障害はどこにあるか

 シゾイドである私は通院をするわけでも薬を飲むわけでもない


自分自身に対して困っていないようである


 何を治すのだろう

この感覚は私にとっては普通なのである


 何がおかしいのか

体のどこかに異常があると思えない


 病気なのか

この感覚は治さなくてはいけないもの?


 そもそも治せるのか

自分が普通の人間に変わるわけがない  



出来ていたことが出来なくなってはいない


うつ病のようにいつもしていた事をしなくなるようなものとは違う


自分にとってはこれが正常な状態



 シゾイドそのものを障害と認識してはいない


障害を感じる瞬間というのは人間との関わり、社会との関わりの場面


人が集まれば集まるほど、より普通でいることを求められる


そもそも集団に属することどころか人と一緒にいたいという欲求が特にない


それでも必要性の問題でその中に入ろうとすれば


人々が当たり前の普通を当たり前に共有している事実を思い知らされる



 シゾイドはトラブルメーカーとは対極に位置するように思う


自分が変わった価値観を持っているのは周りを見れば明らかで


それを表に出そうものなら普通の人間のそれを否定したり不快感をもたらすことを自覚している


その上シゾイドは自分を知ってもらいたい欲求などなく、知らないでいてほしいとさえ思っている


勘違いをされようが訂正する理由もない


それどころか、理解できないのを知っているからこそ


薄っぺらい人間にはあえて独特な皮肉を飛ばしてついてこれないことを少し面白く思ったりもする



 自分とっての障害は社会そのものだと感じた


多様性と言えば聞こえはいいが


それが単なる外見でしかないのか


受け入れられるものしかそう表現しないのか



 社会が変わらないのは当たり前で、変わることの要求もしていない


そうであるなら


私の方が変わった方が話が早いと思うのは


自然ではないだろうか


私でない誰かとして










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