第12話 小望月に急かされて

 「今回の出張の予定は年内、12月28日頃までの予定で一旦、社に戻り明けて1月中旬頃から再度この地を訪れる予定になって居ます。」予定を管理している玲子が誰かと電話している。

「はい、はい、」と相槌の返事をして電話を切ると、「観光課の方から確認でした。」と言った。

そうか、年内は此処に滞在するんだった。改めて思い出し、カレンダーを眺める。

「前田さん、来週の休み、ちょっと自宅に戻ろうかと思って居るのですが、宜しいですか?」

「はい、休日に何処に出掛けても問題無いと思います。まして自宅に御用があるならいいと思いますよ。」と言う返事が返って来た。

 正直、妻の浮気が気にならないとは言わないが、それより娘の彩が心配で、増して毎年一緒だったクリスマスに、今年は居てあげる事が出来無い事を思い出し、何か出来る事をと考えた。


 そして金曜日の夜、最終の新幹線に間に合うように、和倉温泉駅から特急に乗った。新幹線の最終は金沢を18時12分に出るので、此処を16時30分の特急はなのれん4号に乗れば間に合う事を確認し、乗車した。

 夕方は、暗くなるのが早く、時雨れている為寒さが更に厳しい。

列車の窓がすでに鏡のようになっていて、車窓には自分の顔が映っている。

心なしか、自分で見ても不安な表情をしている。そんなことを思い金沢駅に到着すると、駅弁とお茶を買い、新幹線に乗り継いだ。東京着21時16分の新幹線はくたか574号は順調に進み高崎を出発した。「あと大宮と上野を過ぎれば、東京に着く。」そこから在来線に乗り換えて30分くらいで健司の家の最寄り駅に到着する。

 彩は元気にしているだろうか。毎日ではないがLINEでやり取りはしている。が、子供は親がうざいと思って居るのだろう。「毎日は嫌。」とはっきり断られた。


 東京駅に着き、在来線に乗り換えた事迄は記憶にあるのだが、どうやって自宅まで着いたのかはっきりした記憶がない。気づいたら自宅の玄関の前に立っていた。

 金曜日の夜、22時を過ぎている。しかし、自宅には人の気配がない。

玄関のかぎを開け中に入る。右手の壁に照明のスイッチがあり、入り口の照明をつけると、「ただいま。」と声を掛ける。返事はない。

寒々とした空気が、家の中に留まっていて、廊下を歩いてリビングのドアを開ける。

再度「ただいま。」と声を掛けるが、やはり返事がない。家じゅうの照明を付けながら、リビングや寝室、そして娘の部屋をノックする。返事はない。

 思い切ってドアを開けたが、娘がいた形跡がない。

「どうしたんだろう?」と思い、妻に電話をしてみた。

コールしているが、出ない。彩にLINEをしたが既読が付かない。

 健司の心臓が大きな音を立てて鳴って居るのが解る。「何故だ、どうしたんだ?」と言う思いで一時待っていると、妻から着信があった。

「どうかしたの?と怪訝そうな声で聞いて来た。」

「今、何処にいるんだ?家に帰ってきたら誰も居ないじゃないか。」

少し強い口調になる。

「何も言ってなかったのに、誰も居ないから心配した。」

「あなた、自宅にいるの?」

「ああそうだよ、今年のクリスマスは仕事で帰れないから、休みの日に彩にプレゼントをと思って帰って来た。何処にいるんだ?」

「ごめんなさい、今実家です。あなたが帰って来る事が解って居たら、家を留守にしなかったんですけれど、ごめんなさい。」

妻はそう言って話しているが、電話の向こうで賑やかな音が聞こえる。妻の実家は田舎で、繁華街までは車で出掛けなければならない筈だ。」

「彩は一緒なのか?」

「・・・いえ、私一人出掛けています。」明らかに動揺が隠せない様子で、「すみません、明日すぐに帰ります。」と言って電話は切れた。


 不安だった事が、現実になった。鼓動の高鳴りはまだ収まらない。言葉にならない状態で、リビングに立ったまま、時間だけが過ぎた。

ふと気づけば、深夜1時を回っていて、どの位そこで立って居ただろう。

 取り合えず寝室で服を着替え、シャワーを浴びる。少し熱めのシャワーを頭から浴びる。努めて冷静になろうとするが、なかなか落ち着かない。

やっとの思いで浴室から出て、寝室に行きベットに入ったが寝付けない。

ようやくウトウトしたのが、辺りが明るくなる少し前で、気付いたら朝だった。

 やはり眠れなかった。「俺は今迄どうして居たんだろう。家族を思い、家族のために頑張って仕事をし、マイホームも手に入れた。何がいけないんだ。」そんな答えの出ない思いが、あとからあとから湧いて出て来る。

 そして昼少し前に妻と娘は帰って来た。

「パパおかえり、帰ってたんだね。」と彩はご機嫌だった。

努めて冷静に「ああ、今年お仕事でクリスマスに戻れないから、彩と一緒に出掛けてプレゼントを買おうと思って、帰って来た。」

「うん、ありがとう。」

 そんな会話の横で、妻は顔面を強張らせて立っている。

「彩、ごめん。ママと少しお話があるので、部屋で待っていてくれる?お話が終わったら、買い物にこう。」

「うん分かった、ごゆっくり。」って子供が言うかと思ったが、彩が明るい事だけが救いだった。


 「説明してもらおうか。」低い声で妻に向かって言うと、妻の唇がわなわなと震え出した。そして、持った荷物やカバンを床に落として座り込み、両手で顔を覆って泣き始めた。

「何時からなんだ?」と聞いても、泣いていて言葉にならない。

こんな時はどうしたらいいのか、玲子ならどうして居たのだろう。以前聞いた話では元夫が浮気したのは、自分が仕事で忙しくしていたから仕方ないと言っていたのを思い出した。そして、一時高ぶった感情が、スーと引いて行くのが解った。

この人だけが悪いのでは無いのかもしれない。と言う思いになり少し優しい口調で

「とにかく着替えなさい。」と言い、床に座り込んだ妻の肩を抱き上げ、寝室の方に連れて行った。

その間妻は、ずっと泣いていたが、なぜか怒る気になれなくなり、寝室に入ってからそっと抱きしめた。無言だった。

 それから暫くして、着替えた妻がリビングに出て来た。瞼を腫らして、俯きながら「ごめんなさい」と繰り返すだけだった。

今はこれ以上せめても、仕方がないと思い「彩と出掛けて来るから。」と言って2階の子供部屋にあがって行った。

 ドアをノックして「彩、出掛けようか?」と声を掛けると中から返事がして「はーい。」と元気な声がした。

 二人で階段を下りてくると、彩が「ママどうかしたの?」と聞いて来たので、

「少し疲れたみたいだからそっとしておいてあげようねと。」と言って玄関を出た。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る