第7話 有明の月の光
日本人には聞こえる音、と言うより声がある。
それは、虫の音だ。蝉の声や鈴虫、
我々日本人になじみ深い蝉しぐれは、夏を思わせ、鈴虫の音は秋を思い出させる。
太古より、自然界と共存してきた国民だからこそ、その声を表現する言葉を持ち、伝え今日に至っている。感性を生かし、言葉を選び、豊かな人生を送って来た。
いよいよだ。遠足を心待ちしていた子供のように、ベットに入ってからも、なかなか寝就けなかった。
「私、いったい何に興奮しているのだろう?」と自分でもおかしくなり、笑みがこぼれた。あれこれと昔を思い出しては、胸が熱くなる。そんな時を楽しみながら、玲子は眠りに落ちた。それは、夜明け前、綺麗な月が浮かぶ頃まで。
気が付いたのは、すでに辺りが明るくなり、街の音が大きくなり始める時間だった。「ちょっと寝不足」と思いながら枕もとの時計に目をやる。
予定していた時間より30分ほど遅れて、ベットを出た。
洗面台の前に立ち、歯磨きをして顔を洗い、部屋に戻った。
ドレッサーの前に座り、簡単なスキンケアをしてキッチンに行った。
コーヒーメーカーのスイッチを入れ、冷蔵庫から卵を3つ出した。ボウルに割入れ、軽く熱したフライパンにバターをひとかけ落とし、オムレツを焼いた。
昨夜、寝る前に作っておいたサラダとオムレツをテーブルに運び、遅い朝食を済ませた。
食器を片付け、再度、寝室のドレッサーの前に座り、今度は念入りにメイクをした。ゆっくりと時間は流れ、今日一日が、とても気持ちの良い日になる事を予感しながら、メイクは続いた。
「よし、完成」と独り言を呟き、クローゼットに入って行った。
パジャマと付けていた下着をすべて脱ぎ、購入したばかりの下着に着替えた。
白い柔らかな肌と綺麗な曲線が、水泳によって形成され、彼女の美しさを際立たせていた。ブラウスとスカートを身に着け、髪を整える。胸元にアクセサリーを付け、口紅をつけた。
ショート丈の皮のジャケットとバックを持ち、リビングに行き玄関のカギと携帯をバックに仕舞った。
昨夜から出して置いたブーツを履き、玄関を出る。
ドアのラッチが、カチャリと音を立てて閉まるのを確認してから、ドアノブのカギ穴にカギを差し込み、閉めた。
ドアノブを回し、施錠を確認してから、その前を離れエレベーターホールに向かった。
約束の18時には早すぎるが、せっかく買った新しい服で、秋色に成り始めた都会を歩きたかったので、約束のホテルがある方とは別の場所に向かった。
電車を降り、駅からそれほど離れていない場所に、比較的大きな公園がある。
その入り口から公園の中に入り、遊歩道を歩いた。
澄んだ空気を吸い込み、木々の香りを楽しんだ。ゆっくり時間をかけ散歩し、公園の反対側にあるコーヒーショップでラテを買い、また公園の中に戻り、途中のベンチに座りラテを飲んだ。少しだけひんやりとした空気が気持ちよく、日差しも明るい。公園の中では、散歩をする人やマラソンをする人たちで、游歩道には何人かの人影があったが、休日らしい時間が公園全体を包み、遠くに子供の歓声が聞こえた。
日差しが少し西に傾いた頃、玲子はホテルに向かうことにした。
公園の端にある、地下鉄の駅を目指して歩き、ホームに降りる階段を下った。
ホームに降りると、ちょうど電車が入って来た。
その電車に乗り、目的地に向かう。幾つかの駅をやり過ごし、電車を降りた。
改札を出てから地下道を歩き、ホテルの近くの階段で地上に出た。
そこは、ちょうど交差点の角にあり、信号待ちの人が数人いた。
気付けば信号の向こうに早苗が、こちらを向いている。
歩行者用の信号が変わり、横断歩道を渡りきった所で合流した。
「久しぶり、今日はありがとう。」
「久しぶり、こちらこそ。」
と互いに挨拶をし、人の流れに沿ってホテルの方に歩いて行った。
そのホテルには、ドアボーイが居り、二人の姿を見つけるとさっとドアを開けてくれた。「いらっしゃいませ」と静かな口調で言い、フロントとカウンターは「左手奥になります。」と丁寧な説明を付け加えた。
促されるまま、左手に進みカウンターに着くと、早苗が「マネージャーの小林様お願いします。田口早苗です。」と窓口に伝えた。
