第3話

 私は再びなけなしの勇気を振り絞って、蚊の鳴くような声で訊いてみる。

「……あの、すみませんが、今日の日付と、ここの場所を教えてもらえませんか?」

 私の突拍子もない質問に驚いたのか、彼は気怠そうにしていた目を少し見開いた。

「何? 生霊になってることはともかく、自分がどこにいるのかもわからないの?」

「……はい……」

 我ながら情けない話だと思うし、申し訳なさもあって、それしか答えられない。彼は「はぁー?」と言いながら軽く自分の頭を押さえて、もう一度私をしっかりと見た。

「あんた、どっから来たの。いや、手段じゃなくて、ここに来る前はどこにいたのって意味」

「神奈川……横浜に住んでいたんですけど。今の自分がどこで何をしてるのか、全然わからないんです」

「何それ。病気とか事故で入院してるとか、体調が悪くてしばらく家から出てないとか、そういうんじゃないわけ?」

「多分……」

「何で多分なの」

 私は怖くて身をすくめてしまう。やっぱり男の子は怖い。怒っているわけではなさそうだけれど、口調がキツいので、つい私は萎縮して目を瞑ってしまう。いちいちビクビクしてしまうのは、身に染み付いた反射のようなものだった。

「あまり記憶が……確かじゃないと言うか、自信が持てなくて……」

 目を瞑ったままでそう答えると、思いがけず優しい声が返ってきた。

「どこまで覚えてんの」

「え?」

 ちゃんと私の話を聞いてくれているところを見ると、一応親切な人なのかも知れない。

 住宅街の電柱の脇にいる私たちの横を、何人かの人が何度も通り過ぎていく。もちろん私の姿などは見えていないようで、彼が一人で電柱相手に怒っているようにでも感じるのか、不気味そうに見てすぐに目を逸らし、足早に去っていく。けれど彼自身は、そんなことは何も気にしている様子はなかった。

「えっと……私が今覚えているのは、自分の部屋で友達と電話をしていたところまでです。普通にじゃあまたねって電話を切ったのは覚えてるんですけど……その先がわからなくて。気が付いたらこの辺りにいて、少しウロウロしてみたんですけど、どうも誰にも私が見えていないみたいだって気付いて、いろいろやってみたら何にも触(さわ)れもしなくて」

 説明しながら、自分でも再認識させられる事実に、また恐怖心が募っていく。

「あんた、名前は?」

「あ、佐倉美咲(さくら・みさき)です」

「そ。こっちから訊いたんだし、一応俺も名乗っとく。浅倉重音(あさくら・かさね)、一応大学生。間もなくハタチ」

「私も、今は十九ですけどもうすぐ。でも大学生じゃなくて、高卒で就職してるから、アパートで一人暮らししてました」

「ふぅん。びっくりした。最初に『あ』とか言うから、名字が同じかと思った。実家、遠いの?」

 そう訊かれて、私の心は少し曇る。実家、か。前に住んでいた家、母と住んでいた家。私にとってはそれだけの意味しかない場所だけれど。

「……東京です。職場までは実家からも通えたんですけど、早く家を出たくて。就職を選んだのもそんな理由……あ、ごめんなさい」

「別に。まぁプライベートなことは別にいいよ。関係ないし。ここは千葉。東京くらいまでならすぐ行けるだろうし、まだ電車やってるから、タダ乗りで帰れると思うけど?」

 確かに、誰にも視えないし触(さわ)れないから、切符が買えない代わりにそれを咎められることもないとは思う。満員電車だとしても苦にならないだろうし、可能と言えば全然可能ではあるのだけれど。

「あと、今日は十一月四日。昨日は祝日で今日は土曜日だし、普通の会社なら休みだろうからまだよかったんじゃない? ちなみにあんたは、今日がいつ頃のつもりでいんの?」

「……」

 日付を聞いただけで呆然としてしまって、後はあまり理解できなかった。何も答えられない。

 私の様子がおかしいのを察したのか、彼は「まさか」と言って少し困ったような顔になる。

「もしかして、結構時間経ってるとか?」

 気遣うような声音(こわね)。多分それくらい、私の動揺が目に見えていたのだろう。何とかその理由を彼に知らせようと口を開く。生理現象はないはずなのに、何故か喉が乾いて張り付いたような感覚になる。

「……私の中では、十一月六日なんです……」

「はぁ?」

 生霊とは、過去に戻ったりするものなのだろうか? もしそうでないなら、一年経っているということになる。いや、日付しか聞いていないから、もしかしたら数年経っている可能性だってあるのだ。

 その怖いだけで救いのない現実から目を逸らしたくて、私は無意味に「あはは……」と声だけで笑った。全然うまくいかないけれど。

「いや、笑い事じゃないだろ。今が西暦何年なのかとか、聞く気ある?」

 ズバリと告げずに、ちゃんと前置きをして意志確認をしてくれるだけ、もしかしたら彼は本当に親切なのかも知れない。生霊には結構遭遇し慣れているような言い方をしていたし、それなりに配慮もあるのだろうか。

「……正直、聞きたくないです。でも、知らないと……ですよね……」

 自分に言い聞かせるように、何とかそう答える。そう、知っても知らなくても、結局は何も変わらないのなら、進展する可能性のある方を選ぶ方がいい。知らない怖さと、知る怖さは、今でも同じくらいあるけれど。

「じゃあはっきり言うけど、ホントにいい?」

「はい」

 再度気遣ってくれる彼に感謝しながら、私はきちんと相手の目を見て答えた。もし後悔しても、それは私が望んだことだ。自分で責任を持てばいい。彼は悪くない。

「二〇二三年」

「!?」

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