寝たのだろう。ベッドを占領してこんな場所で寝させてしまい申し訳なく思う。


 ちょっとした悪戯心が沸いたボクはそっと敷布団の横に膝立ちになるとその寝顔を眺める。



 朝起こしに行く時に何度も見た寝顔だが、こんな時間に、こんな暗い中で見るのは初めてで新鮮味がある。


 こうしてじっと無防備な彼を見つめていると、よくわからない感情が胸を一杯に満たした。暖かくて、ほんのりと痛い、そんな感情。



 思わず胸に手を当てて強く握りしめる。



 もう、ダメかもしれない。



 彼の頬をそっと撫でる。何度も何度も心を満たしたこの感情、ずっとずっと、これが何なのかわからなかった。



 でも、ボクだって鈍感じゃない。これだけずっと考えて、答えが出せないわけがない。



 日に日に強くなる感情に、そろそろ目を逸らすのも限界が近づいている。それを、こうして彼の側にいると嫌でも理解させられた。



 最初は、ただの子供としてしか見てなかった。将来利用してやろうと、そんな悪意を持って近づいた。思い入れなんて、全くなかった。


 でも、今はこんなにも胸中を掻き乱されてる。


 今すぐにでも彼の胸に飛び込んで、思いっきり抱きしめたい、抱きしめられたい。


 強く、強く、骨が折れてしまうくらい強く、抱きしめて欲しいんだ。


 寂しくてたまらない、この孤独をもっと彼に埋めて欲しい。



 これはもう、言い訳のしようがないだろう。



 私は、どうしようもなく、彼に…………




『恋』をしているのだ。




 あの場所で、『僕』の死を実感してから、よりいっそう彼を求めるようになっていった。それを自覚していた。そして、もう自分の気持ちに言い訳をして、目を逸らし続けるのは無理だった。


 いつだったか、蓮が「どんな男でもTSしたら最後、主人公に堕とされるのが宿命」だとかわけのわからないことを言っていた。あの後実はバレてるんじゃないかと一週間くらい悩まされた。


 ボクも結局例に漏れず、メス堕ちさせられてしまったらしい。



 幼馴染系ヒロインムーブは、いつの間にかただのムーブじゃなくなっていたのだ。


 手玉に取っていたつもりがいつの間にかただのヒロインに堕とされていたなんて、どんな冗談なのだろうか。



 ボクは一体どこまで『メス堕ち』しているのだろうか。


 確かにボクは『男』だ、それは間違いない。でもボクは同じ『男』の蓮が好きで…………


 彼の人格が好きなのか、それとも体も含めてなのか、どうなんだろう……? でも蓮以外の男性に体を触られる想像をしてみても、嫌悪感しか感じない。


 ボクの心が女の子になってしまったのか、それともただ『蓮』という存在が好きになっただけなのか、それはわからない。




『彼とキスするところを想像してみて』




 ふと、佐久間さんに言われた言葉がフラッシュバックする。



 自然と彼の唇に視線が落ちる。


 静かな空間に、唾の飲み込む音はやけに響く、その音で彼が起きてしまわないか、どういうわけか酷く気にしている自分がいた。


 口の中が渇き、世界を大きな心音が支配する。震える手を敷布団の上にそっと置いて、布が擦れる音にすらも敏感になりながら、彼の様子を窺う。


 今のボクは、一体どんな顔をしているのだろう。どんな顔にせよ、きっと彼には見せられないものに違いない。



 熱い吐息が漏れるのを自覚しながら、少しずつ体を傾けていく。


 気がつけば目と鼻の先に彼の顔があった。お互いに息の掛かる距離で、このままじゃ起きてしまいそうだ。


 息を止めてゆっくり、ゆっくりと顔を近づけていく。



 15センチ、10センチ、5センチ、1センチ…………



 あと少しでも近づけたら、触れてしまう。きっと、このまま一歩を踏み出してしまえば、全てがわかる。でももう、戻れなくなってしまう。



 あぁ………………



 酷く痛む頭を抑えて、チクリと胸を刺すものに従い彼との距離を取る。


 こんなこと、やっぱりダメだ。寝ている間にこんなことをするなんて絶対に良くないことだ。



 それに、やっぱりボクは男だ。それも、悪意に塗れた、汚らしい存在だ。本当に、最悪な動機で彼に近づいた、獣にも等しい存在で…………。


 それが今更、好きになってしまったなんて、そんなことが許されるとでも思っているのだろうか。彼も、こんなボクなんて嫌に違いない。


 彼にバレたくないという恐怖と、彼に隠し続ける罪悪感で押しつぶされそうだった。


 全てを曝け出して彼に断罪されたい…………ボクの良心がそう悲鳴をあげている。そして、このまま黙って、何でもないように振る舞って彼を騙し続けていたい、そう私の利己的な部分が願っている。



 あぁ、なんて嫌な人間なんだろう。



 何でこんなに情緒不安定になっているんだボクは、全てボクが蒔いた種なのに。



 前世では何にも動じない、そんな人間だったのに、そんな強さは一緒に死んでしまったのだろうか。



 ただ、友達の家に遊びに来ただけなのに、こんなシリアスになってて馬鹿らしい。



 でも、これはボクの一生付き合っていくべき課題なのかもしれない。


 いつかは絶対、彼に全てを打ち明けよう。


 全てを知っても、それでも、もし許してくれるなら、きっとその時は…………




 ボクの気もしらないで、微動だにせずに眠る蓮を見やる。



「これくらいなら、許されるよね」



 そっと蓮の眠る布団に潜り込んだボクは、その腕を抱きしめながら、昨日からずっと稼働しっぱなしの脳を休めるべくそっと瞼を閉じた。


 抱きしめ返されない寂しさを感じながら、ゆっくりと意識が微睡に落ちていく。







「大好き」





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