第8話 新月の憂鬱

 月が替わって最初の月曜日、健司と玲子は社長に呼び出された。

「営業1課の町井君と営業2課の前田君に来て頂きました。」

社長室に通された二人を、統括本部長が社長に紹介した。

社長が「ああ、わざわざすまんね。まあ、掛けてくれ。」と応接セットのソファーを指さした。

「早速だが、今回二人に来て頂いた趣旨を、本部長の方から説明してくれ。」

「はい、では早速。」と言って分厚いファイルを二人の前に置いた。

「今回のプロジェクトは、少し大掛かりになる予定で、まず目次を見てほしいのだが、近年、コロナ感染症の影響で観光地のホテルがあちこちでダメージを受けている。いま、問い合わせが来ている中で、北陸の温泉地で和倉温泉と言う有名な温泉地があるのを二人とも知っていると思うが、そこの在る老舗旅館からの依頼だ。」

「場所は、資料の所在地を示している地図を見てもらうと、判りやすいと思うが、此処にはおもてなし日本一に何度も輝いている旅館もある。」と本部長が資料のページを捲りながら、説明を続ける。「そんな環境の中での老舗旅館の売上げ再建のプロジェクトを請け負う事に成った。」社長が続けて、「地元に活気が戻って欲しいと言う事から、行政や地元の銀行も賛同してこのプランを立ち上げたが、なかなかこのプロジェクトを受けるコンサルが見つからないらしく、我が社に白羽の矢が立った。」と言う事だった。

「第1課の町井君には経営計画の見直しから、資金調達や行政との調整を、第2課の前田君には新たな集客の手法と、そのアイデアを形にして集客・売上の改善に尽力して欲しいと考えている。」「当然前田君にも行政と絡んでもらって、最終的にはモデルケースになるような案件に仕上げて欲しいと考えておるのだが、どうだろう?やってくれるか?」「これが上手く行くと、我が社も業績をだいぶ伸ばすことも出来る。」

 あまりにもスケールが大きく、又突然だったので、さすがの健司も玲子も即答とはいかず、「少しお時間を頂けますか?」と返事をするのが精一杯だった。

「そろそろ年末年始の繁忙期に入って来るので、そんなに猶予はやれないが、一度考えてみてくれ。」と社長が締めくくった。


 「びっくりした」と言うのが第一印象で、こんな大きなプロジェクトに参加できるなんて、今まで頑張って来た甲斐が有るというものだが、玲子はどう思って居るんだろう。社長室を出てから、終始難しい顔をしている。

 部署に戻って、それぞれの課長に報告をして、二人は会議室に入った。

「町井君はどう思う?」と玲子は何時になく真剣な表情で、健司を真っ直ぐに見て来る。そんな玲子に対して、「僕はぜひやってみたい。こんな大きなプロジェクトはやっぱりチャンスだし、やり甲斐もある。」と続けて、玲子となら尚更やってみたいと思う。と言いたかったが、言葉を飲み込んだ。

「そうだよね、町井君ならそう言うと思った。」と言い、玲子の顔が少し和らいだ表情になった。

「私も、ぜひ遣りたいと思って居るけど、少し心配な事もあるの。」と言いかけて、「駄目ね、弱気は。」と笑っていたが、表情に陰りを感じたのは健司の思い過ごしだったのだろうか。

 プロジェクトは1年から2年くらいの時間をかけて実行する様だが、取り急ぎ今年の年末年始が近いため、クライアントが忙しくなる前に、一度、現場調査を兼ねて行かなければならないので、翌日二人で、社長にやらせて頂けるよう、話をしに行くことにした。

「そうか、やってくれるか。期待して居るぞ。頑張ってくれ給え。」とニコニコしながら交互に二人の手を握り、しきりに喜んでくれた。

「絶対に失敗は出来ない。」と言う強い気持ちで、身が引き締まる思いがした。


 東京駅10時24分発、北陸新幹線かがやき509号に健司と玲子は隣り合った座席で座っていた。

12時49分には金沢に到着する。金沢で13時27分に特急サンダーバード17号に乗り換え、14時30分には和倉温泉駅に着く予定だ。

駅の売店で、昼飯用の弁当を2つ買い乗車したのだが、途中でコーヒーが飲みたくなり、自販機で買うことにした。

「なんだか不謹慎だけど、二人で旅行に行くみたい。」と玲子が言う。

健司が少し焦った顔をしながら「いやいや、仕事だから。」と言う。本音は嬉しいくせに、男は建前でものを言う悪い癖がある。

「そうよね。」と言いながら、何処か嬉しそうにしている玲子が、眩しい。

「宿は、クライアントの所を使わせて頂けるらしい。」

 予定を管理している、玲子の説明によると「今日は、クライアントの社長と専務さんに話を聞き、明日午前中は市役所の観光課にご挨拶。午後からメインバンクにご挨拶に行って、3日目の午前中には地元の観光地や名所を案内していただく予定。」

 3日間の予定で回るには、結構ハードなスケジュールだが、「仕方ない、仕事だから。」と健司が言った。


 列車は定刻通り和倉温泉に到着した。出迎えの車で旅館に着くと、専務さんが仲居さんと出迎えてくれた。

「ようこそおいで下さいました。長旅お疲れ様です。」と言いながら、応接室に通された。持ってきたスーツケースは番頭さんらしき人が、お部屋の方に運んでおきます。と言ってくれたのでお任せした。

 応接室では、社長が待っていてくれて、名刺の交換をした後、早速本題に入った。

「とにかく、コロナで大変でした。今は外出が自由になりましたが、それでも以前のようにお客様はお見えに成りません。」と暗い顔で覇気がない。

 状況の説明を1時間ほど聞いた後、健司は「明日で良いので、経営計画書やその他の書類をご準備頂いてよろしいでしょうか?」とお願いした。

専務が「はい、すでに準備は出来ておりますが、今晩のうちに宜しければお部屋の方にお届けします。」と言う事だったので、夕食後に見せて頂く事にした。

 玲子は仲居さんにお願いをして、館内の案内をして貰うよう話をしていた。

打ち合わせが一段落して部屋に通され、夕食は「ご一緒に食堂でよろしいですか?」と聞かれたので、「折角なので温泉を頂いた後でもよろしいですか?」とお願いして、少し遅めにして頂いた。


 それぞれの部屋で着替え、温泉に浸かりさっぱりとして食堂に行った。

玲子は、館内の案内の後、浴衣をチェックしたり、部屋の内装や設備をじっくりと観察し、何やらしきりにメモを取っていた。「先ずは、細かなチェックから。」と言い「男性用のお風呂はどうだった?湯加減は?アメニティーは?汚れていたりする所はなかった?」などとしきりに聞いてくる。改善点を探すためにいろいろチェックしているのだろう。やはりそこは、女性目線は必要だと感じた。

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