第12話

「うち、私が小さい頃に両親が離婚したの。だから男の人に慣れてなくて怖いっていうのもあるのかな。父が家を出て行ってしまって、その後は行方知れずだから、私は母と暮らすしかなかったの。両親は駆け落ちして一緒になったらしくて、親戚とか、全然誰も頼れる人がいなくて」

 重音くんは私の目を見て聞いてくれている。私からそれを逸らすことはできなかった。

「父がいなくなってすぐかな。母がちょっとおかしくなっちゃって。子供の頃はよくわからなかったけど、それでも確かに普通じゃないって思った。私を激しく殴ったりして、その後は泣いて謝って、冷たいお風呂に入れられて、ご飯がない日もあって。古いアパートだったから、母の罵声や叫び声なんかも周囲には全部聞こえちゃうようなところだったし、親がちょっと頭おかしいよって噂になってたみたい。それで、小さい頃は親が自分の子供を私に近付けなかったんだろうね。子供が自分で考えられるような年齢になっても、頭のおかしい親の子供は、きっと頭がおかしいに違いないっていう偏見があって」

「ガキだな」

「ふふ、そうなの。私もそうやって割り切ってた。何をされても、まるで何もわかりませんっていう顔でぽかんとしたりして。小さくて貧弱だから、運動もできないし腕相撲ですら年下の女の子にも勝てそうにないくらい。むしろ相手にしてくれなくなったら楽だなって思ったのに、何もしないとわかるとどんどんエスカレートしていった。母は何を言っても理解できないようなレベルで壊れていて、精神病院に入退院を繰り返してたこともあって、学校の先生も何もしてくれそうになかった」

「待って」

「なぁに?」

 突然疑問を挟まれて、私は少し驚いた。まぁ、一般的なイジメ体験よりは想像を越えたかも知れないけれど、私にはどこが引っ掛かったのかもわからない。

「入退院って何? そんなヤバい状態なら、普通ずっと入院とかじゃないの?」

「──そうだね。そうだったらよかったのにね。私も知らなかったんだけど、連続して入院していられる日数って上限があるらしいの。特に精神病なんて、完治っていう概念がほとんどないから、そうなると一生入院し続けなくちゃいけない。でも、うちは働ける人間がいないこともあって、入院費さえ待ってもらっている状態だったから。それに、病院からしても、治る見込みのない人の面倒を見る施設じゃないから、常時点滴が必要だとか、そういう本当に入院が必要だっていう明確な病気の人にベッドを空けないといけないんだって。だから、入退院を繰り返すっていう形がやっとなんだ」

「そうなのか……」

 重音くんは、自分が精神障害者として認定されていることもあってか、それを知ってやや怖気(おぞけ)が走ったようだった。精神病院には二度と行くまい、と思っているのかも知れない。もちろんあんなところ、まともな人は行かなくていいと思う。行きたくないと思えるだけ、きっとその人は十分まともだ。

「わかった。続けて」

「うん。そんな感じで、私が何をやっても頭がおかしいって思われたり言われたりするだけで、イジメがなくなることはなかったの。ニュースで取り上げられるほどの手酷い仕打ちを受けたわけじゃないけど、その分ずっとずっと私は誰にも相手にされなくて。それでも無視してくれた方がまだ多少は楽だったのに、まるで私が心のない人形だから、格好の八つ当たりや憂さ晴らしの的にすればいいっていうことになったみたいで。いつも誰かの怒りや恨みをぶつけられてたなぁ」

 今は呑気に思い出話のように話せるのが不思議だった。もうずっと遠い昔話のような気分だ。まだ高校を卒業してから二年しか経っていないのに。私の中では、の話だけれど。

「何度もね、自殺をしようと考えたよ。でも、考えるだけしかできなかった。綿密に考えて、遺書まで書いたこともあったけど、結局何も、ほんの少しも実行できなくて。カッターの刃を手首に当てることさえできなかったよ。情けないよね」

「情けなくない。むしろ、そんな中でもちゃんと高校を卒業して社会人になったんなら、十分立派じゃん」

 慰めではなく、本当にそう言ってくれているのがわかった。きっと、実行できなかったという点では、重音くんとの共通点があったからかも知れない。

「もしかしたら私、自殺をとうとう敢行したけど、結局まだ死にきれてなくて生霊になってるのかなぁ?」

「……その可能性もあるけどな」

 重音くんが考えるように手を顎に当てた。一口飲んだだけのコーヒーは冷めてしまっているだろうけれど、そんなことはどうでもいいようにもう一口飲んだ。

「あ、そうだ。私、自殺を考えた時に、もう一つ考えていたことがあるの」

「もう一つ? 自殺以外の方法?」

「うーん、自殺以外っていう意識はなかったんだけどね。実行する勇気もないくらいだから、この考えもただ死にたくないっていう気持ちの表れなのかも知れないんだけど。臓器移植とか、何かせめて最期は人の役に立てたらいいのになって」

「!」

 初めて見た。重音くんが、身を乗り出してまで私に興味を持ったところを。感情をあらわにしたところを。

「それ、結局どうしたんだ?」

「う、うん。ちょっとだけ調べてみた。専用のカードかネット登録ができるらしくて、いろんな型が一致すれば、人助けにはなるみたい。だけど……」

 最終的に何も実行できないのが、やっぱり私なのだった。

「役所に行ったら、たまたま意思表示カードっていうのがあったから、それをもらったの。簡単に当てはまるものに丸をつけておけば、本人の意志を最優先にしてくれるんだって。だから、もし私が事故に遭ったり、突然意識を失って死んでしまっても、財布の中とかわかりやすいところにそれを持っていて、気付いてもらえれば、使ってもらえる可能性があるってわかった。母が既に狂人扱いだったから、私の意思表示は自分でするしかないし、遺族が反対しても本人の意志の方が尊重されるってあったし」

 まっすぐな目で重音くんは私を見ている。私も懸命に思い出そうとして、よく考えた。考えたけれど、私が知っている事実は一つしかない。

「でも、私がしたのは結局それだけ。カードに印をつけて、財布に入れておいただけなの。これじゃ、何もしてないのと変わらないよね」

 私は重音くんの期待に沿えそうにないと思って、がっかりされるのも辛いので、自分でそう言ってまとめてしまった。それでも、重音くんは何かを考えるように私を見つめている。他人にそう長時間目を合わされたことがないので、私はどうすればいいのかわからない。逸らすのは失礼かも知れないし、けれどもしかすると逸らして欲しいと思っているかも知れない。二択はいつだって正反対だから、失敗すると状況の変化が大きくなることは、何度も体験して知っている。

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