打ち捨てられたアンカー

「次は○○駅、次は○○駅、The next stop is………………」



 地下鉄やバスなどと比べて遥かに揺れの少ない座席に座り、高速で背後に流れて行く景色を横目にぼーっとする。思考が霞がかる中ただただイヤホンから流れる音楽に耳を傾ける。



 現在土曜日の昼、ボクは新幹線に一人揺られていた。



 Googleマップのストリートビューで何度も何度も確認した、とある場所へ向かっているのだ。


 よくない事をしてるのはわかっている。誰にも行き先を告げず、両親にも蓮の家に遊びに行くと嘘をついて外出するなんて、普段のボクの行動を考えたら有り得ないことだ。


 でも、どうしても今確認しておかないといけない気がしたのだ。




 新幹線の車内アナウンスを聞きながら握りしめたスマホの画面を無意味にいじる。適当なアプリを開いては閉じて、通知も来ていないのに何度もL○NEのトーク一覧を開く。


 何だかんだで一人で遠出するのは酷く心細かった。行く土地に一人で赴くというのは酷く勇気がいる。そして何より両親を騙している罪悪感と妙なドキドキで体が落ち着かないのだ。何度も蓮に連絡しようか迷いながら必死に耐えていた。


場所に行く恐怖故か、それとも一人でいる不安故か、震える手を抑えるようにスマホを強く握りしめる。


 このままではいけない、そう思ったボクは再生しているバラードを止めて明るい曲を探すが、プレイリストに入れている曲はほぼ全て暗い曲だった。


 仕方なく音楽を止めてイヤホンを外した。どのみちアナウンスを聞き逃さないためにも止めた方が良かったのだ、うん……。


 ふと外に目を向けてその見慣れぬ景色に我に帰る。こんな大金を使って一体何をしているのだろうか。衝動的に家を出たことを少し後悔する。しかし後悔先に立たず、今更だ。




「次は×××、間も無く停車いたします…………」




 堂々巡りの思考に陥っている内に、どうやら目的地についたようだ。停車時のGもほとんど感じず揺れもないため、ぼーっとしてたらいつの間にか目的地を通過してしまいそうだった。イヤホンを外しておいて正解だった。


 荷物置きに頭をぶつけないよう気をつけながら席を立ち、新幹線を降りる。


 そこは小さくもないが大きくもない、しかし少し寂れた雰囲気の駅だった。生まれて初めて来たはずなのに、酷く見覚えのある場所。


 そんな場所を嫌に重く感じる足を動かしながら歩いて行く。人影はなく、駅だというのに唾を飲み込む音すら響きそうなほどの静寂に包まれている。


 しかしきっとここが人混みの中であってもボクの耳は何も捉えなかったに違いない。



 視覚情報以外の全てを拒む脳に、自分がまるで宙に浮いているかのように錯覚した。視点の動きで自分がおそらく歩いているだろうことはわかる。しかし、極度の緊張状態における特有の浮遊感を味わっていた。



 改札を通り、駅の出入り口を通る。



 思わず手から力が抜け、握っていたスマホを地面に落とす。強く、強く、胸を締めつけるこの感情は…………一体何という名前なのだろう。悲しみ、怒り、諦念、そして。様々な要素がごちゃ混ぜになって濁流のように流れ込んでくる。



 気がつけば頬を生暖かいものが伝っていた。





 そう、ここは何度も夢に現れ終ぞ忘れることができなかった、前世の故郷であった。







※※※







 この世界は、限りなく前世の世界に近いものである。そう、近いだけで同一のものではない。大手企業の名前から、歴史上の人物まで、前世で慣れ親しんだものとほとんど同じであり、前世の延長線上に生きている感覚でほとんど違和感はない。しかし大きな災害が起きた日付が異なっていたり、未だに新型コロナが流行していなかったり、たまに前世とは異なる世界なのだと実感させられる。



 ボクの誕生日は、何の因果か、前世と全く同じであった。誕生した年もだ。



 前世の知識から、地震の被害を減らしたり、何かできることがあるのではないかと思っていた時期もあった。人を救いたいだとか、そんな高尚な考えではない。ただ多くの人が亡くなってしまうとわかっていて、見て見ぬ振りをすることが酷く苦しかっただけなのだ。罪悪感から逃れたいという身勝手なものだった。


 しかし前世に起こった災害は起きず、逆に前世で起きなかった災害が起きた。結局知識が役にたつことはなかったのだ。それにたとえ前世と同じ世界であったとしても、ボクのようなただの子供一人にできることなんて何もなかっただろう。


 話が脱線したが、この世界はボクの知るものとは異なるものである筈なのだ。


 しかしこうして知っている場所にいざ来てみると、酷く懐かしい気持ちにさせられた。



 公園の場所や名前、街並みなどは微妙に変わっている。だが前世で見た街の面影を強く残している。いや、残しているという表現は相応しくはないのだが。それでも確かに、かつて住んでいた街なのだと直感的に理解させられた。



