5B. 救難信号


 暗闇の中で、無数の光がゆったりと飛び交っている。


 誰もいないライブハウス。その観客席の一番うしろに、陽一は立っていた。


 飛び交っていたのは、ミラーボールの光だった。ゆっくりと回転しながら、部屋中に星を撒き散らしていく。


 よく見ると、それに混じって蛍のようなものがゆらゆらと飛んでいる。

 小さく細かいその光が、どこから飛んできているのかは不明だった。

 でも、どこから飛んできたとして、それは大した問題ではなかった。


 夢の中なのだ。

 順序も根拠も、何もない。


『楽しかった?』


 ステージで低く掠れた声がする。

 ついさっきまでは誰もいなかったその場所で、黒いTシャツを着た茶髪の男が椅子に腰掛けていた。

 前かがみに頬杖をついて、陽一を見つめている。


 知らない男だ、と思う。

 一方で、もうずっと昔から知っていたような気もする。


「薫くん」


 古い友人のように、その名前を呼んだ。男は目を細めて答えた。


『やっと辿り着いたね』


 あの場所に、と言うことだろうか。それとも。


『トモ、苦しそうだったでしょ。

僕が死んでからずっと、苦しんでるんだよ。もう忘れてもいいのに。もう先に進んでいいのに。』


「……どうすればいいの?」


 陽一は、素直にそう聞いた。

 なぜなのかはわからない。ただ、夢なのでよしとする。

 彼はそれを聞くと、に、と笑った。

 

『助けてあげてよ、トモのこと』

 薫が椅子から降りる。

『僕のことを、忘れさせてあげて』


 わかった、と陽一は答えた。

 薫がもう一度微笑んだ。


 薫の足元で蛍が揺れている。

 気づくと飛んでいる蛍はごくわずかになっていた。

 ホタルの死骸が足元を埋め尽くしている。

 くるぶしまで累々と敷き詰められたその死骸の、細い足が目に飛び込んできた。


 その時何故か、目覚める、と思った。

 慌てて問う。


「薫くん教えてよ」

『なに?』

「なんで、僕なの?」


 なんで、自分がこの夢を見ているんだろう。なんで、自分が智浩を助けるのだろう。

 他にも人なんか、ごまんといるのに。


『わかるでしょ』



――そこで目が覚めた。

 カーテンの隙間から、強い日差しが差し込んでいる。

 昼だ。陽一が寝間着代わりに着ていたTシャツは、ひどい寝汗で上半身にベッタリと張り付いていた。


 今日で三回目だった。

 薫から、智浩を助けてくれ、と頼まれる夢。


 淳のライブを見るまでは、夢の内容は何かしら毎回異なっていた。それなのに、あの夜以降はずっと同じ内容を繰り返している。あんなふうに頼み事をされるのも、同じ内容の夢を見続けるのも、初めてのことだった。


 寝覚めは最悪の気分だった。


 携帯を確認する。沙織からメッセージが入っていた。

『今日は18時半に金時計で待ち合わせね。よろしく〜』

 例の合コンの日である。


 陽一は重い腰を上げると、軽くシャワーを浴びて、身なりを整えた。

 クローゼットから一番当たり障りのない、かつ好感の持てる服を探し出す。髪はそのままにすると目立つので、後で軽く結った。

 派手になりすぎないアクセサリーと鞄、靴。


――これくらいでいいだろう。


 鏡に映る自分と世間様とを照らし合わせながら家を出た。一歩出た瞬間に、引き返したかった。



 合コン自体は苦痛ではなかった。

 陽一は初めて会う女の子ともすぐに打ち解けられる。明らかに職業病ではあるが、もともとそういう性格だった。人と喋るのは楽しい。女の子たちだってそれぞれ個性があって、話題は尽きない。


 でも、それ以上のことは、考えられなかった。


 沙織は、この中から彼女を見つけろよ、という視線を陽一に送り続けていた。うんざりだ。

 なんとか妹に与えられた『結婚』という使命にフォーカスしてはみたものの、『美容師という職業に理解があるか』『料理下手な自分を助けてくれるか』ぐらいしか条件は浮かばない。その場にいた3人全員がその条件に合致しており、それ以上の絞り込みは困難だった。


 陽一は目的を果たせない事がわかると途端に嫌気が差し、明日は朝イチで予約が入ってるから、と嘘をついて、頭を下げながら一次会で帰った。駅への階段を降りた途端、どっと疲れが押し寄せてきた。


 駅は21時を前に人でごった返していた。


 人混みにのまれて地下鉄に乗ったその足で、陽一はなんとなく繁華街の方に向かった。

 一人で部屋にいても、今日のことで思考が迷走するだけだと思った。

 それに、


『助けてあげてよ』


 どうすればいいのかはまるで分からなかったが、少なくとも、彼には会っておいた方がいい気がしていた。


――たしか、この駅だよな。

 『Anchor』をググりながら、道を進む。

 店は★3.8、まあまあの評価だ。酒は高くない。カジュアルな雰囲気の写真ものっている。この格好でふらりと立ち寄っても、場違いではなさそうだ。

 携帯を片手に、地上への階段を上る。


 夜の繁華街は賑やかで、街中を彩るネオンやライトがまるでそこに行き交う人々の心を映し出すように輝いている。それは綺羅びやかで、また猥雑でもあった。

 大通り沿いを歩くと、バスターミナルのそばに大きな公園が見えた。背の高いビルに囲まれて、日当たりは悪そうだった。なんだか似たような景色を覚えている。


――十二年前、専門学校に入りたての頃。

 あまりのキツさに自暴自棄になっていたときがあった。夜、こうやって華やかな街を歩きながら、自分の存在を消して歩いていた――。


 なんで急にそんなことを思い出したんだろう。


 携帯の案内通りに大通りをそれると、急に人通りが少なくなった。キョロキョロしながら雑居ビルに入り、奥の階段を登る。

 『Anchor』の看板が出ていた。

 陽一は、その扉をゆっくりと押した。


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