第4話
さすがに、その数字はちょっと絶望的だった。私の中では、二〇一九年なのだ。まだ、東京オリンピックも見ていない。なのに、もう四年も経っているなんて。
それなら次のオリンピックはどこだっけ……などと、現実逃避的なことを考えてしまう。もともとオリンピックを見に行こうなんていう気持ちすらなかったのに。
「見た目、四つも上に見えないから、多分そのまま止まってるんだろうな。さすがにそんな生霊には初めて会ったけど」
私の動揺を抑えるためか、あくまで彼は冷静にそう言う。それでも私は途方に暮れるしかない。
生霊だと言うのが間違いなければ、私の肉体は一応、どこかで生きてはいるのだろう。
アパートの家賃の支払いが遅れて滞納し過ぎて、催促しに来た管理人さんに発見されて救急搬送されたか、仕事の無断欠勤が続いて連絡も付かないのを不審に思った職場の上司が、実家か警察に連絡をしたとかも考えられる。むしろ、そうであって欲しい。
友達の結婚式、終わっちゃったな……なんて、呼ばれてもいないくせにそんなことを思い出す。お祝いくらいは送るつもりだったのだけれど。
もしも事件や事故に巻き込まれたのだとしたら、新聞などで調べられるのかも知れないけれど、私は新聞にもパソコンにも触(さわ)れない。だから確認する術がない。
「どうしよう……」
胸の前で両手を組みながら、私は祈るように呟く。
「少なくともあんたの身体は、今のところは死んでないとは思うから、まだ安心してもいいんじゃないの? まぁ、俺も自分の感覚でそう思ってるだけだから、何の保証もできないけどさ。それとも、生きてる方がまずいとか?」
プライベートは関係ないと言いながら、結構切り込んでくるなぁと思ったけれど、今の私にはもう、本当の意味で彼しか頼れる相手がいない。あれから四年も経って、母が生きているとは思えないからだ。
母子家庭だった上に、肉体的にも精神的にも致命的な病を抱えていた母。どちらが原因にしても、四年経った今でも生き延びているとは考えにくい。考えたくもない。
しかしそうなると、万一病院に入院していたところで、その費用を支払う者がいなくなった場合、私はどこに送られるのだろうか? 私は今どこにいて、どのような状態になっているのだろう?
まったく想像が付かないし、これ以上何も考えたくなかった。不幸はどこまで私を追いかけてくるつもりなのだろう。
私は、母子家庭に育った。父親だった人のことはほんの少しだけ覚えているような気がするけれど、両親はいつもケンカばかりしていたので、なるべく見ないようにしていたせいか、私がおかしくなってしまっているのか、もう顔も声もろくに思い出せない。
最終的には離婚が成立したようで、狭いアパートの借家に住んでいた母と私を置いて、父が出て行った。それっきり、どこで何をしているのかも知らない。探したことも、探そうと考えたこともないから。
後になってから、父親がいたなら、と思ったことは何度もあったけれど、それは淋しいとか羨ましいとか、そういうことではない。
とにかく大変だったのだ。
残された母は、もともと身体が弱かったけれど、父がいなくなってからすぐに体調を崩して入院した。私は中学生ながら、一人暮らしのような状態で過ごすことになった。何もできないわけではなかったけれど、何でもできるわけでもない。
両親は駆け落ちで結婚したらしく、二人とも実家とは縁が切れているようで、私は祖父母や親戚などには一切会ったことがない。父がいなくなったその時にはもう、母にも私にも、頼れる相手などどこにもいなかった。
ただ、高齢のアパートの大家さんがとてもいい人で、私の両親のケンカの声のせいで他の部屋の住人からの苦情もあったらしく、むしろその間に立たされている私のことを気遣ってくれるような優しい老夫婦だった。おかげで、母が入院した後も家賃を滞納していたのに、私だけをそこに住まわせ続けてくれて、時々夕飯を食べさせてもらうこともできた。
ただ、母が病院で問題を起こしてからは、さすがに私も距離を置かれるようになってしまったし、それに気付けるようにもなってしまった。
古いアパートだったおかげで、家賃が滞納していても、誰も住人がいないよりは社会的にマシらしく、出て行けとまでは言われずに済んでいたけれど、夕飯に招待されることも、持ってきてくれることもなくなり、むしろ高校生になっていた私の方が気を遣って、時々家賃滞納の謝罪を兼ねて、アルバイト代とともに菓子折りを持って行った。
古い物件で、住む人がいなくなれば取り壊されそうだったことが幸いして、滞納していた家賃も途方に暮れるような金額にはならず、私がアルバイトを頑張れば何とか滞納分を返して住み続けていくことができた。
理由はいくつも挙げられるけれど、何をどう考えても大学に進学する理由はなく、むしろ就職することしか考えられなかったので、何とか仕事先を探した。一旦戻ってきた母が入院していた費用もまだ病院でツケのようになっているし、けれどその母は自身が働ける状態ではない。
本来なら私がそれでも母の面倒を見るべきなのだろうけれど、私だってもう限界だった。改めて考えると、まったく理由になっていない理由で幼少期からイジメられ続け、両親の不仲や貧乏、周囲から向けられる好奇や憐れみの目にも耐えて、これ以上まだ耐え続けなければならないのかと思うと、自分がまだ十代であることさえ苦しかった。平均寿命から考えるなら、私にはまだ四分の一程度しか生きていない。つまりまだ、四分の三の寿命が残っていると言える。
私に自殺する勇気などない。そもそも、そんな立派なものがあれば、もうとっくに決行している。できないからこんなにも長い間、苦しみ続けているのだ。情けない話だし、贅沢な話だけれど。誰か生きたいのに生きられない病気になって困っている人がいるのなら、私が代わってあげてもいいとすら思っていた。
だからせめて自立したい。病気の母を見捨てた薄情者と罵られても構わない。私は逃げたかった。ただ逃げることを考えるのに必死だった。そのための口実ばかりを探していた。
遠くに就職すれば、引っ越ししなければならなくなるのは仕方がないと思ってもらえるかも知れない。しかし、自宅が辺鄙で不便な場所にあるというだけで、一応は首都に住んでいる以上、わざわざ遠くの地方都市に就職先を求める理由がなく、面接で志望動機を訊かれても答えられそうにない。もちろん、正直に話して採用されるはずもない。
仕方なく私は、可能な限り遠い場所で、業種など問わずにとにかく正社員で採用してくれるところを探した。公務員試験も受けたけれど、勉強ができないせいではなく、その前後で絶望的なほどに体調を崩していたので、行って帰ってきただけと言うに等しい。当然ながら不合格だった。自力で帰宅できた方が喜ばしいくらいの体調だったのだ。
今時高卒で、女で、ひとり親で、更にはその親にも問題がある。就職できる可能性はとても低い気もしたけれど、ただその時は本当に、人生で一番というくらいに必死だった。
これまで耐えてきたことがそこで報われたのか、私は何とか隣県で職を得ることができた。通勤時間が掛かることと、支給される交通費に上限があるということを理由にして、追い縋(すが)りもしない母を置いてアパートを出た。
そこからはようやく、少しはマシな生活が送れるようになる──はずだった、のに。
……あれ?
わからない。奇妙なズレを感じる。それから私は、どうしたのだろう?
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