話の終わり。または、続きの始まり。


 銀の月が波のないオアシスに浮かんでいる。

 その光景のように静かに、吟遊詩人がうたを止めた。


 しばらく余韻が残って静かなままだったが、その中で誰かが最初に手を叩いた。

 続いてあちこち拍手が起こり、歓声が起き、口笛が吹かれ、酒場の中は様々な音であふれ返る。


 今日の吟遊詩人は「当たり」だった。

 立ち上がって頭を下げる彼の元には続々と祝儀が集まる。床を転がるコインも多いので、これは拾うのが大変だろう。


「さて、今日はそろそろ仕舞いだ。気を付けて帰んな」


 辺りが落ち着きを取り戻し始めたところで酒場の主人が声を張り上げると、大半の人々は名残惜しそうにしながらも素直に従う。だが、どこにでも気が大きくなる人物はいるものだ。特に、酒が入ると。


「まだいいじゃねえか」


 そう言って店主に詰め寄るのは赤ら顔の男だ。


「俺は全然聞きたりねえぞ」


 こういう少々我が儘なお客に店主は慣れている。いつものように“相応に分かっていただいてから”つまみ出す必要があるかと腕まくりをしたのだが、今日は横から手助けが入った。


「馬鹿言え」


 近くにいた男が、赤ら顔の男を小突いたのだ。


「どこまで聞く気だよ。この詩は長いんだ」


 そう、女王ザフィーラの詩にはまだ先がある。


 ザフィーラは二年の間に多くを学んで海を渡る。そうして母の素性を知り、血の盟約を果たし、駆け引きを重ね、生涯の伴侶となる人物と共に砂漠へ戻って――そこからも話は続くのだ。もちろん皆、それを知っている。


 赤ら顔の男が威勢を失った。それでもまだ口の中で何かをもごもご言っているので、店主はコインを集めている吟遊詩人を指す。


「今日のみんながこれだけ祝儀を弾んでくれたんだ、明日もあの吟遊詩人は歌ってくれるさ。だからもう帰って寝ちまいな。でないと明日の午睡ひるねで起きられなくなって、気が付くと空に星が輝いてることになるぞ」

「うわあ、そいつはまずい。出遅れたら酒場に入れなくなるじゃねえか」


 おどけた調子で男が言ったので、人々は笑い、そのまま笑顔で店を出ていく。

 残ったのは店主と、吟遊詩人と、再び店内を忙しく飛び回る店員たち。


 厨房に積み重なる汚れた食器はかなりのものだ。これからこの皿を洗ってしまわなくてはならない。他にも汚れた机を拭いたり、床の掃除だって残っている。


「どれ、手伝うとするか」


 酒場の主人も腕まくりをしたままの太い腕で片付けに参加する。

 後片付けが大変なのも毎度のことだが、明日も吟遊詩人の詩が聞けると思えば苦にはならない。

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砂の上の恋、海の向こうの夢 杵島 灯 @Ak_kishi001

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