第4話 嫌忌


 何かがあっても、何かを成しても、見せたり話したりする人がいない。

 ナーディヤとアシルがトゥプラクを空けている期間は、ザフィーラにとって非常につまらないものになった。


 もちろん侍女たちは近くにいるし、中でもベルナはザフィーラにとって友とも思える親しい相手だ。

 だけど主従関係という壁が取り払えないせいで、結局はザフィーラが忌憚なく付き合える相手は姉のナーディヤか、あるいは客分のアシルくらいだった。


(お姉様もアシルも、早く帰ってこないかな)


 会合が予定より伸びているらしく、二人が帰還予定としていた二か月目はもう過ぎてしまった。

 あと三日でザフィーラは十六歳になる。ザフィーラの誕生花である夕月草も、昨日見たときはだいぶ蕾が膨らんできていた。


(お姉様たちが帰るのと、夕月草が咲くの。どっちが先かしら)


 今日もザフィーラは、辺りがオレンジに染まり始める時間帯に王宮の中庭へ向かう。夕月草が咲いているかどうかを確かめるためだ。夕月草はその名の通り夕に咲く花なので、このくらいの時間から行くのがちょうどいい。

 回廊を曲がったところで爽やかな甘さの香りが漂ってきた。もしや、と期待に胸を弾ませて足早に進むと、そこでは白い花が霞のように群れ咲いていた。一本一本は控えめな香りしか放たない夕月草だが、ここまでの本数があると思いのほか遠くまで香りが届く。


「見て、ベルナ! 夕月草が咲いたわ!」


 アラベスク模様が描かれた回廊から走り出ると、花の白と葉の緑とが包み込むように出迎えてくれた。


「みんな、咲いてくれてありがとう! 今年もとても綺麗よ!」

「良かったですね、ザフィーラ様」


 ベルナがザフィーラの後ろから淑やかに歩み寄る。同じ年の生まれだがベルナの方が少しだけお姉さんだ。彼女の耳には先月から銀色の飾りが輝いている。


「今年は蕾をつけるのが遅かったですけれど、お誕生日に間に合うよう咲いてくれましたね」

「そうね。あとは、お姉様が早くお帰りになってくださればいいんだけど」

「あら? ナーディヤ様だけですか?」

「だってお姉様は『なるべく急いで帰る』って仰っただけだけよ。アシルはちゃんと『ザフィーラの誕生日をお祝いする』って約束してくれたから、アシルの心配はしなくていいの」

「まあ!」


 笑いだすベルナの声を聞きながら夕月草の香りを胸いっぱいに吸い込んだ時だった。


「花か」


 背後からガラガラとした声が聞こえてザフィーラはびくりと肩を震わせる。夕月草のおかげで浮き立っていた気持ちが一瞬で台無しになった。


 このまま無視をしてしまいたい。

 しかしできるはずもなくて、仕方なくザフィーラは顔に作り笑いを浮かべる。深く息を吐いて意を決したが、振り返るには気力すべてを振り絞る必要があった。


「ごきげんよう、叔父様」


 回廊には小太りの男が立っていた。父の弟のメティン、先代王の父が急逝した後に国主の座をナーディヤと争った人物だ。


 トゥプラクでは女子にも相続権はあるものの、親族に男性がいればそちらが優先される場合が多い。

 そのため次期国主に最も近いともくされていたのはメティンだったが、最終的にはナーディヤが勝利した。これは、父が存命のうちからナーディヤが市井の人々と交流を持ったり、上級下級問わず役人たちと論議を交わしたり、他のオアシス国家へ出向いて顔を繋いでいたりしたことが大きい。


「叔父様は宮廷内に派閥は持っているけど、他との関わりは軽視しがちなところがあるからね。その辺りに隙があったかな」


 そう言ってナーディヤは笑っていた。


 ナーディヤとの争いに負けて以降、メティンはトゥプラクの一角に屋敷を構えてそちらに住んでいる。王宮に顔を出すことは滅多にないが、たまに来たと思うとザフィーラやナーディヤの気持ちが落ち込むことばかりをしたり、言ったりする。できることなら今すぐ「では、さようなら」と言って部屋に帰ってしまいたい。


