砂の上の恋、海の向こうの夢

杵島 灯

終わりの話。または、語り出し。


 都市国家トゥプラクはいつものように天気が良い。

 おかげで作物はすくすくと育っているが、人間にとっては「もう少し建物内で涼を取っていたい」と思わせる強さの日差しだ。


 外へ出る仕事を少しでも後にしたい人々は屋内での用事を殊更ゆっくりとこなし、その緩慢な動作は午後の気怠い空気を演出するのにも一役買っている。

 織物屋の色鮮やかな絨毯の上で、白い猫が大きくあくびをした。


 ちょうどそのとき、中央にあるオアシスの方から風が吹いてきた。ぬる揺蕩たゆたう空気を包み込んで押し去っていく女神の息吹は、日向で働くのを億劫がる人間たちを鼓舞しているかのようだ。

 軒先の日陰部分までを掃き掃除をしていた少年が目を細めて顔をあげ、大きく息をつく。


 そして彼は、細めたばかりの目をすぐに見張ることになった。


「――商隊だ」


 その声を聞きつけた店主が外へ出て来て街の門を見やる。


 まず目についたのは多くのユシュ鳥だ。退化した翼の代わりに大きな体と屈強な足を得たこの鳥は、人が乗るのにも荷を運ぶのにも使える。そしてそのユシュ鳥たちを扱うのは、ゆったりとした長い白の衣を纏って日除けのターバンを巻いた商人たち。

 人口七万を数えるこのトゥプラクは砂漠の三つの交易ルートの起点に当たる。農業はもちろんだが、交易もこの都市にとってはとても重要な要素だった。


 織物屋の店主は、よし、とほくそ笑む。こちらの門から商隊が来てくれたとは運がいい。いかにうまく商談を持ちかけるか考えていたとき、商隊の中にいる一人の人物を見つけた。途端に、店主の頭の算盤はすべて吹き飛ぶ。


「おおい、商隊が来たぞ! しかも吟遊詩人を連れた商隊だ!」


 店主の声を聞きつけた人々があちこちから姿を見せ、大通りに歓声を響かせる。

 寝ていた猫が飛び起き、尻尾を下げて奥の部屋へ駆けて行った。



***



 トゥプラクに酒場はいくつかあるが、オアシスのほとりにあるものが最も大きい。

 くだんの商隊は今回、ここに宿泊すると決めたらしい。もちろん吟遊詩人も一緒だ。


 茜色の陽が去り、紺青の水面に銀の月が揺らめく時間。普段ならば席の半分も埋まれば上出来と言えるこの酒場が今日は満席だ。そればかりか壁際に立っている人もいる状態で、さらにまだ人が押し寄せている。

 店員は隙間を縫って必死に注文と配膳を繰り返し、厨房は大忙し。しかしこの光景を見る店主はちょっぴり苦い笑いを浮かべていた。


 今日に限って妙に客が多いのは店の真ん中にいる吟遊詩人せいだ。

 楽器の調律をしている彼が歌い出せば、客の誰もが聞きほれる。そうなると飲み物も、食べ物も、一切の注文が途絶える。これほどまでの客が入り、遅くまで酒場を開けているというのに、売り上げはいつもよりも少ない金額にしかならないのだ。


 満足のいく調弦ができたのだろう。吟遊詩人が手を止めて顔をあげた。辺りがしんと静まる中で、通る声が辺りを震わせる。


「さて。今宵はどのうたを紡ぎましょうか」


 すべての人が叫ぶ。


「女王ザフィーラの詩を!」


 うなずいた吟遊詩人が弦をかき鳴らす。人々がわっと湧くが、それも一瞬のこと。風のない夜に似た静寂がすぐに訪れ、室内にはただ吟遊詩人の声だけが流れて行く。




  『私が今宵、語るのは

   南の一つ星が二つであったころの話』




 女王ザフィーラの詩は長い。覚えるのは大変だと聞く。しかしきちんと歌えるようになれたのならこのトゥプラクでは大儲けができる。終わった後には賞賛の嵐に続き、惜しみない祝儀が与えられるからだ。




  『今では空に輝く星々と、オアシスだけが知る秘密

   星の白と水の青を併せ持つかた

   在りし日の勲詩いさおし――』




 気が付くと給仕はおろか、厨房の者たちも全員が表に出てきている。

 やれやれ、と内心で呟きながら店主も手近な椅子に腰を下ろした。


 吟遊詩人が来るのはずいぶんと久しぶりだ。

 たまにはこうしてのんびりと、過去の詩に耳を傾けるのもいいだろう。

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