第11話 十三夜の月が昇る頃
再び和倉温泉の出張に行く準備をしている。すでに、今年のカレンダーも最後の1枚を残すのみとなった日、玲子と健司は東京駅に居た。
駅のコンコースやショップにはクリスマスの文字が溢れている。
手土産を買う為、構内のショップの中を歩き回りちょうど良いサイズのお菓子を買った。途中、列車の中で食べる駅弁とお茶も買い、二人は連れ立って新幹線ホームに向かった。前回の出張の帰り、疲れていたとはいえ、感極まってしまった玲子の事を少しだけ思い出していた。
ストレートに「あなたを好きになったみたい。」と言う言葉が何度も反芻され、健司の胸に刺さり、小さな痛みを感じていた。
普段通り落ち着いた玲子は、とても素敵な大人の女性なので周りからも注目される。そんないい女の告白を、上手く受け止めてやれない自分がいて、複雑な気持ちで隣り合って座席に座っている。
発車のアナウンスが流れ、静かに列車は動き出した。
「なんかあった?」と玲子が聞いて来た。
多分、娘から聞いた妻の浮気の事が心に引っ掛かって、玲子と二人でいるこの時も楽しめていないのだろう。
「ちょっと気になる事があって・・」とお茶を濁したような返事をすると
「前回の出張の時の事?」と玲子が言うので
「違う。実は妻が浮気しているらしい。」
「えっ、どういう事?」
「しばらく前に、妻の実家の近所に住む妻の友人の事で、相談に乗ると言って帰省していた。その時、浮気相手と出掛けていたらしいんだ。」
「どうして判ったの?」
「この間の日曜日に、娘と二人で出掛けた時に娘から聞いた。でも確たる証拠はない。けれど、ちょっと思い当たる節がある。」
「どんな?」
「君と偶然、映画館で会ったとき、妻と娘を迎えに行こうとしたら断られたと話したの覚えている?」
「ええ、だから一人で映画館。」
「そう、その時自分の両親に娘を預けて、出掛けていたらしい。娘曰くほったらかしだったって言って、怒っていた。」
「そんな事が有ったのね。」
「ごめん、こんなプライベート話、迷惑だったね。」
「ううん、そんな事無い。町井君が元気ないと私も寂しい。だから、私で良ければ話聞くから。」と玲子は言って「その方が迷惑か」と自分に突っ込んで笑った。
新幹線が金沢駅に到着した。
乗り換えのために、在来線のホームに移動する。
「やっぱり風が冷たい。」
年の瀬が近づき、日本海側独特の鉛色の空が広がり、いまにも雪になりそうな天気だった。健司は、玲子を気遣い、持っていた手土産を代わりに持った。
玲子は空いた方の手で、コートの襟をあわせ前かがみで歩く。
「この天気も、何か集客につなげられないかなぁ。」と呟く。
「うん、一時期、東北の地吹雪を体験する、ストーブ列車が観光客の間で人気になったことが有ったけど。」と健司が思い出したように言った。
「さしずめ、此処なら
「ぶりおこしって?」
「冬の日本海には、雷が鳴る時期がある。ほかの場所なら夏の夕立と雷なんだけど、大陸からの寒気の関係でこの辺りは冬に雷が鳴る。そしてその雷が鳴る頃に、氷見漁港にはたくさんの
寒い時には、知らず知らず全身に力が入って居るので、それだけでも疲れてしまう。
寒さから解放されると、なぜか眠気が来る。1時間少々の列車の旅も仮眠をするには十分で、健司の肩に寄りかかって、玲子は眠ってしまった。
和倉温泉駅に到着すると、旅館の迎えの車が来ていた。
「お久しぶりです。お世話になります。」
「寒かったでしょう、東京の方たちには此処の寒さは厳しすぎるんじゃあないですか?」と二人の荷物を車に乗せながら、番頭さんは笑った。
駅から車で10分程度の距離だが、年末で車が多い。
「割と車が多くて、活気がありますよね。」と聞くと
「このへんじゃぁ、冬は車がないと大変なんで、どこの家でも一人1台くらい車が有るんです。だから、混むんですよ。」と説明してくれた。
旅館に着くと、以前来た時と同じように専務さんが出迎えてくれた。
「寒かったでしょ?」と番頭さんと同じセリフが「定番なんだよな」と思いながら心の中で笑った。
ここに限らず、夏は暑かったでしょ?冬は寒かったでしょう?が挨拶の冒頭に来る。まさに定番。何とかその定番を生かせないだろうか?と考えてみた。
社長室に通され、挨拶もそこそこに「よかったら温泉で温まってください。」と言う申し出をありがたく頂き、打ち合わせよりも先に温泉に入ることにした。
温泉は、内湯のほかに露天風呂もあり、冷たい外気と温泉の暖かさを交互に味わう。十分に体が温まった後に、外気にさらされて体を冷やすと、何とも言えないくつろいだ気分になる。そんなことを思い、温泉を出ると「それ、使えないかな。」と玲子がさっそく食いついて来た。
兎に角、思い浮かぶことをメモして集客につなげたい。そんな想いが伝わってくる。 温まった体で、打ち合わせを始めた。
経営計画の見直し案を提示して、売上見込みの数字を変更したことを告げた。
「ここの数字をどう設定して始めるか、それによって掛けられる経費の割合も、絶対金額も変わってしまうので、いくつかのパターンを用意してみました。」
「そして、その裏付けは集客に掛かって来るので、やはり自治体や周辺のお店との連携は必須と考えています。」と説明をしていると
玲子が「その集客のアイディアですが、1年を4つ、つまり四季に分けて考え、更に各月で少しずつ変えたイベントを考えてみました。当初は全て、試してみたいと考えていますが、後々、人気のイベントを大きくして行きたいと考えています。」
と付け加え、年間スケジュールのような資料を提示した。
こんなやり取りが2時間弱くらい続き、今日の打ち合わせが終わった。
夕食を頂いた後、再度温泉に入り体を温めて、夜の街に出掛けてみることにした。
旅館から歩いて直ぐの所に、バーが有るらしいのでそこに行く事にした。
風呂上りとはいえ、寒いのでしっかり着込んで、歩いて行く。
ペーパームーンとは趣の違ったバーだが、その店の良さが窺える。
玲子と二人でカウンターに座り、お酒を注文する。
「私はブルームーンで。」
「僕は、ギムレットをお願いします。」
初老の、白髪が少し混じり始めた男性が、ジンのボトルを棚からおろし、氷を入れたシェイカーのボディにメジャーカップで測ったジンとリキュールを入れシェイクする。最初は玲子の前にコースターが置かれ、シェイクし終えたカクテルをグラスに注ぎ、目の前に置いた。
すぐに、別のシェーカを用意し氷を入れる。量ったジンとライムのジュース、砂糖を加えてシェイクした。
出来上がったグラスを健司の前に置き、軽く一礼してカウンターの隅に移った。
お互いグラスを持ち「このプロジェクトの成功を願って」と健司が言うと玲子が「乾杯」とグラスを合わせて来た。
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