少しして、マネージャーの小林が現れた。
「田口様、お待ちしておりました。」と丁寧にお辞儀をし、「ご予約のレストランは14階にありますが、少々お時間があります。よろしければ8階にラウンジがありますので、コーヒーでもお召し上がりになりませんか?」と聞かれた。
未だ着いていない和美と仁美も到着したら、案内してくれると言うので、早苗と玲子は8階ラウンジで待つことにした。
1杯目のコーヒーが飲み終わる頃、仁美と和美が案内されてラウンジに到着した。
「わーみんな久しぶり。」
「あっ、玲子久しぶりー。」
黙っていると、ちょっといい女世代になった女性たちも、まるで学生のように声のトーンが上がる。
レストランに移動しながらも、おしゃべりが止まる事無く、お互いの近況を確かめ合っていた。「みんな、慌てないで。詳しい話はあとからゆっくり。」と早苗がみんなを手で制した。
テーブルに着くと、すでにテーブルウェアがセットされていて、メニューはすでに早苗がオーダーしていてくれた。
「今夜は、創作のフレンチなの。お酒はどうする?」
「じゃあ、やっぱり最初はシャンパンで乾杯!」と和美が言うと、「相変わらずね」と皆が笑う。シャンパンクーラーに入ったボトルと、グラスが運ばれてきた。
ソムリエがトーションでコルク栓を包み、ポンと言う音がして栓が抜けた。。
キラキラした液体が、シャンパングラスに注がれ、細かくてきれいな泡がグラスの底から湧き上がって来る。各手元に配られたクラスを持ち、早苗が「みんなの再開を祝して、乾杯。」と言うと3人もそれに習った。
いくつかの皿が運ばれては下げられて、メインディッシュに移る頃、シャンパンから赤ワインに変わっていた。
仁美が「早苗に聞いたんだけれど、玲子、映画館でデートしていた彼はどこまで行って居るの?」と、それを聞いた和美が「そうそう、白状しちゃいなさいよ。」と相槌を付ける。「だからぁ、そんなんじゃ無いんだって、彼は既婚者でただの同僚。」
と、早苗が「いやぁ、映画館で見ていた時にはそんな風には見えなかったわよ。だって、しっかり腕を掴んでいたじゃない。」と、にやにや。
「ええっ、そうなの?」皆が目をキラキラさせて、玲子を見つめる。
「私たちの中で、バツイチ独身は玲子だけ。こんな浮いた話はあなたにしかないのよ。」
「バツイチだけ余計でしょ?」とちょっと照れながら膨れた顔が、可愛い。
「ほんとに何でもないから。」
「だって好きなんでしょ?その彼の事。イケメンだって言うし。」
「早苗、皆になんて言ったの?誤解よ。」と言いつつ、玲子は自分の中でモヤっとしていた健司に対する想いが、はっきり、大きくなるのを感じていた。
「なんだぁ、玲子の良い報告が聞けると思って、楽しみに来たのに、残念。」
と和美が言うと、一斉に笑いが起きた。
楽しい時間はあっと言う間に過ぎる。ホテルに着いてからすでに3時間以上の時間が経過していた。二人の主婦は「終電前には帰らないと。」と言い、お開きになった。
次回の約束をして、それぞれが帰路に着いた。
残った玲子と早苗は、少し飲み足りないという早苗の提案で、玲子の行き付けのペーパームーンに行くことした。ホテルの前からタクシーで移動し、すでにあの重厚なドアの前に居た。玲子が「早苗、驚かないでね。」と言い、ドアを開けた。
何時もの様に、しずかにジャズが流れる店内は、比較的静かだ。
二人でカウンターに近づいて行った時、「紘一君?」と素っ頓狂な声を上げた。
「玲子、どういう事?」目を丸くして聞く早苗を、カウンタースツールに座らせながら、「そう、中嶋紘一君、隣が奥様の容子さん。」と言うと更に早苗は「ええっつ」と声を上げた。
友人の中で、唯一、玲子の離婚の顛末を知っているだけに、早苗の驚き様は尋常ではなかった。
「だって、私は、彼と容子ちゃんが幸せになる事を望んだんだもの、今はこの店の常連。」そう話していると、おしぼりをトレーにのせて、カウンターから容子が出てきた。「いらっしゃいませ。」と軽く会釈をした。
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