第9話

「スリッパなんてないけど、まぁ履けないだろうからいいよな」

 ハイツのような建物の二階が、重音くんの住んでいる場所らしかった。外観は新しそうで、小洒落た感じがする。未来的なデザインだなぁと思うのは、私の知っている時から四年も経過しているせいだろうか。まさかそう簡単に居住環境が変わることもないだろうから、ただここの雰囲気がいいだけなのかも知れないけれど。

「……お邪魔します……」

 一応自分には触(さわ)れるので、履いていたスニーカーを脱いでおく。いくら少し宙に浮いているとは言え、そして何にも触(さわ)れないとしても、土足で他人の家に上がるのは失礼だし、感覚的にもそれは自分が受け入れられない。

 通されたリビングは簡素で、ほとんどものがなかった。低いテーブルにタブレットが置いてあって、テーブルより一回り程度大きいだけのラグが敷かれている。座布団などはないから、普段はそのまま座っているのだろう。

 壁側にある小さなラックには文庫本とCDがあるだけで、きちんと揃えられていた。遮光カーテンも濃い色で、全体的にモノトーン。

 自炊はするようで、最低限の調理器具や食器類はあるようだけれど、まるで無機質で殺風景な部屋だった。

 男の子だけに限らず、私は他人の部屋になど入れてもらったことがないので、この部屋が男の子らしいとからしくないとか、そういう感想は持てない。ただ、何となく淋しい感じがした。他人を拒絶するような部屋のように思えたからだろうか。

「好きなとこ座ってていいよ。椅子とかないし、まぁあっても関係ないだろうけど」

 確かにその通りなので、一応テーブルの置いてある辺りに行って座る。ただ、自分では座った姿勢でいるつもりだけれど、やっぱりどうやら少し浮いているようだ。これ以上浮き上がって空から見下ろすこともなければ、ずぶずぶと沈んでいって階下の人の部屋に侵入してしまうこともないけれど、その理由はわからない。コンビニのトイレに侵入した時は、自分の意志でドアを開けようとしたらすり抜けてしまっただけなので、その気になれば階下にも行けるのかも知れないけれど。

「お茶でも出せたらいいんだけど、触(さわ)れないなら仕方ないし、俺だけコーヒー入れるけどごめんな」

「いえ、気にしないで」

 自分でも全然気に留めていなかったのに、重音くんは私をとても気遣ってくれる。やっぱり優しい人なんだと思う。生霊を自宅に招くなんて、普通の人ならまずしないだろう。まぁ、そもそも生霊になる方も変わってるし、それが視えるだけでも十分普通ではないのだけれど。お互いに普通でないなら、その方が遠慮がなくていい。

 コーヒーを片手にテーブルに来た重音くんは、私と向き合うように座る。そこが彼の定位置なのか、もしくは私の座っている場所を考慮したのかはわからない。もし重音くんがいつも座っているのが、今私が我が物顔でいるところなら申し訳ないと思ったけれど、それは言わないことにした。

 どこか、私の中で私を止めているものがある気がする。それが他の人格というものなのかは定かではないのだけれど。

「先に言っておくけど」

 一口コーヒーを飲んでから、重音くんは言った。私はただ、匂いすらわからないんだなぁ、と改めて感じていただけだった。

「あんたが今生霊なら、身体の方が何かの理由で意識が戻ることになった時に、多分自分の意志とは関係なくそっちに引き戻される可能性があると思う。あくまで俺が立てた仮説だけど、あんたが戻らないと身体が意識不明のままなのか、身体に医療行為か何かで刺激を与えることで、意識を引き戻せるのかは、はっきりしないから」

 それは暗に、〈お別れ〉が突然やってくるのだと言っているのだと、何故だか私にはわかった。もともと私はそんなに察しのいい方ではないし、そのせいでどこへ行っても馴染めないのが悩みだったのに。重音くんの話し方が上手だからだろうか。

「わかった。じゃあ先にお礼を言っておきたいな。私を見つけてくれてありがとう。いろいろ教えてくれてありがとう。関わってくれてありがとう」

 言って私は、深々と頭を下げた。

「ちょ、何それ、社会人ってそんな大袈裟なマナーあんの?」

 大学生だと言う重音くんは、私の重過ぎるお礼の仕方に驚いたらしく、本当にぎょっとしたようだった。

「ううん、そういうわけじゃないんだけど。ただ、何も言えないで急に消えちゃったりしたら、絶対後悔しそうだから」

「まぁ、いいけど。成り行きみたいなもんだし、別に害があるわけでもないから、気にしなくていい。そもそも俺が間抜けなせいで、あんたが視えるのがバレただけで、それがなかったら関わってないだろうし。お礼言いたいなら偶然の神様にでも言っといて」

 横を向きながらぶっきらぼうに言う重音くんの声は、けれどどこか温かかった。

「一人暮らしなんだね」

 あまり重音くんを困らせるのも本意ではないので、私は話題を変えて周囲を見渡した。特に目に入るものもないけれど、一人で住むには広過ぎる気がしたのは、あまりにもものがないせいだろうか。

「まぁな。その方が楽だし」

「すごく片付いてるね。偉いなぁ」

 私はあまり片付けは上手ではないし、そもそも片付けられる環境でもなかったので、整理整頓の行き届いている清潔な部屋は、淋しくは感じるけれど、不思議と居心地はいい。でも、やっぱりここにひとりぼっちは嫌かな、とは思う。重音くんと一緒にいるからいいのだ。

「ものがないからそう見えるだけじゃない? この部屋広過ぎるし。場所柄のせいであんまり人気ないから、家賃が安くて助かってるけど。理由なんかそれだけだよ」

 あまり物事にこだわらないのか、さらりと何でもないことのように言う。駅からもそう遠くはなさそうだし、コンビニも近い住宅街なのに、人気のない場所なのかぁ、と私は単純に驚く。見知らぬ場所だから相場はわからないけれど、近くにある駅にも各駅停車しか停まらないとか、そんな不便さがあったりするのかも知れない。

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