16B. グッド・エンド
近代的なビルと、古いレンガ造りの建物の混在する景色を初めてみた時、淳は海外ドラマのようだと思った。思わず口に出した瞬間、リクが大笑いした。
「実際海外でしょ。何ボケてんの」
オハイオ州トレド。
その一角に位置する年季の入ったパブで、淳はギターを掻き鳴らしていた。Weird CirclesとkiddieのUSツアーは、今日で2公演目だ。
観客の数は、パブに入り切らないほど……というわけには行かなかった。むしろ空きのほうが目だっていた。備え付けの機材も、壊れたとかなんだとかでトラブル続きだ。
だがそんなことはお構いなしに、観客は頭を振り、声を上げ、ステージと一体になってその場を盛り上げてくれた。淳たちはその熱狂に答えるべく、汗を飛ばして演奏した。真夏の夜は熱気に包まれた。
「ジュン!今日もいいギターだったよ!」
ライブのあと、マイクが瓶ビールを持って淳のそばにやってきた。
「マイクも、」
淳は自分のビール瓶を軽く掲げた。互いの瓶の首を軽く打ち付けあう。キン、という爽やかな音がした。
川辺の広い公園を臨む、景色のいいパブだった。淳はなんとなくテラス席に出ていた。店の中で流れるラジオが、わずかに漏れ出ている。公園の向こうから、気持ちの良い風が吹いた。
「ジュンのギターは一年前からすごく進化しているね」
「ありがと。」
薫がいないからそう聞こえるのだろう。それを『進化』と言ってもらえたのは救いだった。悪くなったなどと評されてはつまらない。
「……バッグに付いてるそれは何?」
マイクが淳のボディバッグを指差す。そこには、青い縮緬に「御守」と書かれた小ぶりのお守りがぶら下がっていた。
片言の英語でなんとか説明を試みたが、〈お守り〉がとっさに出てこなかった。慌ててドラムのアオくんを呼ぶ。アオくんはふだん、英会話スクールでアシスタント講師として働いていた。
「あーこれ、日本のチャームだよ。ジンジャってわかる?そこで特別な力を込めた袋なんだ。」
サラッと出てくるところがかっこいい。マイクは日本のお守りに興味津々だった。「漢字の刺繍がいいね!なんて書いてあるの?」とか「どんな意味があるの?」とか。
その中で「誰にもらったの?」と聞かれて、淳は言いよどんでしまった。普通に「友人」と答えればよかったものの、その時自分の中ではまだ整理ができていなかった。
アオくんはすかさず「じゅんじゅんの昔の恋人だよ〜」と言った。彼は英語が堪能な代わりにデリカシーというものを知らなかった。
それに、別に智浩は恋人ではなかった。恋人にすらなれなかったのだ。こいつ、あらゆる角度から傷をえぐってくるな。
「一年前にフラレたのにまだ引きずってるの〜」
その無遠慮な言葉には流石のマイクも引いていた。
だが実際、淳は一年経っても失恋の痛手から立ちなおっていなかった。今でも智浩のことが好きだった。
病室の一件から半年が経って、淳はようやく智浩と再開した。
近くのカフェに現れた智浩は、相変わらず格好よかった。あまりにも格好いいので、淳はまだ自分が彼のことを好きだということを思い知った。
よく考えてみれば、智浩は死んだ恋人を12年も思い続けていたのだ。これがあと12年続く可能性に、淳は若干辟易した。と、同時に、初めての深い失恋は、曲を作るときのいいベースになりそうだという、職業病じみた妄想へと転換されもした。
この半年で、淳の弾くギターも、作る曲も、雰囲気は変わった。
マイクからツアーに出ないか、と言われたのは、智浩と再開を果たした直後、四月のことだった。夏、すべての公演に同行してほしい、とのことだった。
そうなるなんて知っていたら、去年怪我で行けなくなったことをあれだけ残念がる必要はなかったかもしれない。
だがあの時は確かにチャンスはあれきりで、翌年のことなど微塵もわからなかった。
つまり、そういうことなのだ、と淳は思い始めていた。
何もかもが変わっていく。それは寂しさの他に、救いも内包しているのだ。
出国前日、智浩に会った。
彼は『これは俺だと思って』と、差し入れの入った紙袋を寄越した。袋には、ハリボーと、あのお守りが入っていた。安全祈願で有名な神社のもので、小さな縮緬の袋には白檀の甘い香りがつけてあった。
『淳、頑張ってね、全米ツアー』
『別に、俺のバンドのツアーじゃないし、』
マイクのバンドのツアーに同行するだけだ。殆どが小さなハコだし、車中泊の予定もある。全体的に低予算の旅である。
それでも、ツアー全てに同行させてもらえるのは、本当に幸運だったし、嬉しかった。
それを智浩が応援してくれているというのは、もちろん複雑な気持ちもあったが、やはり心強いという気持ちが勝っていた。
お守りを見るたびに、彼の顔を思い出す。
「大丈夫さジュン!僕の祖父は、去年3回目の結婚をしたところだよ。彼は毎回運命の人だって言ってるけどね、つまり運命なんてどこにでも転がってるのさ!」
そう言ってマイクは励ましてくれた。
どこにでも転がってる、という点には淳も同感だった。
でも、どうやって過去に踏ん切りをつけるのだろうか。
「マイク、君のお爺さんはさ、前の奥さんをどうやって忘れたの?」
「忘れる?まさか。今でも愛してるよ!」
思った答えではなかった。
なんていうか、サンドバッグに顔を貼って殴り倒したとか、持ち物をドラム缶で燃やしてやったとか、そういうアメリカっぽい話を期待していたのだが。
でも、案外そういうものなのかもしれない。淳はなんだか気が抜けてしまった。
「マイクの爺さんはイカれてるね!俺は前の彼女のことなんか思い出すだけでシンバル割っちゃいそう」
アオくんはそう言ってゲラゲラと笑った。こういうのは人それぞれなのだろう。
瓶に残っていたビールを飲み干す。
パチパチした泡の奥で、淳のわだかまりも弾けて消えていく。
オハイオで21時ということは、日本は今、ちょうど次の日の真昼だ。智浩は目を覚ましたところだろうか。
時差のせいとはいえ、自分と自分の知っている人が違う日付を生きているというのは、なんだか不思議だった。
智浩の見ている昼の光は、淳には14時間遅れでやって来る。朝も、昼も、夜も……智浩から少し遅れて淳のもとに届くのだ。
アオくんが店の中に戻るのと同時に、リーダーのショウがやってきた。川の方から、やや強い風が吹いて淳たちの体を押す。
「いい風!なあ、じゅんじゅん、この曲めっちゃ良くない?」
ラジオで流れている曲のことを言っているらしい。たしかに、さっきから淳も気になっていた。
どこかで聴いたことのあるギターだと思った。
マイクも興味があるようだった。
「ああ、最近ドイツで人気のバンドだね。ギタリストは日本人らしいよ。――ギターの感じ、昔のジュンにちょっと似てるね」
ああ、だからか、と思った。
夜は深くなる。淳は新しいビールに口をつけた。全ては過ぎ去って、新しい風だけが淳を撫でていた。
帰国したら、久しぶりに智浩に会いに行こうと思った。
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