第6話

 私が男の子が苦手なのは、父の不在とイジメのせいで、ほとんど関わったことがないからだ。当然ながら、いい人や優しい人がいることは、頭では理解している。ただ、どうしても身体が反射的に萎縮するだけで。

 それでも話を聞いてくれるというのなら、もちろん聞いて欲しい。ひとりぼっちは、もう嫌だ。怖くて、淋しい。酷い暴言が返ってくるとしたら、それはそれで怖いけれど、私は無視されるということが想像以上に恐ろしいということも、十分に知っていた。

 だから私は、縋るような気持ちで口を開いた。

「……私が電話で話していた友達は、二十二歳で結婚しているのを思い出したんです。おかしいですよね。私、十九歳なのに。でも、その子が高校時代のクラスメイトなのは間違いなくて。卒業アルバムでもあればわかるんだけど……どこにあるんだろう」

「何かいろいろややこしそうだけど、実家が東京なら、高校も東京?」

「そう……かな? あれ? わからない。あれ?」

 おかしい。どうしたんだろう私。咄嗟に、自分が通っていた高校の名前が出てこない。いやしかし、問題はそれ以前だ。私にはそもそも高校時代だけでなく、今までに友達がいたことなんて一度もないのだ。ならばこれは、一体誰の記憶なんだろう?

「私、誰なんだろう?」

「おいおい、さっき名前言ってたじゃん。もう忘れたとか?」

「いえ、佐倉美咲です。その、つもりなんですけど。十九歳で、高卒で就職した社会人二年目。印刷会社の事務員。そのはず、なんです」

「けど、二十二歳で結婚した子持ちのクラスメイトがいる、って?」

「……」

 自信はないけれど、さすがに頷くしかできない。自分でも変なのはわかっているからだ。

「記憶喪失ごっこ、なんてそんな悪趣味なことは、あんたはしなさそうだしな。言ってることは正しいんだろう。それに、動揺してるのもわかるけど。さすがに俺もそんな生霊に会ったことがない。ここがどこだかわからないってだけならもう言ったし、自分の家までの帰り方がわからないなら電車の乗り方も教えられるけど。さすがに俺はあんたに会ったこともないし、見ず知らずの他人だから、名前や出身までは知らないよ。さっき教えてくれたのが正しいか間違ってるのかも、俺には確かめようがない。悪いけど」

 ぶっきらぼうではあるけれど、誠意を感じるまっすぐな言葉で彼はそう言った。無責任に「俺がどうにかしてやる」と言われるよりも、その方が安心するのが不思議だった。

 本気で困ったような顔で自分の頭を掻き、何やら思案顔で腕組みをする。このまま私を放って立ち去っても構わないはずなのに、それでもそうしないのだから、やっぱりいい人なんだと思う。そして、とても自分に正直なのだろう。羨ましいな、と思った。

「俺はさ、生霊が視えて触(さわ)れるってだけで、特にそれをどうしてやれるわけじゃない。解決できるような特殊能力もないし、もとの身体に戻してやるとか、記憶を呼び起こしてやるとか、そんなのも絶対無理だし。これまではたまたまみんな自分の身体の在(あ)り処(か)を知ってたり、どうやら車にはねられたようだとかいう記憶がはっきりとあったから、俺が『あんたはまだ死んでないみたいだから早く身体に戻ればいいんじゃないか』って言うだけで、勝手に解決してただけだ。もしかしたら俺が知らないだけで、その後に本当に死んでしまった人もいないとは言えない。何も確認のしようもないからな。ただ単純に、視えて触(さわ)れる、それだけなんだよ、俺は」

 どこかもどかしそうに彼は言った。わからないでもない気がする。知ってはいるけれど、自分ではどうしようもないことなんて、世の中にはたくさんあるのだ。私だってまだ十九年しか生きていないけれど、それでもそれなりに思うところはある。その上、私だってこんな状態にならなければとても信じられなかったかも知れないような体質が、気付いた時には自分の意志など関係なしに身に付いていたのだとすると、きっと苦しんだりすることもあったのだろう。彼はとてもいい人のようだから、他人の痛みまで感じてしまうのかも知れない。

「俺は変身ヒーローじゃない。そんなものになりたいと思ったこともないし、万一そんなすごい能力があったとしても、俺なら必死で隠し通して誰も救わない道を選ぶ。面倒事に巻き込まれたくないからな。そんな正義感もボランティア精神もないんだよ。そんなもんに憧れていられるのは、小さい子供が観るテレビの中だけで、大人になってもそうならオタクとか呼ばれて揶揄されたり、中二病とかいう概念で実在する病気のように語られたり、もしくは可哀想なことに本当に精神を病んでる奴くらいだとしか、俺には思えない。冷たい人間だということは自分でも自覚してるけど、だから俺にはあんたを救ってやれる術なんてないんだよ、悪いけど」

 本当に申し訳なさそうな表情だったので、突き放すような言葉なのに、どこか彼の悔しさが滲んでいるように感じた。私さえしっかりしていれば、こんなに困らせてしまうことはなかったのに……そう思うといたたまれない。

「いえ、いいんです。私を視えるという人に会えただけで十分救われましたし、私が生きてるかも知れないっていう希望も持てました。何とか頑張って自分の身体を探してみます」

 私はできる限り明るく振る舞って、周囲の人からの偏見に満ちた目にも動じないで相手をしてくれた彼に、心底お礼を言った。これ以上他人を巻き込んでしまうのは胸が痛む。私なんかのために、他の人が困るのは嫌だった。せっかく好意的に相手をしてくれた人を、不快にさせたくはない。嫌われる前に立ち去る方が、お互いのためだと私は思った。それはただ、自分が傷付きたくないという、わがままに過ぎないのだけれど。

「……あのさ」

「はい?」

「一応同い年みたいだし、敬語、やめない? ちょっとそういうの慣れないし、あんまり好きじゃない」

「あ、ごめんなさい。ああ、えっと……ごめんね?」

 慣れない私が言い直すと、初めて見る笑顔で彼はぷっと吹き出した。笑うと案外幼く見えて、ちょっと可愛い感じがする。大人っぽいのに、初めて同い年っぽさを感じた。

「何その不慣れな感じ。あんた誰にでも敬語なわけ?」

「そう、かも。っていうか、私友達いないから。会社では当然敬語だし、いつの間にか染み付いてるのかなぁ」

「ふーん。友達いないのに、結婚の連絡は来るんだ?」

「──ご祝儀目当てじゃないの?」

 ふと口を突いて出た言葉に、私よりも先に彼が反応する。

「──また、だな」

「え?」

 少し砕けた雰囲気になっていたのに、急にすっと冷たい目になって、彼は私に言った。

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