14B. 開放弦
ライブハウスの照明は落ちていた。
動かなくなったミラーボールが、天井にひっそりとぶら下がっている。
古い木材の匂いと無数のホコリが、あたりに充満していた。
陽一は暗いフロアの真ん中に立っている。
あの夢の続きだ。けれど、少し違う。
ステージはガランとして、耳の奥を静寂がつく。
陽一は、しばらくステージを見つめていた。
それから誰も現れないことを確認すると、踵を返し、出口へと向かった。
重い扉を開ける。チケットカウンターは青白い朝日に照らされていた。
夜明けだった。
陽一はチケットカウンターの前を通り過ぎ、エントランスをあとにした。
外への扉を開けた瞬間、誰かが陽一を後ろから追い抜いていった。
慌てて外に出る。
ひんやりとした空気が、陽一の素肌に優しく触れた。
左右どちらを見ても、ただ人のいない道が続くばかりだった。
ありとあらゆる建物は朝日の影になり、たくさんの黒いブロックがひしめき合っているようだ。
ビルの合間からは爽やかな青色のグラデーションが覗いている。
陽一はその世界を、どこへ行くでもなく、ゆっくりと歩いた。
気づくと工事現場のすぐ横を歩いていた。
頭上から、金属のきしむ音が聞こえた。
何かが落ちてくる。
暗転する意識の中で、あの声が聞こえた。
『元気でた?』
目は醒めた。
陽一には、もうこの夢は見ないのだろう、という確信があった。胸の奥に、穴が空いたような気分だった。
仕事終わりに携帯を確認すると、智浩から不在着信があった。陽一はかけ直さなかった。
店を出て、イヤホンで音楽を聴きながら夜道を歩く。秋風は冷たい。薄いコートのポケットに手をつっこんだ。
イヤホンから流れてくるのは、淳の曲だった。
初めてライブハウスに行った日の、kiddieの一曲目だ。彼のプレイリストの中の、唯一のロックだった。
相変わらず良し悪しは分からないが、この曲は気に入っている。
アパートの最寄り駅で降りる。駅横のコンビニで大盛り唐揚げ弁当をカゴに入れ、レジに向かう。
財布を出そうとして、ふと、レジ横に積まれたチロルに目が行った。きなこもちだ。いつもなら買わない。
だがそれを見た瞬間、陽一は「あ、」と言ってしまった。
「お一つですか〜?」
店員に問われ、とっさに「あ、はい」と答える。
いや、食べたいわけではなかった。
薫。
彼のことを思い出した。
12年前、彼に会っていた。
専門学校に入って初めての秋。
あまりのキツさに自信もやる気もなくしていた時期だった。課題でさんざん言われた夜、陽一は専門学校の入ったビルを出ると、地下鉄には向かわずにその近くをぐるぐると歩きまわった。
日はとっくに落ち、空気はひんやりとしていた。舞い落ちるイチョウの葉の中で、スーツを着た会社員やデート中のカップル、ミニスカートを履いたた女子高生たちとすれ違っていく。その誰もが、陽一よりずっと人生を謳歌しているように見えた。
噴水のある広場にさしかかる。いつもならそこはカップルのたまり場なのだが、その日は少し景色が違った。路上ライブをする若者がいたのだ。
陽一は当時から、ロックなんか一ミリも興味はなかった。それでもなぜが、そのときは彼らの前で足を止めた。
それは曲がいいとかではなく、広場というひらかれた場所で一不乱に演奏する姿に心を打たれたせいだったように思う。
多くの人に見られていた。立ち止まる人もいたが、過ぎていくほうが当然多い。それなのになぜ、こんなにも楽しそうに演奏できるのか、不思議でならなかった。
結局最後の一曲まで聞いていった。その頃には人だかりが出来ていた。陽一は人影に紛れながら、なけなしの五百円玉を缶の中に投げ入れていった。聴いていた人は多かったが、金を投げるものはごく僅かだった。
感想は言わなかった。無言で聞いて、無言で投げ銭をし、無言で立ち去ろうとしたところに、
「お兄さん!ありがと〜ございます!」
ギターの男が声をかけてきた。まさか話しかけられるとは思っていなかったので、陽一はしどろもどろに「あ、はい」という間抜けな返事をした。
男は笑って、
「ずーっと聴いててくれたでしょ。なんか暗い顔してたからつい見ちゃった。元気でた?」
と言いながら、チロルチョコを手渡した。きなこもちだ。
「これ記念品。また来てよ」
茶髪の、小柄な男だった。少し掠れた低い声をしていた。
それは夢の中の薫そのものだった。
縁、というにはあまりにも重いめぐり合わせだった。薫のせいで陽一たちはしなくてもいい苦労や、負わなくてもいい傷を追っている気がした。
もし薫がいなかったら。陽一はふと思った。智浩の付き合いたいという言葉を、素直に受け止められていただろうか?
答えは出なかった。薫の夢を見なければ、そもそも智浩と陽一はここまで深く関わり合うことがないのだ。
それに、薫がいない時点で、陽一はあのまま専門学校を辞めていたかもしれなかった。
つまり、薫のいない世界が、全く想像できなかった。
陽一は帰り道の途中でチロルを食べた。濃い甘さが口いっぱいに広がる。会えるならもう一度、薫に会いたかった。きっと、智浩もこんな気持ちだったはずだ。
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