第10話

「明日は大学とか授業ないの? 土曜日でも行ってる人もいるよね?」

 受験すらしなかったので、大学のシステムなどまったくわからない私は、自分のせいで重音くんが休むことになったりするのは申し訳ないと思って訊いた。けれど、返ってきたのは思いがけない言葉だった。

「ああ、一応大学生ではあるけど、最近は行ってないから。今日もバイト帰りだし。明日は休み。本当は出る日だったんだけど、他の人にシフト変わって欲しいって言われたから、仕方ないし変わったんだよな」

「そうなんだ。どんなバイトしてるの?」

 大学を休むのにはそれなりに理由があると思ったので、私は深く突っ込まないことを選んだ。せっかくよくしてくれている人を、不快にさせたくはない。

「今は引っ越しと工場のラインの仕事。定期じゃなくて、単発で入ってるから、結構不安定だし他人に左右されやすいかな。でも、接客業は大抵落とされるから、モノが相手の方が楽でいい」

 確かに見た目はちょっと怖そうだなと思ったけれど、それはただ私が男の人に慣れていないせいかと思っていた。重音くんは自分でもよく怯えられると言っていたけれど、本当はこんなにいい人なのにな、と大勢の人に言って回りたいくらいだ。人を見た目で判断するのはよくない。自分のことを棚に上げて、そんなふうに思ったりする。

「……あんたはいずれ、俺の前から消えるだろうしな」

 脈絡なく言われた言葉に驚いて、私は重音くんを見た。どこか哀しそうに見えて、私は言葉を返せない。言われたことは淋しいけれど、確かにそうかも知れないし、そうでなければ私も困るのだけれど……どこか、苦しくて胸が痛む。

 せっかく仲良くなれそうな人と出会えたのにな、と思いながらも、けれど私は所詮生霊で、現実をすべて受け入れるとしたら、もとに戻っても私は重音くんより四歳も上ということになる。友達になれるはずもないし、そもそも重音くんだって私をそんなふうに見てもいないだろう。

「ちょっと、古井戸に叫んで蓋をするみたいな愚痴、言ってもいいか?」

 重音くんの目が、冗談ではないとはっきりと告げていて、私は頷くしかできない。私にこんなによくしてくれた人の役に立てるのなら、いずれ消える私でよければ何でも聞こうと思った。それでわずかでもお礼代わりにできるなら。

「俺のこの変な体質をさ、最初に言った相手が母親だったんだ。まぁ、ちゃんと相手を選べなかった俺も悪いんだけど、子供にとっては何かあった時、最初に相談するのって親しかいないじゃん」

 曖昧に頷くしかできないのは、私はそうではなかったせいだ。けれど、世間一般ではきっとそうなのだとは思う。普通の家庭に生まれ育っていれば、私も激しく同意できていたはずだ。

「子供の俺は、それが誰にでも視えてると思ってたから、母親に『あの人誰?』って訊いたりしたわけ。けど当然母親には何も視えてないんだから、何を言ってるの、とか言われた。それを何回かやってたら、母親がどうも俺がおかしいって気付いたんだろうな。普通は視えないようなものが視えてるってなると、大抵はそれが幽霊だとか思うだろ。けど俺の母親はまず、俺の話をきちんと聞くとかじゃなくて、突然精神病院に連れて行った。『この子おかしいんです。見えないものが見えるなんて言って、幻覚症状があるみたいで』って、勝手に俺の症状を病気にしようとした。親があまりにも真剣に言うせいか、医者もそういうことにした方が楽なのか知らないけど、俺には幻覚が見えたり幻聴が聞こえたりする〈統合失調症〉っていう診断が出た。後でわかったけど、これって障害者年金がもらえるらしいんだよ。要するに、母親はそれを知ってて俺を利用したってこと」

「そんな……」

 自分が救われたその能力を、実の親が病気だと断定して、更にはそれをお金にする。子供は困って親に頼ったのに、それを否定してまで……。

「ただ、母親は無知だった。障害者と認定されれば、すぐさま金が入ると思ってたみたいだけど、何か決まりがやっぱりちゃんとあって、二十歳にならないと年金はもらえないって知った。でも、俺は既に精神障害者っていう診断書を得てしまっていて、母親はいわゆる〈精神病の子供を持つ母親〉っていう憐れな立場になってしまった。俺を利用して金にしようとしてたのに、むしろ自分を不利にしたってわけ。まぁ、自業自得だけどな。それがわかったらもう、俺には用はないみたいで、さんざん『気持ち悪い』とか『不気味な子』とか言われたよ。だからこの体質は誰にも話したらダメだったんだって理解した。その後はだから、俺の体質を知ってるのは本当に生霊だった人だけだし、当然見ず知らずの相手だから、数人がお礼に来たっていうのを除けば、まったく無関係でいられたし、知られたりもしなかった。平穏無事な生活ができてた」

 世の中には酷い親はたくさんいる。虐待して死なせてしまう親もいれば、食事も与えずに何日も家に放置して出掛けてしまったりもする。いらない子なら最初から産まなければいいのにと私は思うけれど、利用するために産む親もいるのは確かだ。例えば自分が年をとった時に介護してもらえるようにとか、年金だけでは食べていけなくなった場合に養ってもらえるようにとか。

 けれどそれはただの親の身勝手だし、子供は親を選べない。親は子供を育てる義務があると言われているけれど、それがきちんとできているのかを管理できるシステムが隅々まで行き届いている社会でもない。

 だから、不幸な子供がたくさん出てきてしまう。産まれた時くらいは一瞬でも、祝福されたと思いたいけれど、当然好きで産んだわけじゃないという親だっている。中絶に間に合わなかったから仕方なく産んだとか。それこそ例を挙げればキリがないほどに。

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