4B. 大集結


 夢の続きだと思った。

 ライブハウス『7days wonder』は、陽一が夢に見たあの暗い部屋と瓜二つだった。


 左手にあるバーカウンターの、酒の並び方。

 観客スペースの、傷だらけの木床。

 天井のミラーボールも、店中を照らす怪しい紫色のライトも、ステージ上を舞うホコリの感じも、あの雑多な匂いでさえも。


 何もかもが夢と同じだった。


 ただ夢と違っていたのは、そこに客がいるかどうか、その一点のみだった。

 フロアは思いの外、客が入っていた。後ろはそれほどでもないが、ステージ前にはすでに人だかりができている。

 まだ演奏は始まっていない。


 陽一は、夢が現実となって現れたことに慄きつつも、初めて訪れたライブハウスでの身の振り方に戸惑ってた。


 見回してみると、客の何人かは飲み物の入ったプラスチックカップを持っていた。バーカウンターでドリンクを頼んでいる男女もいる。

 酒を飲みながら音楽を聴けばよいのだろうか?


 カウンターの奥では、眼鏡にヒゲの洒落た男が酒を作っている。髪も髭もよく決まっているのに、笑うと目尻が大きく下がって気さくな印象だった。

 紫色の灯りに照らされたその手捌きは、流れるように優雅だ。陽一はしばらくそれを見ていた。


 さて、どうすればいいのだろうか。

 入口付近で棒立ちになる陽一に、近づく人影があった。


「陽一さん!」


 このちっちゃいハスキー犬のような男は。


「淳くん!!」


 陽一はやや大げさに言いながら淳にかけよった。フロア内のBGMと観客のざわめきのせいで、声を張り上げる必要があった。


「泣きそう!まじでアウェーなんだけど!」

「ウケる!その髪色完全にロックだし」

 淳のその子供っぽい笑顔に、陽一もようやく緊張を解いた。


「でも、陽一さん。ホントに来てくれたんだ。めっちゃ嬉しーよ。ありがと!」

 『めっちゃ嬉しー』のあたりで陽一は思いがけずドキッとする。彼が本当に自分の到着を待ち望んでくれていたような気がしたからだ。淳のこの天真爛漫な笑顔で『めっちゃ嬉しー』などと言われては、女の子はひとたまりもないだろう。


「オレのバンド二組目だから、しばらく一緒に見ようよ。もうドリンク引き換えた?」

「ドリンク?」

「入り口でコイン貰ったっしょ。それと引き換えで一杯、ドリンクもらえるよ」


 確かに入り口でコインを貰った。あまりにも当然のように渡されてしまい、何に使うのか聞けずにいたのだが、そういう仕組みだったのか。淳に案内されて、バーカウンターに向かう。



「陽一さんラッキーだね。今日はさ、トモがお酒作ってくれるよ。あいつ本物のバーテンダーなんだ。普段ここにないお酒も持ち込んできてるし、多少無茶振りしても色々と作ってくれると思う」


 あの眼鏡の男のことだろうか。


「ラッキーなんだ」

「いつもはここのバイトの子だからね。トモはたまーに、バーの営業も兼ねて来るってかんじ。

 ……よっ!トモ!ウィーッス!」

 カウンターに着くなり、淳と眼鏡の男がハイタッチした。何やら親しげに二、三言葉を交わす。長い付き合いなのだということが、その短いやり取りで感じ取れた。


「その子が淳の言ってた美容師さん?」

 眼鏡の男が陽一を見る。低くて滑らかな声だ。淳は満面の笑みで「そー!」と答えた。

「陽一くんだよね。はじめまして、智浩です。淳とは付き合いが長くてね、」

 智浩が差し出す手を、陽一は握った。お互いに水に触れる職業のせいか、手のカサカサした感じが似通っていた。


「なんかそんな感じします。仲良さそー」

「ハハハ。まぁ腐れ縁っていうか……。それよりさ。淳に話聞いてから、すごく楽しみにしてたんだよ、」

「そーそー!とうとう3Bが集結するか!って」

「さんびー……」

 予想しない展開に陽一はキョトンとした。聞いたことのある単語だ。たしか学生の時、女子が噂で……。


「あっ」

 驚きはすぐに愉快な気分に変わる。

 これは伝説の――。


「「「美容師・バンドマン・バーテンダー」」」


 三人がほぼ同時にそう言った。直後、淳が吹き出した。


「ヤバくない?!付き合っちゃいけない職業トップスリーが、一堂に会しちゃったんだよ!!」

「俺は初めてだよ〜、三人が揃うとこ見るの」

「僕もっす!」

 淳は涙まで浮かべている。

「ウケる!ここだけ最強に女泣かせのグループだな!!」

 とんでもない組み合わせだ。だがそれはかえって陽一に妙な親近感を抱かせた。彼らのことは、なぜだかまるで昔からの友人であるかのように思えてきた。また彼らも同じように感じたようで、三人はしばらく寛いで話をしていた。


