第2章 王宮の日々

第1話 懇篤


 トゥプラクの人々は十六歳をもって大人と見なされる。

 大人と子どもの見分け方は耳飾りをつけているかどうかだ。


 十六の誕生日の朝、子は親に耳飾り用の穴を開けてもらう。

 そして親から贈られた耳飾りを飾り、これで“大人”になるのだ。


 大人になるということは一人前になるということで、この日を境に許されることがいくつかある。

 その中の一つが、結婚。


 今までのザフィーラにとって、結婚とは特に何の感慨も湧かないものだった。

 例え年齢的に許されるとはいっても結婚とは当人同士だけで行われるものではない。家のしがらみなども生まれるため、結局は親をはじめとした周囲の意見にも左右される。

 トゥプラクの王女として生まれたザフィーラも、父が生きていた頃は「どこか別のオアシス国家へ嫁ぐのだろう」と漠然と思っていた。


 しかしあれは父が亡くなってすぐのこと。叔父との政争に勝ち、国主を継いだナーディヤはザフィーラを抱きしめて言った。


「可愛いザフィーラ。私はお前を他の国に行かせたりしない。絶対にしないわ」


 インクの匂いがする腕の中でザフィーラは、うん、と頷く。


「じゃあ私は早く大人になるわ。大人になって、官吏試験を受けて、国のまつりごとに関わる。そうしてずっとずっと、この国でお姉様をお助けするのよ」


 ザフィーラは姉の耳で黄金の飾りが揺れるのを見つめながらそう答えた。


 このときナーディヤは十六歳。ザフィーラは十一歳。

 ナーディヤの母は既に亡く、ザフィーラの母も同様だった。幾人かいた弟妹も夭折していたので、女神の名をもらった姉妹にとって「家族」と呼べるのは互いに一人だけしかいなかった。

 ザフィーラにとって一番大事なのはナーディヤで、ナーディヤにとっても一番大事だったのはザフィーラだったと思う。


 時は流れてザフィーラは十三歳になり、砂魔物に遭った男性を助けた。

 彼に「アシル」という名を与えたのはザフィーラだ。


「アシルは星の神よ。旅や導きも司っているの。あなたにもアシルの導きがありますように、早く本当の家族のもとに帰れますように、って願いをこめたわ」


 一方で、ナーディヤは彼に年齢を与えた。


 最初のうちザフィーラは、アシルの年齢を姉と同じにしようと思った。二人は同年代に見えたからだ。

 しかしこれに難色を示したのがナーディヤだった。


「なんか……庇護するべき相手は年下であってほしいんだけど……」


 こうしてアシルはナーディヤの一つ下だと決まった。


 突然現れた王家の客分にトゥプラクの人々は驚きを隠せなかったようだが、彼が砂魔物の犠牲者だと知ると皆が同情の目を向けた。中にはザフィーラにも同じような視線を送る人もいて、それはおそらく先王の第二夫人におくる悼みだったのだろう。