 しかしそういうわけにはいかない。女王ナーディヤがいない今は王女ザフィーラがこの王宮の主だ。叔父の応対は、ザフィーラがしなくてはならない。

 それにメティンの屋敷はこのところ人の出入りが激しいと聞く。果たして何を企んでいるのか、うまく聞きだせばナーディヤの役に立てるかもしれない。


「今日はいかがなさいましたか?」


 作り笑いを壊さないようにしながらザフィーラが尋ねると、メティンは口角を上げる。


「王宮内の確認に来たんだ。もしもナーディヤが帰ってこなかったときは、儂がお前の耳に飾りをつけてやる必要があるだろ?」


 ザフィーラはカフタンの袖の中できゅっと拳を握った。メティンの嫌な笑顔も嫌だが、何よりメティンの発した内容が嫌だ。


 両親のいないザフィーラにとって、“成人の証”耳飾りをつけられるほど近しい血縁は、姉のナーディヤの次だとこのメティンになる。

 もしもナーディヤが帰ってこなかった場合は、メティンの言う通り彼に耳飾り用の穴を開けてもらうしかない。そんなことになればザフィーラのせっかくの誕生日、いや、今後の人生が台無しになってしまいそうだ。


 もちろん叔父に直接そんなことが言えるはずもない。

 こくりと唾を飲み込み、ザフィーラは必死に作り笑いを浮かべ続けた。


「お気遣い、ありがとうございます」

「なに。可愛い姪の大事な祝いだからな。気にすることはない」


 メティンは脂ぎった顔に乗せたニヤニヤ笑いを更に深くする。


「それにしても、お前も十六になったかか」


 叔父は舐めるようにザフィーラを上から下まで眺める。その粘つく視線が体に絡むような気がしてザフィーラは肌を粟立たせる。


「お前の母がこのトゥプラクに来たのもそのくらいの年だったなあ。兄上がお前の母を連れてきた日を、儂は今でも思い出せるぞ。……兄上のユシュ鳥に乗せられたアレは砂でひどく汚れていたというのに、一目で分かるほど気高い空気を持っていた。しかし笑うとなんとも可憐で、愛らしかった……のう、ザフィーラよ、お前は色だけでなく、顔形まですべてが母親に生き写しで」

「母は母、私は私です!」


 叔父の目線と話に耐えられなくなったザフィーラは思わず声を上げる。


「そのような戯言を仰るためにいらしたのですか? でしたら私は御前を失礼いたします!」

「あ、いやいや。気を悪くしたのならすまん」


 メティンは顔の笑いを媚びるような調子に変える。


「実はお前にも少し確認したいことがあるんだ。手短に聞くから、それだけ答えてくれ」

「……なんでしょうか」

「お前はいくつの言葉が分かる?」

「三つです」


 トゥプラクは交易都市でもあるため市場では幾つもの言葉が飛び交う。砂漠の国の共通語はトゥプラクでも使うので全員が分かり、加えて砂漠の向こうの大陸の共通語、または海の向こうの大陸の共通語のどちらかが分かるものも多い。もちろんこの三つすべてを使える者もいて、ザフィーラもその一人だ。


「本当に三つか?」

「どういうことでしょう。私が二つしか知らないとお思いですか?」

「いや、違う。むしろ……」


 首をひねるメティンはザフィーラの胸元に視線を向ける。


 ザフィーラは最初、胸を見られているのだと思った。嫌悪感が一気にせりあがってきたが、よくよく確認するとメティンの目つきに違和感がある。一点を凝視するその様子は、好色というよりも何かを探っているように思えてならない。


(……まさか)


 ザフィーラはいつも母の形見のペンダントをしており、トップ部分を服の下に入れている。もしやメティンが気になっているのはこのペンダントなのだろうか。

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