 試しに前世で卒業した小学校の場所と対応する場所に行ってみる。しかし残念ながらそこには何もない。やはりかつて過ごした街そのものではない。


 しかし幼い頃、連れてきてくれた公園はボクの知る姿のままその場にあった。


 思わず遊具のすぐ側まで駆け寄っていた。周りで遊んでいた子供達が驚いたような目を向けてくるが、今は気にならなかった。



 あぁ…………やっぱりあの時遊んだ滑り台だ。



 何の動物かはわからないが何らかの動物を模した乗り物に、小さな滑り台。ジャングルジムというのだろうか、遊具に詳しくないボクには名前がわからないが、ロープでできた遊具。


 流石に高校生のボクには小さすぎる遊具たちに、唯一まだ使えそうなブランコに腰掛ける。


 ロープの遊具を素早く登って行く小さな子供たちを眺めながら懐かしい気持ちに浸る。



 ボクにも、ああして無邪気に笑っていられた時期があったのだろうか。


記憶をいくら探しても、楽しい思い出というのはほとんど浮かんでこなかった。でも…………不思議と悲しい気持ちにはならなかった。


記憶は、楽しいものばかりだった。そして、そんな輝かしい記憶の中には、いつだっての姿が写っていた。


 あぁ、本当に……前世からは考えられないほど暖かい…………大切な宝物だ。


 こんなにも多くのものを貰っておきながら、まだ彼に養って貰おうというのか。何てボクは傲慢で、最低な人間なのだろう。


 強い自己嫌悪を感じながらも、あまりこの場に長居できないボクは公園を後にした。


 みんなにバレない内に帰らないといけない。遅くなって心配したお母さんが蓮に電話でも掛けてしまったら一巻の終わりだ。


 しばらく歩き回って故郷を一通り観光したボクは、ずっと後回しにしていた、ここに来た一番の目的である場所へと向かうことにした。


 一体どんな気持ちになるのか、自分でも想像できない。とても恐ろしい、今にも無かったことにして帰ってしまいたい。でも、これはきっと遅かれ早かれ絶対に為さなければならないことであるのだ。


 ゆっくりと、一歩一歩踏みしめながら歩く。何度も何度も繰り返し通った道を。


 目的地に近づけば近づくほど、記憶の通りになっていく街並みを呪った。ここが綺麗さっぱり変わっていたら、どんなに楽だったか。


 もう、あと二つ横道を通り過ぎれば着いてしまう。小さな頃、何度も目印に使った大きな建物が見える。この建物を見るたびに憂鬱な気持ちになったものだった。


 あぁ、もうここを曲がれば見えてしまう…………。


 もうその場所まで15メートル程しかない。しかし、そこで思わず足を止めてしまった。見てしまうのが怖い。ボクの中で、何かが狂ってしまうのではないか、変わってしまうのではないか。そんな漠然とした、しかし凍えそうな程強い恐怖が体を支配する。


 でも、いつまでもこうしてはいられない。


 胸に手を当てて深呼吸をする。




 はぁ……………………。





 よし! 男は度胸だ。こんなビクビクしていてはカッコ悪い。ぼ、ボクは行くぞ……! こ、怖くなんてないし……? 今更、これくらい楽勝に決まってる。


 震える足を無理矢理動かして、考えるより先に行動してしまう。恐怖を振り払って勢いよく足を踏み出した。



 そして遂に目的地に到着する。



 その建物はボクの知るものとは少し違う形をしていた。しかし周囲を囲む景色はかつて見たものと寸分も違わず同じものだ。そして…………



『橘』



 その表札に書かれた姓は、確かに前世のボクのものであった。






※※※






 前世でボクの家が建っていたその土地には、ほとんど前世で見たものと変わらぬモノが建っていた。そして、かつてのボクと全く同じ苗字の表札が貼られている。この空間だけ前世の世界と繋がっているのではないかと、そう思わされる程その景色は記憶にあるものと酷似していた。



 前世での様々な思い出が一気にフラッシュバックする。



 お兄ちゃんに何度も殴られた記憶、お兄ちゃんにばかり向けられる愛情の籠もった視線。そして……に向けられる、まるで壁のシミでも見ているかのような、無機質な目。



 何をしてもダメだった。たくさんお手伝いした。褒めてもらえるよう沢山勉強した。学校の成績だってずっと学年一位をキープした。でも、お母さんもお父さんも、僕のことをいないものとして扱った。唯一の味方だったおばあちゃんも、直ぐにあの世へと逝ってしまった。


 僕がまだ小さかった頃の、ただ一度向けられたお母さんの優しい視線が浮かんでくる。



『見て! 理科のテスト100点だった!』


『ふふ、よく頑張ったね。この調子で、いい子にして頑張るのよ?』


『うん!』



 いい子であろうとし続けた僕は、いつしかそれが当然となって、学校でも他人にそれを強要するような所謂「優等生振った嫌味な奴」となっていたように思う。そのせいで、あまり友達も作れなかった。今思えば何であんなに馬鹿だったのだろう。仮にも勉強だけはできた筈なのに。いや、あの行動が必ずしも悪いことだったとは言えない。でも、もう少し世渡りを覚えるべきだった。




