2B. こじらせバンドマン
ライブ終わりの物販で、
『あのぅ……淳さんのファンなんです』
一言で言って、美人だった。
小柄だがシルエットは肉感的で、それを誇示するような服をわざと着ているようにみえた。バラと苺の混じったような香水の可憐な香りが、またそそる。
淳はそのまま連絡先を交換した。
ここ最近で一番の『アタリ』だった。
それからカジュアルなレストランで最初のデートをした夜、すぐにホテルに行った。
彼女がそうしたいと言ったのだ。何から何までトントン拍子だった。
その時点で警戒するべきだった。
セックスはまあまあだった。初回はこんなもんだ。次回からどう攻めるか。戦略を練っていたときだった。
彼女は柔らかな胸を淳の腕に押し当てながら、甘えた声で囁いた。
『ねぇ、淳さんって、STARGETのリョウスケくんと仲いいの?』
『STARGET』は淳のバンド『kiddie』と同じレーベルに所属している。その関係でよく対バンするバンドだった。付き合いこそ長いが、ジャンルも方向性も全く異なっている。演奏が売りのkiddieに対し、彼らは演奏はそこそこに、あからさまに顔で売っているバンドだった。淳はその売り方が大嫌いだった。
別に最初からそうだったわけではない。ただ、彼らの中でやむをえぬ事情があったのだろう。ある時からそういうやり方になったのだ。
実際、男前揃いだったし、彼らも彼らで見た目の磨き上げには余念がなかった。長所を磨く、その姿勢だけは好感を持っていた。が、好きなところはそれぐらいだった。
彼らは面白いように売れた。
淳は彼女が何を言いたいのかすぐにわかった。
「――はぁーなるほど、踏み台にされちゃったわけだ」
隣に座る智浩が、笑顔でこっちを見ている。シャワーを浴びたばかりの彼の髪は、水気を含んで少しうねっていた。
彼のワンルームは暗い。床置きの照明が一つ、オレンジの灯りをわずかに広げるだけだ。その中で二人、よく冷えたコーラを飲んでいた。
「リョウスケくんって、あれだよね?STARGETのなかで一番男前の、あのボーカルだよね。メジャー行くかもって、みっちゃんが言ってたよ。」
みっちゃんというのは、淳たちの所属するインディーレーベル『This Squall』のオーナー
彼女は智浩の古い友人でもあり、また『薫』の姉でもあった。
その縁で彼はライブハウスで働くようになったと聞いている。
「でもその彼女、美人なんでしょ。なら直接アタックしてもいいのに、わざわざ淳を踏み台にするなんて、」
「まったくだよ。まー、リョウスケにはいい女がいっぱいいるからな。確実な道を選びたかったんだろ。
オレの紹介ならリョウスケも断らないと踏んだわけだ」
ケッ、と吐き捨てるように言うと、淳はグラスの中身を飲み干した。
ローテーブルにグラスを置き、一息つく。
智浩の部屋は相変わらず物が少ない。
家具の背は軒並み低く、部屋の中はほとんどが壁紙の印象である。天井のライトは取り外され、代わりにベッドサイドにオレンジの灯りが点っていた。
「落ちてくる」ものがない。それがかえって彼の怖がるものを明確に示しているように淳には思えた。
「で、その美人はどうしたの」
「寝てたから、ホテルに置いてきた」
「それはまた、」
あとで刺されそうな別れ方だね。智浩が苦笑いをする。
結局、淳はホテル代を全額枕元に置いて部屋を出てきた。
半額ではなく全額だったのは、それなりのプライドがあったからだ。これは自分の意思だ、俺が遊んだのだ、お前に遊ばれたわけではない、という類の。
「なあ、トモ。オレだってかっこいいだろ、」
淳は智浩の肩をやや強引に抱き寄せ、頬に軽くキスをした。
智浩がくすぐったそうに身を震わせた。
「……そうだねぇ。淳はかっこいいよ、」
そう言い終わった智浩の唇をゆっくり塞ぐ。コーラの味のするキスだった。
車の往来する音が大きくなっていく。カーテンの隙間から、青白い光が入り込む。
そろそろ夜明けだ。