 部屋の明かりがふっと落ちる。観客がステージの方を向いた。淳はまだヒーヒー言っている。

「陽一くん、もうはじまっちゃうけど、ドリンクまだだよね。何がいい?お酒飲める?」

「あ、お酒飲めます。甘いやつなら……えーと、なんだろ、どうしよ……」

 とっさにカクテルの名前は出てこない。そうこうしているうちにメンバーがステージに入ってくる。拍手が起きる。


「好きなジュースかお酒があったら、適当に作るよ」

「あっじゃあ、ジンジャーエールのやつ」

「はーい」



 一組目のバンドは男前揃いだった。特にボーカルが俳優顔負けの顔立ちだ。観客から黄色い声が上がる。


 陽一は淳に声をかけようとして、すぐにやめた。彼の顔が、さっきとうって変わって不機嫌一色に塗りつぶされていたからだ。


「はい、どーぞ。」

 後ろから智浩が赤いドリンクを渡す。プラスチックカップからチェリーの香りがした。

「なんていうお酒っすか?」

「チボリ・スペシャル。甘くて飲みやすいよ」

 聞いたことのないカクテルだ。


 試しに少し口をつけてみると、甘酸っぱい味わいと炭酸の刺激が存外に爽やかだ。今日みたいな真夏の夜に驚くほどぴったりハマった。なかなか粋なチョイスだ。これがプロか……。

「うま~……」

 酒を堪能する陽一を見て、智浩は笑った。それからステージを一瞥すると、

「淳ね、あのボーカルに女の子とられちゃったの」

 と言った。なるほど、それであの表情。

「余計なこと言わんでいいっ」

 すかさず淳が噛み付いた。



 二曲目が終わった頃に淳は奥の部屋に入っていった。そろそろ準備の時間らしい。

 彼らの最後の曲が終わると、入れ替えのためにしばし休憩となった。

 暗くなったステージに早速淳たちが入ってきて、機材のセットを始める。


 陽一はなんとなくバーカウンターに張り付いたまま、ステージを眺めた。


「次、kiddieだっけ?」

 近くに立つ二人組の男女が談笑していた。

「そうそう。あそこのギター、やばいよね」

「じゅんじゅんでしょ、わかる。あれだけ別格って感じ」

 じゅんじゅん……意外に可愛い愛称で呼ばれているようだ。


「じゅんじゅんのギター、シェクターだよね?やっぱり、幽霊に取り憑かれてんのかな」


 幽霊という単語に、陽一の耳はピクリと動いた。そのまま盗み聞きを続ける。


「絶対そうじゃない?だって、こないだのコウジも、ここでシェクターに変えてからでしょ。売れ始めたの……」

「てかなんでその幽霊、シェクター限定で取り憑くんだろ」

「あれでしょ、その死んだギタリストが、シェクター弾きだったって……」


 こーわー、と言って、男女が震える真似をした。

 陽一には『しぇくたー』がなんのことなのかはよく分からなかったが、何故かその話は元から知っているような気がしていた。



 部屋は再び暗転し、淳のバンドがステージに上がった。大きな拍手で迎えられる。

 淳がストラップを体にかけ、深いブルーのギターを構えた。照明の加減で表情は見えない。

 ステージの奥からドラムスティックの乾いた音が響き渡る、次の瞬間。


 歪んだギターとフィードバックの嵐が、あたりを包み込んだ。


 それがそのまま、陽一の耳の奥深くを揺らす。

 激しいサウンドなのに、感じるのはなぜか寂寥感だ。

 オレンジと青の照明が、音楽に合わせて彼らを彩る。

 観客はそれを固唾をのんで見つめた。


 陽一は音楽に詳しくないので、それがどういうジャンルなのかまるでわからなかった。

 ボーカルのいないバンドなんて初めてだし、普段聞く音楽とは、音色も、リズムも、何もかもが違っている。正直なところ、良し悪しはわからない。

 ただ、うつむき加減で一心不乱にギターをかき鳴らす淳の姿は、


「――、」


 吸い込まれそうなほどの透明感と引力があった。


 一曲目が終わった途端、静かだったフロアから思い出したかのように歓声が上がる。


「かっこいいよね、淳」

 背後から智浩が話しかけてきた。

「そっすね……」

 夢見心地で答える。

「めちゃくちゃ練習してるんだよ、彼。ストイックにさ。ほかのことは全部、チャランポランなのにね」

「チャランポラン……」

「羨ましいね。ああいう、真っ直ぐな姿ってさ」

 陽一にはその言葉が、不思議と自分の置かれた立場とシンクロしたように感じた。


「そうっすね。生き方に迷いがないっていうか、羨ましいっていうか。なんか自分が置いてけぼりになった感じがしちゃうなぁ」


 智浩は一瞬だけ驚いた顔をすると、すぐに笑顔に戻った。困ったような笑顔だった。陽一はしまった、と思った。初対面に話す内容にしては、ちょっと個人的すぎたかもしれない。


「そんな感じしちゃうよねぇ。」

 智浩と目が合う。思わず、顔をそむけた。


 kiddieはほとんどトークもなく、終始熱のこもった演奏をし続けていた。夢のような時間が過ぎていく。またたく間にバンドの入れ替えの時間になった。


「そうだ。俺、いつもはここのお店で働いてるの。よかったら遊びにおいでよ」

 カウンターの上に一枚のカードが置かれた。拾い上げると、『bar Anchor』という店の名前に、地図と営業時間が書かれていた。

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