 ザフィーラは祠で約束した通り、アシルの故郷を探し始めた。

 しかしアシルの荷物は身に着けていた空っぽの水袋などくらいで、大きなものは何一つない。


「どこかで落としたのかしら」


 念のために荷物を捜索するための人を砂漠に派遣したり、商隊にそれらしい荷物を見なかったかどうか確認したが、誰一人としてアシルの荷物を見たものはいない。

 着ていたものや手持ち品の柄や仕様などから推測した都市国家に連絡を送ったりもしたが、どこからも「うちの国の人間ではないようだ」との答えしか戻ってこなかった。


 容姿にしても、褐色の肌、金の髪、緑の瞳はどれをとっても砂漠ではよく見かける。

 アシルの故郷を特定できる情報がほぼ無くなって困り果てるザフィーラだったが、当のアシルはあっけらかんとしたもので、


「もしかしたら私は家出をしたか、あるいは捨てられたのかもしれないね」


 などと言って笑う。


「だけどそれじゃ困るでしょう?」


 とザフィーラが言うと、アシルは「そうかな」と答えた。


「私は何も困らないよ。知らないことはザフィーラや、ナーディヤ様や、皆が教えてくれるだろう? それに、ここの暮らしは私の性に合っている」


 言って彼はふと、遠くを見る目つきをする。


「私はね。時々、自分の故郷がトゥプラクだったのではないかと思うときがあるんだ……」


 彼の緑の瞳には何かを得たときの満足感と同時に、幻を抱いたときの空虚感が潜んでいるような気がした。

 あの祠にいたときのように手を握ってみたいが、ここはもうトゥプラクだ。家族以外の未婚の男女が頻繁に顔を合わせているのだけでもあまり良い顔をされないというのに、触れ合うなどとてもできない。


 それでザフィーラはいつものように握りこぶし五個分の距離を保ったまま微笑んでみせる。


「アシルさえ良ければ、本当にトゥプラクを故郷にするのはどうかしら」


 ザフィーラは何かにつけ、冗談めかした口調ながらも本気でそう誘っている。

 対するアシルの答えはいつも同じだ。


「そうだね」


 まず彼は静かに言い、そして、


「そうできたら、いいね」


 と、呟く。

 そのときのアシルの顔はとても翳りが濃く見えて、ザフィーラは重ねて誘うことが出来なくなるのだ。


(……口ではなんと言っていても、やっぱり故郷に帰りたいのかもしれないわ)


 だからザフィーラはアシルの故郷を探す。本当はトゥプラクに残って欲しいけれど、きっと帰った方が彼のためだと思うからだ。


 ある日、アシルは「官吏試験を受けてみたい」と言い出した。

 ザフィーラは喜んで自分の教師を紹介した。トゥプラクの官吏試験は年に一度だ。ザフィーラも官吏試験を受けるための勉強を続けていたので、もしかしたら一緒に試験を受けられるかもしれないと思った。


 しかし予想は外れた。


 アシルは優秀すぎた。まるで砂漠が水を吸収するかのような速度でたくさんの知識を得ていき、国の官吏試験をたった一度で易々と突破してしまった。


「えええ……お、おめでとう……」

「ありがとう」


 ザフィーラが顔を引きつらせながら祝賀を述べると、アシルは礼を言ってからくすりと笑う。


「合格しない方が良かった?」

「……そんなことない。受かって良かったねって思うわ。でも、一回で受かっちゃうとなんだか悔しい……」

「素直だね」


 だって、とザフィーラは口を尖らせる。


「私なんてもう何年も勉強してきたのに、正解よりも間違いの方が多いときだってあるのよ」

「きっと年齢の差だよ。私はザフィーラより四歳も年上だから、その分だけ元の知識もあったんだと思う。例え記憶をなくしていたんだとしてもね」

「……そうかな」

「そうだよ。だからザフィーラも十六になるまでの間にもっと学べばいい。きっと一回で通るよ」


 ザフィーラはその光景を想像してみる。

 一回で試験に受かって周囲から賞賛を受けるさまを。そして国の官吏となり、アシルと一緒にナーディヤを補佐するさまを。


「……うん。素敵ね」

「だろう? 頑張るんだよ、ザフィーラ」


 優しい声の彼は輝くような笑顔を見せていた。

 太陽のように強い輝きではない。静かな夜にオアシスを照らす月のような、どこかほっとする輝き。


 ザフィーラの頬がたちまち熱くなる。


「あの、ね。そんな顔をあちこちでしちゃ、駄目よ」

「どうして?」

「どうしてもなの!」


 心底不思議そうなアシルに舌を出し、ザフィーラはふいと横を向いてベールで顔を隠した。

 アシルがいると心はフワフワするので、いつも傍らにあった孤独感がどこかに消え去っているのも嬉しかった。


 こうして二年半ばかりが瞬く間に過ぎ、ナーディヤは二十一歳、アシルは二十歳になった。ザフィーラはあと二か月ほどで十六歳の誕生日を迎える。


 ザフィーラの十六歳の誕生日。

 大人になる日。

 官吏試験が受けられるようになる日。


 そして今のザフィーラには、もう一つ夢が出来ている。

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