「はぁ………………」




 一度、大きく息を吐く。色々と思い出してシリアスな雰囲気になったが、やはり所詮は過去のことだった。いや、過去のことであってくれた。


 ここに来たのは、ボクがどれだけ前世に囚われているのか、それを確かめたかったからだ。


 本当はもっと、心を掻き乱されるものだと思っていた。しかしどうやら想像以上に前世のことは割り切れていたらしい。



 今世で、こうして幸せな毎日を過ごしていく中で、ボクの中のが、少しずつ擦り切れていくのを感じていた。でも、ずっとそこから目を逸らし続けていた。ボクの意識がボクのものであるその根拠は、前世の僕以外に無かったからだ。


 ボクが僕であるのか私であるのか、もはや曖昧になっていた。唯一僕であった証拠である男性としての自認すらも、もはや怪しいものに思える。


 女性の裸体に何も感じなくなった自分がいた。女性の仕草をなんの違和感もなく自然にこなせるようになった自分がいた。そして何よりも……………………。



 そんな日々の中で、自分のアイデンティティにずっと縋っていたのかも知れない。


 でも、ここに来てみてはっきりとわかった。



 やはりは、確かに死んでいたらしい。あの地獄のような日々は、未だ記憶の中に居座っている。でも、それを確かな実体験として思い出すにはこの体で長く過ごしすぎていたらしい。


 人は最終的に、具体的な記憶を失い、ただその時の感情のみが残るのだという。ただ悲しいから悲しい、そういうものになっていくのだ。そして、そんな感情がもはや希薄なものとなった以上、もう、死んだのだということだろう。



 もう、ここにいる理由もない。早く帰らないと。そう思い、再び歩き出そうとしたそのタイミングで、幼く高い声に呼び止められる。



「お姉ちゃんどうしたの? 琴音ねぇの友達?」



 誰かと思い振り返ると、足元に小さな男の子がこちらを見上げながら立っていた。不思議そうな顔でこてんと首を傾げている。改めて自分の姿を振り返ってみる。人の家をぼーっと眺めながら佇む女子高生、どこからどうみても不審者であった。



「え、えぇと、だいたいそんなところかな……はは」


「ふーん……」


「こら、どこいくの駿しゅん…………あら、琴音のお友達?」



 そして彼を追ってきたらしい女性の姿を視界に収め、ヒュっと息を飲む。


 その姿は、あまりにも見覚えがありすぎるものだった。ずっと、ずっと呪いのようにボクを縛りつけていたその姿は……



 前世の母そのものであった。






「え、あ…………えぇと……」


「ごめんねぇ、琴音今遊びに出かけてるの」


「え、えと、あ、そうなんですね……」


「わざわざ来てくれたのにごめんなさいね」



 しかし、その優しげな表情は前世の母と似ても似つかないものだ。こんなにも柔らかな笑みを、ボクは見たことがなかった。



 そして、この小さな子の名前は………………。




「いえ、全然大丈夫です。今日は一旦帰りますね」


「本当にごめんねぇ、気をつけて。そういえば、お名前は何ていうの?」


「………………菫です。今日は失礼しました」



 どうやら、この世界のボクは、しっかりと愛されているらしい。お母さんの、いや、この人の息子へ向ける視線は、どこの家庭でもありふれている、暖かなものであった。



 でも、それを羨ましいと思うことは、もうなかった。これからもきっと、そうであることだろう。







※※※








 再び新幹線に乗って帰ったボクは、その痛すぎる出費に頭を抱えながらも現実逃避に蓮の家に遊びに来ていた。いつも通りお義父さんに家に上げて貰ったボクは蓮の部屋に突撃する。



「うぇーい、愛しの幼馴染が遊びに来てやったぞー、丁重にもてなしたまえ」


「帰ってもろて」


「やだ」



 椅子に座ってソシャゲに勤しんでる蓮。チラリとこちらを一瞥した彼はそのままボクから意識を逸らしてゲームを再開する。そのあまりに淡白な反応に、少し安心しながらもムッとしたボクは彼の後ろに忍び寄る。



 そして彼が前のめりになったタイミングを見計らって、背もたれと彼の背の間に無理矢理体を滑り込ませる。そして限界まで密着したボクはそのまま腕を回して思いっきり彼に抱きついた。



「ちょ、おま、いきなり何してんの!?」


「今日はもう疲れたから、抱き枕になって」


「やめ、ちょ、一旦離れよ?」


「むり〜」



 ふへへ、幸せだなぁ…………



 暴れる彼を意に介さずぎゅっと腕に力を込める。


 何度かそんな攻防を繰り返すと、遂に諦めたのか抵抗をやめる蓮。


 そんな彼の背中で、暖かな体温に身を委ね続ける。夏だからちょっと暑かったけど、それがまた、不思議と心地よかった。


 今日は少しセンチメンタルになってしまった。だから、癒しが必要なのだ。


 そうして、意識が微睡に包まれるまで、存分にこの暖かさを堪能するのであった。







作者後書きーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


珍しくシリアス回でした、次回以降また糖分回になります。実は次話が13000字というとんでもない文量になっています…………現在分けるべきかどうか、そして分けるならどこで分けるべきかを必死に考えているところです。更新が遅れてしまうかもしれませんがご容赦ください。


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