唇を離す。互いの鼻筋を擦り寄せながら、淳は言った。
「……そうだろ。かっこいいだろ。オレだってそう思うし、そう思えるように努力してきたんだ。なのに何でこんなにあっさり切り捨てられるのか、不思議でしょうがない」
おとがいから首筋に、小さなキスを繰り返し落としていく。
智浩は黙ったまま、淳の好きにさせていた。
「……慰めてよ。オレ今すんごく傷ついてんの。」
淳の手が、智浩の腹を服の下からなで上げる。
「淳は、ほんとにしょうがないね」
それからいつものようにベッドに入った。
すっかりすべてが終わったあと、二人は裸のまま、何もない天井を眺めていた。
いつも通りだった。いつも通り淳は我を忘れて楽しんだし、智浩だって同じだったように思える。彼がセックス嫌い、という話を聞いたのは随分前だが、その割には淳とよく寝ていた。
「ねぇ、なんでオレとだけは寝てくれるわけ?」
「さぁね、」
答える気はサラサラないという様子でかわされる。淳の方も、別に答えが聞きたいわけではなかった。これまで何度も聞いてきたし、そのたびに『さぁね』と返されるからだ。それに、
『わかってるくせに、』
彼の声がする。
そう、わかっているのだ。
『智浩は僕と寝たいんだよ』
一年前から、淳の中には淳ではない男が潜んでいた。
それはかつて、あのライブハウスの近くで死んだギタリストであり、また、智浩の恋人だった男だ。
彼は淳にだけ聞こえる声で囁き、淳にだけ感じ取れる気配で、時折その体を操る。
淳に取り憑いた薫の幽霊、ギターの神様――。
智浩にそれを打ち明けたことはなかった。
だが、彼も確かに気づいている。
智浩は時折、淳の中指を口に含んで愛撫する。そこには目立つ
これは薫の印だ。
薫が取り憑くと、生前の彼と同じ位置に黒子が現れるのだ。
『だから、トモは淳と寝るんだよ。この体が半分、僕のものだから』
そのことが淳に敗北感にも似た気持ちを味わわせていた。智浩はそれを知ってか知らずか、執拗にその愛撫を繰り返した。
「そんなに気持ちいいなら、オレと付き合えばいいじゃん」
今日もダメ押しで言ってみる。だが、
「付き合わないよ。」
即答である。もう何度もそんな押し問答が繰り返されてきた。
淳は智浩の横顔を見ながら、さっきの行為を思い返していた。
彼のその、乱れる息も、熱を帯びた視線も、与えあう快楽も体液も全部、
――全部が淳の奥にいる昔の恋人のために捧げられていた。
彼にとってはそれで十分なのだ。淳と付き合うことなんて、薫と寝ることに比べればどうでもいいのだ。
そういう関係がもう、半年以上も続いていた。不毛な関係だということは互いにわかっていたのに、やめられずにいた。
それは、智浩の薫に対する未練のせいでもあるし、また、繋がっている体だけでも愛されていると感じてしまう、淳のこじれた恋愛感情のせいでもあった。
苦しいばかりだった。何度も何度も、もうやめたいと思った。それなのになんで、まだ好きなんだろう。
夜は完全に明けた。
二人でもう一度シャワーを浴び、智浩は裸のままベッドに戻った。その横で、淳は着替える。さっき勢いのままに脱いだ服を一から着直すのは、なんだか間抜けだ。背中から智浩が声をかけた。
「淳、明日のリハ何時から?」
「二時、」
「その日は俺もそっちだわ。よろしく。ライブ頑張れ」
「ん。」
まるでさっきの情事などなかったかのような会話の後、淳はその部屋を去った。
一歩外に出ると、走り抜ける車の音と蝉の声が、一緒になって耳をつんざく。焼け付くような日差しをビルの日陰で避けながら、駅への道を歩いた。
淳はいつも、この道を通りながら『もう二度と来ないぞ』と思う。だがすぐにまた来ることになる。
それを繰り返していくうちに、もはやそれすらルーティンになっていった。道端の吸い殻が、何故か自分の姿と重なった。
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