第11話

「俺も自分のこの変な体質について、本格的に調べようと思ったことがないわけじゃない。別に病院に行かなくても、霊能者みたいなのに頼らなくても、ネットで検索すればもしかしたら同類っぽいのが見つかるかも知れないし。それを克服できたっていう人の詳細に当たる可能性も、ないわけじゃない。でも、実際に本当に調べたことは一度もない。今はただの経験則で済んでるけど、もし本当に専門的な知識を学んでしまったりして、それで万一この現象が医学的だとか科学的に証明されているとしたら、俺はもう事実としてまともじゃないってことになってしまう。オカルト好きとか、未確認生物マニアとか、重度に依存的な宗教信者なんかは好きじゃないけど、本人がいいなら俺は別にそれを否定する気まではない。俺に害がないなら。けど、自分自身がそうなるのは嫌だろ。今の状況だって、根拠がないから俺は自分の感覚だけを信じて普通っぽく保っていられるだけ。他人事として、あんたみたいな生霊に助言らしく、無責任な気休めを言ってやれるけど、真実を知ってしまったら、そうもいかないと思う。もちろん、絶対に俺がおかしいっていう証拠もないし、調べてないからわからないんだけどさ。大丈夫っていう可能性も、ないわけじゃないと思うけど。俺はそんなに強い人間じゃないから、自分の意志で〈知らないでいる〉ってことを選んだんだ」

「……」

 掛ける言葉が思いつかない。むしろ、何を言ってもどうなるわけでもないし、間違えれば重音くんをもっと傷付けることになるかも知れない。相槌を返すこともできず、私は黙って見つめるしかできなかった。生きていても身体がなくても、やっぱり私はどこでも誰にでも無力だ。

「……別に、あんたが泣くことないだろ」

 そう言われて初めて、私は自分が涙を流していることに気付いた。確かに頬が濡れている。私は慌てて服の袖を引っ張って拭った。

「あはは、びっくりしちゃった。お腹も空かないし、トイレに行きたくもならないから、生理現象は全部なくなったんだと思ってたんだけど。涙は、ちゃんと出るんだね……」

 なるべく軽く聞こえるように頑張ってみたけれど、全然役に立たなかった。むしろ自分でそれを認めてしまったせいで、ますます涙が溢れ出す。

「ご、ごめんね。私も、いろいろ思い出しちゃって。重音くんのせいじゃないの」

 何とか取り繕おうとそう言ってみる。

「別に。あんたを泣かせるのも、想定内だし」

「えっ?」

 意味を理解しかねて、私は疑問を返す。

「別に女を泣かせる趣味があるわけじゃない。ただ、あんたって涙もろそうだし、他人事をまるで自分のことみたいに受け取るタイプみたいだったから。それで、何を『いろいろ思い出した』わけ?」

 そうか、と思った。重音くんは、私の記憶が戻るきっかけを探そうとしてくれていたのだ。もちろん、今話してくれたことは嘘ではないのだろうけれど、どこか家庭に対する不和のような共通点を見出されていたのかも知れない。

「……私が話してもいいの?」

「俺の話は終わった。次はあんたのターン」

 ぶすっとそっぽを向きながら言う重音くんを、また少し可愛いなと感じてしまう。男の子に可愛いなんて言ったら怒られそうだし、とても喜ばれるとは思えないけれど。それよりむしろ、私が長く苦手としている男性という他人にそんな感情を持った方が驚いた。

「あんまり面白くないよ?」

「俺の話も別に面白くなかっただろ? それより、思い出したならそこから新しい記憶が引き出される可能性もあるし、嫌じゃなかったら聞かせて欲しいけど」

 そうか。私が身体に戻れることを優先して考えてくれているんだと思うと、嬉しいのにどこか切ないのは、やっぱり淋しかったんだろうと思う。ここで気が付いて一人だったことではなく、それよりもっとずっと以前から。

「……私、ずっとイジメられてたんだ」

「ずっとってどれくらい?」

「笑っちゃうくらいにずっと。幼稚園の頃は誰も一緒に遊んでくれなかったし、まぁその頃はイジメなんていう気持ちは誰にもなかっただろうけど、私に友達や味方はいなかった。小学校に通うようになってからは、典型的なイジメがあったよ。上履きがないとか、ランドセルをカッターで切られたとか、教科書を隠されたとか、もうそんなの普通だった」

「それ、普通かよ……」

 さすがに重音くんも驚いたようで、少し目を見開いた。クールであまり表情が変わらないだけに、そうしたちょっとした変化がむしろわかりやすい。

「中学生になると、他の学年の人にも。女子だから、暴力っていうのはなかったけど、女の子って割と陰湿なんだよ。むしろ殴ってすっきりしてくれた方がよかったのになぁ。クラスでも一人で、部活は強制でどこかに入らないといけなくて、仕方なくおとなしい人が集まりそうな手芸部に入ったんだけど、活動が楽だっていう理由で結構不良みたいな人が多くて。自分から的(まと)になりに行っちゃったみたいなものかな」

 乾いた笑いで何とか泣かないようにする。重音くんはわかっているのか、何も言わないでいてくれた。こんな人が一人でもクラスにいてくれればよかったのに、なんて仕方のないことを考えたりもする。

「もちろん高校に入っても例外なくだよ。頭もよくないから、イジメなんかより受験優先でしょっていう進学校に行けもしないし、家にお金がないから私立に入るっていう逃げ道もなかった。まぁ、私立だからイジメがないなんていう保証はないし、私がこんな性格だからイジメられるんだろうから、結局はどこでも同じだったんだろうけど」

「俺が見るには、あんたは確かに貧相で気弱そうだけど、わざわざイジメの対象にしたくなるほどでもないけどな。そんな、イジメられてない時期がないほどの理由になるような、難アリな性格なのか?」

 本気で不思議そうに重音くんが言う。確かに私は単純におとなしい性格で、そのオドオドした態度がムカつく、なんて言われたこともあったけれど、それだけならイジメ甲斐はないだろうから、普通ならすぐに飽きられて、せいぜい無視される程度で済んだと思う。私にとって、無視などイジメには入らない。もちろん、それはとても辛いことには違いないけれど。

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