第10話 寂しい上弦の月
出張から戻った翌日、出社して社長と統括本部長に現地調査の報告を、口頭でした。「解った、それじゃぁ1週間以内にそのレポートを纏めて提出してくれ。」
とだけ言われた。
昨夜の玲子とは別人のように、今日は生き生きして見える。
「駄目だ、俺には女心が全く理解出来ていない。」と心の中で呟いた。
今日の玲子は、淡いベージュのスーツを着ている。インナーのカットソーは、秋空を思わせるようなブルーで、光沢があり顔色がよく映えている。
「俺も貴女が好きだ。」と言えない自分のもどかしさが、かえって心に火を付ける。
昨夜の、ペーパームーンの容子の言葉ではないが、「最後は、なるようにしかならない。」その通りだと思った。
「町井君、聞いてる?」と怒った表情でにらんでいる。
「ごめん、ちょっと考え事・・」
「仕事には集中してください。」と注意された。
いやいや、君が僕の集中力を削いでいるんだがと思いつつ、いつもの仕事が出来る玲子に戻って居たのでほっとした。
昼食のランチを公園のベンチで済まそうと、サンドイッチを買いに出た。
そのキッチンカーは、公園の広場の所に毎日出ていて、忙しい時などよく利用している。わりと男性の胃袋も満足させる位のメニューもあり、助かっている。
「チキンのバジルソースとホットコーヒーを下さい。」
「いつもありがとうございます。750円になります。」と明るい声の女性スタッフが、サンドイッチを紙袋に入れながら言った。
小銭で払い、紙袋とホットコーヒーを手に持ち、ベンチのある方に歩いて行った。
初冬の風が都会にも吹き始めていたが、そのベンチには高い樹々があり、風を遮ってくれる。空はその間からぽっかりと見え、日が差しているのでかなり暖かい。
ベンチに座り、紙袋からサンドイッチを取り出し、一口かじりコーヒーを飲んだ。
「今晩、残念会しませんか?」と、いつものLINEが来た。
「了解」の返信。
その後に、何も連絡の無い時は、決まっていつもの店で、いつもの時間。そんな風に暗黙の了解が出来ていた。
昼食を終えオフィスに戻り、午後からはレポートの取りまとめに入った。
現況を書き、改善点を炙り出し、どういう方向に提案して行くか、その手法は、今後の展開は、最終目的は、それをどんなタイムスケジュールで進めるのか、詳細なレポートの骨子を考えた。
進捗は日々社長に日報として提出するが、これからまだまだクライアントと詰めて行かなければいけない事の多さに、びっくりしている。
「やっぱり、最終目標になるようなテーマが必要だな。」と呟き席を立った。オフィスを出て、エレベーターホール脇の給湯室にある自販機でコーヒーを買い、屋上に出た。もうすでに日は西に傾き始め、肌寒い風が吹いていた。
約束の時間より少し遅れて、居酒屋に到着した。玲子は既に到着していて、「メニューは適当に頼んだから。」と言った。
「ごめん、遅れた。」と言いながら上着のボタンを外し、ネクタイを緩めた。
そして、「大将、生1つ。」と声を掛けた。
お通しと一緒にジョッキが運ばれ、乾杯をすると、玲子が「昨日はごめん。」と誤って来た。
「気にするなよ。疲れていただけだから。」と返すと
「いいえ、疲れていたことは確かだけれど、気持ちは本物。」そう言ってビールを一口飲むと、言葉をつづけた。
「たとえ、町井君に家族があっても迷惑にはならないようにしよう。この思いはこれからもずっと私の中に留めておこう。この先、貴方と親密な関係に発展しなくても良い。ただ、自分に嘘をつくのは辞めようって決めたの。だから、このプロジェクトは絶対最後までやり遂げるって思う。もし迷惑かけていたり、貴方が嫌だったら言って。その時は降りるから。」と真剣な表情で言った。
「あなたの気持ちは、男として嬉しい事だけれど、仕事に私情を挟みたくない。特にこのプロジェクトは何が何でも成功させる。その為には、今ある全ての力を注いで、本気でやりたい。君はとても優秀なスタッフで、女性としても魅力的だけれど、今回はキャリアとしての貴女を、僕は必要としている。だから、是非そのスキルを貸して欲しい。」と健司も真面目な表情で語った。
これで一件落着。ではないが、当面、仕事で玲子と関われることに、健司も嬉しさを感じていた。
出張から戻った最初の休日、健司は娘の彩を連れて出かけた。車で大型商業施設に向かっている。
「彩、今日は何がしたい?」とルームミラー越しに娘を見ると、ちょっと不機嫌そうだ。「どうした?何かあったのか?」
「・・・」
様子がおかしい、施設について車を止めてから、ショッピングモールの方へ行く。
娘と手を繋いで歩いているが、明らかにおかしい。
「彩、おなか空いていない?何か食べようか?」と言うと「まだいい、アイスが食べたい。」と言うので、フードコートにある、アイスクリーム店に入る。
「いらっしゃいませ。お決まりでしたらお伺いします。」と若いスタッフが健司に声を掛けた。
「ストロベリーチーズケーキとラムレーズンを、レギュラーサイズで、ストロベリーチーズケーキはカップ、ラムレーズンをコーンでお願いします。」
出来上がったアイスを受け取り、支払いをしている間に彩はテーブルの方に座っていた。黙々とアイスを食べ、終えたカップをゴミ箱に入れ戻って来た。そして、暗い表情で口を開いた。
「浮気している。」と一言。悲しそうな表情に変わる。
「えっつ?パパ浮気なんかしてないよ。」と焦った。
「違う、ママが浮気している。」
「はあっ?何言っているんだ、滅多なことを言うもんじゃない。」
「だって、この間おじいちゃんの家に行った時、ママの様子が変だった。ずっとお出掛けしていて、私をほったらかし。」
「だって、ママはお友達の相談事で帰っていたんだよ?そんな事は無いと思うけど。」
「だからパパはダメなのよ。女心をちっとも解ってない。」
まさか中1の娘に女心を講釈されるとは。
「解った。でもそれは、確たる証拠を見つけない限り、決して口にしてはいけないよ。」と娘をなだめ、まさか、と言う思いと妻を信じる思いが交錯した。
当然、自身にも身に覚えがある筈なのに、健司はこの時、妻を信じるいや、信じたい気持ちが強かった。
それから暫く、モール内の店舗を見て回り、帽子を置いてある店の前で彩が立ち止まった。
「帽子が欲しいのか?」と言いながら、手元にあった赤いリボンの付いたフェルト地の帽子を差し出した。それを被ると、鏡の前に行き、左右に顔を振って確認している。戻ってくると同じ帽子の色違いを被り、鏡の前に行き、同じ動作を繰り返した。
「パパ、どっちが似合うと思う?」
「そうだな、やっぱり赤いリボンが良いんじゃないか?」と言うと
「どうして?」と娘が聞いて来たので
「やっぱり女の子だもん赤いリボンが可愛いよ。」と言うと
「だからパパはダメなの、今の時代は男子が青や黒で、女子が赤が良いって考え方、通用しないんだから。だいたい男子とか女子とかと言う言い方も、良くない。」
とはっきりした口調で言ったので、さらに驚いた。
確かに、最近ではLGBTの話やBLのドラマが流行ったりしている。
未だ40代で若いと思って居たが、昭和世代の自分もかなりズレて居るんだと、気付かされた。
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