第2話 回想
昨日のザフィーラは一日中自室にこもり、ナーディヤにもアシルにも会いに行かなかった。
二人の顔を見たら、アシルの部屋で一体何をしていたのか問い質してしまいそうだったからだ。
もしも二人が部屋に来たら理由をつけて追い返そうと思っていたが、幸か不幸かどちらもザフィーラに会いに来なかった。
アシルは性別が違うため元々あまりザフィーラのところへ来ないが、ナーディヤがザフィーラの元へ来ないのは珍しい。
ただ、忘れてはいないのだという証拠だろうか、ザフィーラの元には侍女を通じて伝言が届けられた。
国を空けていた間の仕事が多くあるのと、ザフィーラの誕生日の宴関連でとても忙しくしているということ。そのために今日はザフィーラと会う時間が取れなさそうだ、とのことだった。
それを聞いたザフィーラはつい言ってしまいそうになる。
(だけどその前の夜にアシルのところへ行く時間はあるのね)
もちろん言えるはずがなくて、ザフィーラは唇を噛んでうなずいた。「お返事はどういたしますか」と問われても、黙って首を振ることしかできなかった。
それを侍女はザフィーラが拗ねているとでも思ったのだろう。わがままを言う子どもに向けるような、微笑ましさと咎めのまじった瞳で見つめてから「ザフィーラ様はお寂しい様子でいらっしゃいました、とお伝えしますね」と残して去って行った。
(寂しくなんてないわ)
床の上に座るザフィーラはムシャクシャした気分のまま、勢いをつけて仰向けに転がる。辺りには侍女によってクッションが敷き詰められているのでどこも痛くはならない。いつものことだが、今日はなぜかそれすらも腹立たしかった。
「……あの、ザフィーラ様。いかがなさいましたか?」
遠慮がちに声をかけてきたのはベルナだ。
確かに姉が戻るあのときまで、ザフィーラは暇さえあれば誕生日に関することをあれやこれやと話していた。それなのに一転して勉強の時以外ろくに口を開かず、クッションに埋もれてばかりなのだから、体調の変化を疑われても仕方ない。
「別に。なにもないわ」
「ですが」
「なにもないって言ってるの」
ぴしゃりと言い切ると、ベルナは黙って引き下がった。
こうして鬱々としたままザフィーラは誕生日の当日を迎えたのだが、昨日の行動は間違っていたのかもしれないと思い知ることになった。どんなに機嫌が悪くてもザフィーラはできるだけいつも通りに過ごし、少しでも気持ちを外に向けるべきだったのだろう。
「ザフィーラ。昨日からずっと様子がおかしいと聞いたわ」
誕生日の朝、現れたナーディヤは声にも顔にも心配をにじませながらザフィーラを覗き込む。
「具合でも悪い?」
昨日ずっと、自分とだけ対話していた弊害だろうか。ザフィーラはナーディヤが敵にしか思えない。
横を向き、ぶっきらぼうに答える。
「いつも通りよ」
「そんなはずないでしょう? どうしたの?」
「どうもしないわ」
「ザフィーラ、ザフィーラ。お願い。本当のことを言って!」
悲鳴じみた声が妙に癇に障り、ザフィーラは眉を寄せる。
「ちゃんと本当のことを言ってるわ。いつも通りだって」
「でも」
食い下がってくるナーディヤがあまりに煩わしくてザフィーラは深くため息を吐く。ザフィーラは二人の変化を知っても黙っていてあげてるのに、どうしてそちらはうるさくするのだろう。
「せっかくの誕生日の朝にそんな声を出さないで。気が滅入るから」
周囲の侍女たちがおろおろとする。その姿をザフィーラが無感情に瞳に入れたとき、ナーディヤが「そう」と低い声を出した。途端に部屋の空気が圧力を持つ。侍女たちが全員、無言でその場に畏まった。
「お前はただ、いたずらに周囲を振り回しただけなのね」
ナーディヤが言葉を発するたび、空気がずんと重くなる。体がぎゅうと押しつぶされた気がしてザフィーラは上手く呼吸ができない。あえぐように口を開き、冷や汗をかきながら辛うじて顔を正面に向ける。
そこにいたのはいつもザフィーラが知る姉ではなかった。トゥプラク六万の民を統べる女王ナーディヤだ。
「侍女たちも、私も、どれだけ心配したと思っているの? いつも通りだと言うのなら相応の振る舞いをなさい、王女ザフィーラ」
声の力と、黒い瞳の力と。双方から間近で圧力をかけられるザフィーラは、ナーディヤが王冠を得た真の理由を悟った。
ナーディヤは王者の風格を持っている。
これは五年やそこらで身につくものではない。
王位についたときナーディヤは十六歳だった。当時は今よりも未熟だっただろう。それを差し引いたとしてもかなりのものだったはず。最初からメティンではナーディヤに敵うはずもなかったのだ。
それに比べてザフィーラはどうだ。
ザフィーラも今日、十六歳という年齢になった。しかしザフィーラはナーディヤとは違う。ベルナと比べても劣る。王者の風格どころか、大人としての立ち振る舞いすら持ち合わせていないただの子どもだ。
もしもメティンと争ったのがザフィーラなら、今ごろこの国の主となっていたのはメティンだろう。
食いしばった歯の間から落胆のため息が漏れる。
ザフィーラはナーディヤに敵わない。
今までも。これからも。何一つとして。
――だから、アシルがナーディヤを選んだとしても仕方ない。
途端にザフィーラの心の奥でカッと火がともった。それはアシルと会うたびに積み重なって来たフワフワとしたものを一気になめ尽くし、激しく燃え上がらせる。炎が力になる。
ザフィーラは顔を上げた。正面に立つナーディヤが自分に手を伸ばしてくる姿を捉える。
「宴にお越しの皆様をお待たせするわけにはいかないわ。ザフィーラ、準備を――」
パン、という乾いた音が響いた。
伸ばされたナーディヤの手をザフィーラが打った音だ。
目を見開いたナーディヤが手を押さえる。青ざめる彼女は途端に姉の顔に戻った。それが愉快でたまらなくて、ザフィーラは口元を歪める。
「触らないで。一人で平気だから」
首を巡らせると、怯えた様子の侍女たちが目に入った。ふ、と息が漏れる。今度はため息ではない。これは笑いだ。
立ち尽くすナーディヤの横を通って部屋を出ると、背後から慌てて侍女が追ってくる音がした。
湯殿へ向かう回廊を大股に進みながらザフィーラは肩を震わせる。笑いたいのを堪えるのが大変だった。
(すごいわ、私。お姉様をやりこめちゃった)
女王の気迫に負けることなく、正面から立ち向かえた。
ナーディヤはきっと、ザフィーラを下に見ていた。自分に従うだけの存在だと考えていた。きっと、ザフィーラが思わぬ反撃をしたことで混乱したに違いない。そう考えるだけで胸がすく思いがする。
(私だっていつまでも子どもじゃないのよ。お姉様にばっかり大きな顔はさせないわ)
私は正しい行動をとった、とザフィーラは心の中で言う。
昨日一日ずっと話していたザフィーラが、その通りだと同調する。
間違っているのはナーディヤだ。だってアシルと仲良くなった。先にアシルを好きだったのはザフィーラだ。それなのに横からアシルを取って行った。
そう、ザフィーラはアシルに恋していたのだ。十六歳になったらアシルに恋心を打ち明けて、結婚して、このトゥプラクでいつまでも幸せに暮らしたかった。それなのにナーディヤがアシルを取ってしまった。
許せないことだ。
だってナーディヤがアシルを一番にしてしまったら、ザフィーラは――。
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