第5話
「なぁ、あんたさっき、友達と電話してたって言ってただろ?」
突然話し掛けられて、何だか一瞬過去に戻っていた気分になっていた私は、驚いて顔を上げた。さっきの姿勢のまま、彼が私を見ている。とても背が高いし、私はとても低い。多少宙に浮いていることなんて、全然関係ないくらいに。
「え、あ、はい」
「その友達と、どんな話してた?」
私は少し考える。
そうだ、結婚する友達の話だったっけ。本当に嫌な感じの電話だった。まるで私がいまだに未婚で、恋人すらいないということを揶揄するように、ついでのように自分の夫や子供の愚痴を話していた。全然、嫌だなんて思ってもいないくせに。
私は少しイラッとしたのを思い出しながら、それをかいつまんで──と言うより、むしろ事細かなくらいに説明した。何を言われて、私がどう感じたか、なんて彼にはどうでもいいのだろうけれど、私は遠慮なくここぞとばかりにまくしたてた。
興奮気味に話した後、彼は不思議そうな顔で確認するように訊いてきたので、私はようやく冷静になれた。
「友達の結婚式? 高校時代の? それってあんた的にはまだ一〜二年前まで一緒の学校だった奴なわけだろ? ってか、十九歳で結婚とか出産とか早いな。まぁ違法でもないし、別にいいけど。けどその電話してきた方の友達っていうの、当然同い年なんだろ? それで子供の年齢を考えると、そこはさすがにどうなんだろうって、個人的には思うんだけど」
あれ? と私は思った。ものすごく今更だけれど、よく考えれば本当だ。子供の年齢までははっきりとは覚えていないけれど、お祝いを送ったのは数年前だから、幼稚園児くらいにはなっているのかも知れない。でもそれは、年齢的にどう考えてもおかしい。
いや、そもそもだ。もっとおかしいことが、他にある。
高校時代どころか、幼少期から途切れることなく、いつでもどこでも誰にでも、私はイジメに遭っていた。高校のクラスでは、小学生でもあるまいに、ノートや教科書、机にまで「死ね」とか油性マジックで書かれたこともあった。体操服を破られていたこともある。
それでも先生や親には言えなくて、自分で買いに行っていた。
──どこへ?
そして、そんなイジメの記憶しかない高校時代を過ごしていた私に、結婚を知らせてくれるような友達がいるはずがない。
「もしかしてなんだけどさ」
考え込んで無言になった私に、彼がやや遠慮がちに言った。
「記憶喪失みたいになってない?」
「え?」
「いや、俺もさすがに記憶喪失の生霊に会ったことなんかないし、生きてる人間でも会ったことはないけど。でもあんた、言ってることがいろいろ噛み合ってないぞ。自覚ある?」
「……少し」
「なら、まだマシか。喪失、ってわけでもなさそうだしな。口から出任せにも聞こえないし。でもちょっとやっぱり、おかしいよな」
あまり深く突っ込まれると、最初からあまり持っていなかった私の自信など、呆気なくどんどんと失われていく。
「……私、十九歳に見えますか?」
「少なくとも俺より年上には見えないけど。むしろ下に見えるくらい」
それなら、まだマシだ。それは多分私だから。よく童顔と言われた。まぁ、十九歳なんてまだ未成年だし、熟女っぽいのもどうかと思うけれど。
死者や霊みたいなものが鏡に映らないというのは本当らしく、さっきコンビニのトイレに侵入して自分の姿を見ようとしたけれど、鏡では自分の姿を確認できなかった。それならきっと、写真にも写らないのだろう。
自分の身体を触ることはできるので、手足の感触や、髪などは確認できる。切らなきゃ、とは思ったけれど、自分の顔を見ることはできなかった。映るものがない限り、誰も自分で自分の顔は見れない。
そのせいで、もっと自分に自信がなくなってきた。この記憶はどこまで信じられるものなんだろう? 横浜で一人暮らししていたことや、電話していた相手の名前は覚えている。会社の場所もわかるし、実家にも帰れる。今いる場所は未踏の地なので、ここからと言われると不安はあるけれど、電車が繋がっている限り、何度間違えても家には帰れるはずだ。
私が十九歳なのも本当だと思う。彼もそう言っているし、いくら童顔に見えても、この微妙な年齢の女性で四歳の差はなかなか誤魔化せなさそうだし。
けれど、どうして私の友達は結婚するのだろう。いや、結婚するのはまだいいけれど、出産もして子育ての苦労や旦那の愚痴を言ってくる友達の存在は、どう考えてもおかしい。でもそれは確かに高校時代のクラスメイトだったし、社会人になってから知り合った年上の相手などでもないのは確かなはず。
何だろう。記憶がおかしい。動転している?
「私が、おかしいのかな……?」
「どの辺りが?」
「何だかちょっと、記憶が混乱してるみたい」
「でもあんたの友達は結婚してて、子供までいて、あんたが未婚で彼氏もいないのを嘲笑ってたみたいな感じがしてムカつく、って言ってたよな? 確かに変だけど、俺はどっちかって言うと、十九歳で既にそこそこの年齢の子供がいる方がちょっと大丈夫かなって思うけど」
言われてみればそうだ。
私は電話の相手の友達──さつきの声を思い出す。
高校時代からリーダー格で、派手めな子だった。結婚は確かにグループの中でも一番早かったけれど、確か二十二歳だった。しかもデキ婚で──って、あれ?
「私、やっぱりおかしいみたいです……」
「まだ何かあんの?」
「私が……もう一人いる、みたいな気がする」
「は? 何、二重人格とか、そういうやつ?」
「そこまではわからないですけど。でも、記憶が、何と言うか、二つあるような感じで」
「ごめん、さすがにちょっと、その感覚はわからない」
それはそうだろう。むしろここで「うん、わかる」と言われる方が困るし、それは逆に私が信じられない。
すると彼は、ぐしゃぐしゃと自分の髪を掻きむしって諦めたように息を吐いた。
「あーもう、いいよ。思い出せてる範囲なら、話聞くけど?」
「え? いいんですか?」
「だってもう俺、片足突っ込んじゃってるし。生霊に」
何だか私が一緒に棺桶に引っ張り込もうとしているような言い方だけれど、乗りかかった船、みたいな気分なのだろうか? 話し方はぶっきらぼうで少しまだ怖いけれど、悪い人ではないと思った。
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